乳母車でお散歩

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 昭和32年頃。富士見町5丁目。線路そば、炭砿病院の近く。

 昭和31年3月に、ここで生れた。

 年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわいがってもらった。

 岡田先生の息子さん、伊藤さんの娘さん・・・・。若林さんの娘さん・・・。

 父の職場の炭砿病院の薬局にもよく『遊びに』いった。

 接してくれた大人達はいつもやさしくあたたかかった。

 小学校入学前のほっこりしたあたたかい空気に包まれた心地よい思い。

 そんな幼少期の記憶を持てたことは本当に幸せだった.

 

  

 去るまでの15年の間に、ここから2回引っ越した。6丁目、最後が3丁目。

 

 

 ぽかぽか陽気を感じさせる、天気の良いある日、乳母車に乗ってお出かけ。足下には、水仙の花だろう。春になると、ご近所も含めて軒下を黄色く飾っていた。

 

 箱形の乳母車も時代を感じさせる。

 

 玄関から見える障子戸も穴があいていたり、ツギをしてあったり、まあ当時、どこの家もそんなものだった。

 

 それにしては、指をチュッチュして、眉をひそめていて、ご機嫌がななめのような・・・。

 キムズカシイ赤ちゃん・・・だったのかもしれない。

 

白黒写真に着色した画像

 

家のそばに咲いているのは、水仙(すいせん)の花だった。春になると近所でもあちらこちらさいていた。

 

2件のコメント

  • まささん、指しゃぶりですか。障子の穴もまささんですか。やるね。この坊や(笑)

    • そういえば、一年に何回か障子紙の張り替えをやる時は、新聞を敷いた米をといたのりの入れ物の前に座らされ、刷毛で窓枠に糊を塗るのを手伝わされた記憶があります。小学生のころかなあ。

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