パノラマ 昭和40年代大夕張パノラマ(スライドショー) 『昭和40年代大夕張パノラマ』のパノラマ写真を四分割のスライドショーにしてみました。一枚ごとにじっくりみることも可能です。 元になった『昭和40年代大夕張パノラマ』の写真は、次のページから見ることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/16/panoramas40/… 続きを読む
随想 窓が埋まったときは!|内川准一 一昨日。我が家に1本の電話。電話の主は亡・父親宅の隣家。 「あの~○○ですけど~」、妻「何かありましたァ?」、隣人「屋根から雪が落ちて家の壁に当たったんですけど、みてもらいたいんですけど・・」、妻「分かりました、帰ってきたら夫に電話させますから。」、隣人「なるべく早くお願いします。」プツン。 … 続きを読む
思い出の街角 鹿島通運(株)本社 昭和28年11月1日、鹿島通株式会社発足。遠幌・南大夕張・大夕張・大夕張炭山、各駅に営業所を置き、事業を行った。 以下のページから、大夕張駅前にあった鹿島通運をみることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/11/ksimaekibig/… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #2 札幌線(下り)札幌発大夕張行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 札幌発(京王プラザホテル前)のバスなので、案内される停留所は北二条西六丁目からです。 北二条西六丁目 → 北二条西… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校1年生|高橋正朝 #1 私が鹿島東小学校1年生のときの担任は、長谷川ヒロコ先生でした。 飯田さんがスマホ用に編集転載した、「 大夕張つれづれ #18 」にその原文が載っています。 したがって、ここに書き込んだ内容は、一部その原文と重複します。それに、飯田さんとやり取りしたメールの一部を書き加えました。 最初の P… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #1 札幌線(上り)大夕張発札幌行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 大夕張発のバスなので、案内される停留所は千年町からです。 千年町 → 明石町 → 吉野沢 → 湖畔 → 三菱南大… 続きを読む
大夕張色の情景 バスは山間の街をめざす 昭和31年9月 大夕張のヤマの中を バスが走った 南部から先は 陸路のない時代 左にはるか続く山々、右手に深く険しい峡谷 いくつもの深い谷を 越え その先の町にバスを運ぶ こんな 光景が みられたかもしれない … 続きを読む
山史 第4編 営業成績 第6章 沿線炭鉱 第7章 主要荷主別後払契約 第8章 鉄道営業収入表 第6章 沿線炭鉱 年度別北菱香取坑黒江(微粉炭)南部炭北菱遠幌砿北夕炭砿北菱鹿島炭砿計 32.2送炭開始29.11送炭開始24.6送炭開始23.1送炭開始24.9送炭開始28.3送炭開始 37.2送炭終了 30.3送炭終了29.11送炭終了 22 2,010 2,01023 23,4… 続きを読む
運んだ、石炭を人を フジキ式 石炭ストーブ 昭和62年 さよなら列車直前のだるまストーブです。 この石炭ストーブは、昭和62年に三菱石炭鉱業鉄道が廃止になってからも、南大夕張に置かれていた列車内にあります。 この石炭ストーブは昭和51年の春から登場した「フジキ式」と呼ばれるもので、蒸気機関車時代に活躍したダルマストーブは「たこストーブ」… 続きを読む
思い出の街角 し尿処理場越しに鹿島中学校 昭和45年頃。昭和43年白銀橋が落橋した際、鹿島中学校の裏の方を通って開拓に向かう道路が建設されました。手前中央が、し尿処理場、その向こうに鹿島中学校、2階建校舎が写っています。… 続きを読む
昭和 1966年(昭和41年) 1月 23日,「奥鹿島分校の歌」制定。 31日,夕交タクシー札幌太平交通株式会社に買収。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、北海道知事から竿頭綬授与。3月 10日,夕張東高校郷土研究部機関誌『シューパロ』No.2~特集 夕張川流域の遺跡~発刊。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、消防庁長官から表彰旗授与… 続きを読む