思い出の街角 鹿島通運遠幌営業所 昭和35年頃 丸運鹿島通運遠幌営業所 【本間正雄】 丸運鹿島通運遠幌営業所は、昭和35年前後の写真。建物は大夕張産業と共同で、1階前の部分が丸運。 写真左奥に入り口が見えるのが大夕張産業遠幌連絡所(のちの北菱産業)です。… 続きを読む
続・大夕張つれづれ スイングバイとSF|高橋正朝 #5 私が住んでいた明石町番外地の自宅の斜め後ろに、小林順治さんが住んでいた。彼の2歳上に、和子さんがいた。 ある日、彼女がもういらないからと言って、旺文社だったか学習研究社だったか覚えていないが、学年雑誌を二十冊ほどいただいたことがあった。鹿島中学校の1年生のときだったように思う。 ご存知のように… 続きを読む
思い出の記 花火で鉄砲を撃った話|Kawauchi Masami 花火の話ですが、昭和35年ごろ、すり花火とダイナマイトと言う爆発する花火が、有りました。すり花火はマッチ箱で、すって火をつけます。ダイナマイトは、道火線が付いていて、道火線にマッチで火をつける花火です。 すり花火は、マッチ箱のするところで、こすると火がつきます。そこに、缶詰の缶をかぶせると、電信… 続きを読む