月: 2020年9月

窓が埋まったときは!|内川准一 随想

窓が埋まったときは!|内川准一

 一昨日。我が家に1本の電話。電話の主は亡・父親宅の隣家。  「あの~○○ですけど~」、妻「何かありましたァ?」、隣人「屋根から雪が落ちて家の壁に当たったんですけど、みてもらいたいんですけど・・」、妻「分かりました、帰ってきたら夫に電話させますから。」、隣人「なるべく早くお願いします。」プツン。  …
鹿島通運(株)本社 思い出の街角

鹿島通運(株)本社

昭和28年11月1日、鹿島通株式会社発足。遠幌・南大夕張・大夕張・大夕張炭山、各駅に営業所を置き、事業を行った。 以下のページから、大夕張駅前にあった鹿島通運をみることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/11/ksimaekibig/…
美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #2 札幌線(下り)札幌発大夕張行き(菊水経由) 音の風景

美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #2 札幌線(下り)札幌発大夕張行き(菊水経由)

昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 札幌発(京王プラザホテル前)のバスなので、案内される停留所は北二条西六丁目からです。 北二条西六丁目 → 北二条西…
鹿島東小学校1年生|高橋正朝 #1 続・大夕張つれづれ

鹿島東小学校1年生|高橋正朝 #1

 私が鹿島東小学校1年生のときの担任は、長谷川ヒロコ先生でした。  飯田さんがスマホ用に編集転載した、「 大夕張つれづれ #18 」にその原文が載っています。   したがって、ここに書き込んだ内容は、一部その原文と重複します。それに、飯田さんとやり取りしたメールの一部を書き加えました。  最初の P…
美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #1 札幌線(上り)大夕張発札幌行き(菊水経由) 音の風景

美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #1 札幌線(上り)大夕張発札幌行き(菊水経由)

 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 大夕張発のバスなので、案内される停留所は千年町からです。 千年町 → 明石町 → 吉野沢 → 湖畔 → 三菱南大…
バスは山間の街をめざす 大夕張色の情景

バスは山間の街をめざす

  昭和31年9月 大夕張のヤマの中を バスが走った   南部から先は 陸路のない時代   左にはるか続く山々、右手に深く険しい峡谷   いくつもの深い谷を 越え その先の町にバスを運ぶ   こんな 光景が みられたかもしれない       …
第4編 営業成績 第6章 沿線炭鉱 第7章 主要荷主別後払契約 第8章 鉄道営業収入表 山史

第4編 営業成績 第6章 沿線炭鉱 第7章 主要荷主別後払契約 第8章 鉄道営業収入表

第6章 沿線炭鉱 年度別北菱香取坑黒江(微粉炭)南部炭北菱遠幌砿北夕炭砿北菱鹿島炭砿計 32.2送炭開始29.11送炭開始24.6送炭開始23.1送炭開始24.9送炭開始28.3送炭開始  37.2送炭終了 30.3送炭終了29.11送炭終了   22   2,010  2,01023   23,4…
フジキ式 石炭ストーブ 運んだ、石炭を人を

フジキ式 石炭ストーブ

昭和62年  さよなら列車直前のだるまストーブです。  この石炭ストーブは、昭和62年に三菱石炭鉱業鉄道が廃止になってからも、南大夕張に置かれていた列車内にあります。  この石炭ストーブは昭和51年の春から登場した「フジキ式」と呼ばれるもので、蒸気機関車時代に活躍したダルマストーブは「たこストーブ」…
1966年(昭和41年) 昭和

1966年(昭和41年)

1月 23日,「奥鹿島分校の歌」制定。 31日,夕交タクシー札幌太平交通株式会社に買収。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、北海道知事から竿頭綬授与。3月 10日,夕張東高校郷土研究部機関誌『シューパロ』No.2~特集 夕張川流域の遺跡~発刊。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、消防庁長官から表彰旗授与…