平成 1990年(平成2年) 1月 鹿島労働会館解体。 3月 三菱南大夕張炭礦閉山。鹿島図書館解体。 6月 30日,夕張千年郵便局,利用者減少により廃止(事務引継:大夕張)。 7月 鹿島消防団長野田眞退任。 11月 鹿島消防団が夕張消防団に統合。 夕張市花いっぱい運動にて、花壇コンクール優秀賞(千年町町内会) 白金地区ごみ収… 続きを読む
昭和 1989年(昭和64年・平成元年) 4月 1日,鹿島小第16代山賀宏一校長。 鹿島中第15代中野尚幸校長。 12月 鹿島生活館落成。夕張市鹿島連絡所移転。 (国内他) 1月 昭和天皇崩御 昭和から平成に改元(1月9日から) 4月 1日、日本で初めて消費税(税率3%)導入 6月 泊原発運転開始 中国天安門事件… 続きを読む
昭和 1988年(昭和63年) 1月 鹿島浴場の設置。 4月 夕張市消防署鹿島出張所を分遣所に改組。 10月 鹿島小学校 開校60周年記念。全校児童(34名)で記念植樹。 11月 16日 新大夕張ダム建設反対鹿島地区期成会設立(白金) (国内他) 3月 青函連絡船終航 東京ドーム開場 4月 瀬戸大橋開通 9月 ソウルオリンピック… 続きを読む
昭和 1987年(昭和62年) 4月 1日,鹿島小第15代藤岡光蔵校長。 鹿島中第14代北山信一校長。 6月 鹿島消防団長星靖男退任。17代目団長野田眞就任。 7月 22日,三菱大夕張鉄道(清水沢~南大夕張間7.6Km)全線廃止。 鉄道廃線記念乗車券発行(3枚組360円) 鉄道廃線記念絵葉書(3枚組)発売。 この月末鹿島の人口79… 続きを読む
昭和 1986年(昭和61年) 4月 1日,鹿島中第13代藤井昌隆校長。 5月 三菱南大夕張炭鉱殉職者慰霊碑序幕。 大夕張ダムかさ上げに関する鹿島白金地区農民支援対策協議会設立 鹿島の人口1000人を割る。… 続きを読む
昭和 1984年(昭和59年) 3月 新大夕張ダム鹿島農地対策委員会会長交代(吉田仁→山田優) 4月 12日、鹿島地区離農補償交渉に伴う同意書提出 5月 5日,鹿島栄町元鹿島旅館で三菱南大夕張炭砿下請日高組宿舎が火災。保険金目当ての放火による出火。消防職員1名殉職。 … 続きを読む
昭和 1983年(昭和58年) 3月 道立夕張東高校閉校。閉校記念誌『岳窓』を発行。 鹿島消防団長安月允也退任。16代目星靖男就任。 4月 1日,鹿島小第14代会田鉄男校長。 鹿島中第12代高林広己校長。 9月 大夕張ダムかさ上げに伴う奥鹿島農地地区の条件9項目を提出(白金地区) 10月 大夕張ダムカ上げ用地調査に関わる覚え書き… 続きを読む
昭和 1982年(昭和57年) 1月 鹿島勤労市民センター類焼により全焼。3月 13日,奥鹿島分校学習発表会開催。 31日,電話普及により火災報知器の廃止。4月 鹿島東小複式規模に児童数減少。PTA総会において鹿島小への統合を決議。5月 1日,鹿島東小第10代PTA会長中井久雄選出。 29日,鹿島東小第26回運動会(町内会と共催… 続きを読む
昭和 1981年(昭和56年) 2月 東高スキー部全国大会出場。3月 鹿島し尿処理場閉鎖。4月 消防署組織規則改正により南部出張所を支署に改組。7月 30日、札幌特急線に南部菊水町経由新設(1往復)8月 5日,台風による大水で大夕張ダムがオーバーフロー。鹿島地区孤立する。9月 1日、三菱鉱業セメント株式会社、バス事業を分離、美鉄バ… 続きを読む
昭和 1980年(昭和55年) 3月 31日,聖心幼稚園廃園(s49年度園児38名)。 鹿島小放送施設新設替4月 1日,鹿島東小第6代今井欣一校長。 奥鹿島分校児童数1となり,教員定数も1となる。 鹿島中第10代工藤善一校長。 >大夕張保育所開設。8月 鹿島中,第4線校舎(製図室,柔道室)の壁撤去通し教室に改造,第3便所改修。10… 続きを読む
昭和 1979年(昭和54年) 1月 旧,大夕張駅舎に大夕張診療所(平池正医師※元炭砿病院々院長)開設。 2月 夕張信用金庫大夕張支店が大夕張出張所に変更。 4月 1日,鹿島小児童数160人。7学級。 奥鹿島分校児童数2人1学級。鹿島中112人。4学級。第11代斉藤與四政校長。 5月 三菱南大夕張第2斜坑ガス突出事故,死者17… 続きを読む
昭和 1978年(昭和53年) 1月 ポンプ車1台、消防南部出張所に配置。 3月 19日,鹿島東小閉校式。 4月 8日,鹿島小・鹿島東小統合式。鹿島東小学校閉校。それに伴い鹿島東小学校奥鹿島分校が鹿島小学校奥鹿島分校と改名。 鹿島小体育館解体開始。 5月 大相撲5月場所をもって,朝登引退。 7月 大夕張ダムかさ上げ可能性調査開始… 続きを読む
通史 大夕張年表 1635年(寛永12年) 松前藩主が家臣に命じて、アイヌ人数百人に数年間にわたり夕張岳を中心に夕張川上流で砂金の採集をする。 1888年(明治21年) 夕張川川岸15尺の大露頭が発見される。(南大夕張 旧錦坑)しかし、地形峻険のため開発は進まず。 1897年(明治30年) 10月 30日、京都合資会… 続きを読む
昭和 1977年(昭和52年) 1月 鹿島勤労市民センター類焼により全焼。 3月 旧メタノール工場跡地に、日北酵素KK夕張工場を建設。アセチレンの生産を開始。 13日,奥鹿島分校学習発表会開催。 31日,電話普及により火災報知器の廃止。 4月 鹿島東小複式規模に児童数減少。PTA総会において鹿島小への統合を決議。 5月 1日,鹿… 続きを読む
昭和 1976年(昭和51年) 3月 7日,夕張東高定時制課程閉課式典。記念誌『美春』発行。 23日、三菱鉱業バス南部線ワンマン化 31日,北海道夕張東高等学校定時制課程閉課。 鹿島中第1線校舎解体,側線校舎一部解体。第2線校舎を管理棟に改修。 階上音楽室を図書室に改修。この時,生徒数183人,7学級編成。4月 2日,鹿島小第1… 続きを読む
昭和 1975年(昭和50年) 3月 31日,聖心幼稚園 廃園(s49年度園児38名)。 鹿島小放送施設新設替4月 1日,鹿島東小第6代今井欣一校長。 奥鹿島分校児童数1となり,教員定数も1となる。 鹿島中第10代工藤善一校長。 >大夕張保育所開設。8月 鹿島中,第4線校舎(製図室,柔道室)の壁撤去通し教室に改造,第3便所改修。1… 続きを読む
昭和 1974年(昭和49年) 1月 イサオ製作所大夕張工場操業。(礦業所跡) 21日,鹿島中完全給食開始。2月 園芸センター設立。3月 単板加工会社大夕張ユニオン開業。(弥生町)4月 鹿島小,7学級児童数261名。 鹿島東小,6学級児童数110名。 鹿島中,7学級216名。 消防南部分遣所を出張所に改組。職員4名配置。菊水分遣所… 続きを読む
昭和 1973年(昭和48年) 1月 15日,泉町火災。2月 18日,町内対抗のど自慢大会。3月 第二聖心幼稚園閉園。 18・20日,映画『塩狩峠』ロケのため,遠幌‐大夕張炭山,南大夕張‐大夕張炭山間臨時列車運転。4月 1日,鹿島中,19学級(含特学1)生徒数720。 19日,午後1時より開催の本社臨時経営協議会席上、大夕張砿業… 続きを読む
昭和 1972年(昭和47年) 2月 2日,貨物93列車吉野沢付近を通過中、雪崩発生。 17日,14時頃,奥部南上片北向き坑道北第1立入奥で鉱員重傷事故。 28日,北菱鹿島炭礦が閉山。4月 17日,金子診療所(内・小)開設。5月 1日,第43回メーデー。 三菱大夕張炭砿社,美唄炭砿を閉山。 10日,北菱岐線撤去。 この頃,大夕張… 続きを読む