夢の街

かつて石炭で繁栄した街の昔と今の記憶をもとめ、追いかけた記録。

 歌のない歌謡曲 | 高橋正朝 #225 続・大夕張つれづれ

 歌のない歌謡曲 | 高橋正朝 #225

   私が鹿島東小学校4年生のとき、すなわち、昭和33年( 1958年 )初秋に我が家にテレビがくるまで、ラジオ番組はよく聴いていた。     それら番組のなかで、松下電器のものがあった。      それが、首題の〘 歌のない歌謡曲 〙である。        ネットでチェックしたところ、ウィキペディ…
♪ウ〜ラのお庭の柿の木でぇ〜♪ |高橋正朝 #224 続・大夕張つれづれ

♪ウ〜ラのお庭の柿の木でぇ〜♪ |高橋正朝 #224

  この表題は、ラジオ放送のサンヨー電機の、洗たく機のCM ソングの一部分である。        私が記憶しているこの CM ソングの詞は、つぎのとおりだ。     ♪ ウ〜ラのお庭の柿の木でぇ〜、ママゴト遊びのおよめさん、カワイイおよめさん、お宅はどちらの洗濯機?サンヨーサンヨー、サンヨー電機 ♪…
沈んだ泉町 写真

沈んだ泉町

秋の宝沢(泉町)そして『湖風葬』と同じ日に撮影した別の一コマ。 移りゆく秋の日差しに、地表に雲が微妙な影を落とす。   場所はおわかりだろうか。 左手前の道跡は、鹿島小学校の裏手の道。小学校6年生の時には、理科の授業で宝沢の地層や崖の観察にこの道を山の方に上がっていったような記憶がある。 鹿島小学校…
カワイの肝油ドロップ とサクマのドロップ | 高橋正朝 #223 続・大夕張つれづれ

カワイの肝油ドロップ とサクマのドロップ | 高橋正朝 #223

 表題の〘 カワイの肝油ドロップ 〙 は、私が鹿島東小学校の低学年のとき、先生からいただいて食べたものだった。        4年生のときにも、1度か2度くらいいただいたような気がするが、記憶間違いで、すでに、〘 肝油ドロップ 〙を、学校で配給するのを止めてしまっていたのかもしれない。       …
感想と今の旧炭鉱都市などについて思うことです|現代っ子 随想

感想と今の旧炭鉱都市などについて思うことです|現代っ子

  初めてきました、複雑な心境です。   嘗て栄えた街が、数年でもはや消滅してしまった・・・。  鉄道まであって、商店街を形成していたのに・・・   現在の写真をこのページで見させていただくと、本当にこの地に数万もの人たちが住んでいたと思うと不思議でなりません。  地図なんかを見ても・・・想像できな…
視聴者参加番組〘 素人ラジオ探偵局 〙 | 高橋正朝 #222 続・大夕張つれづれ

視聴者参加番組〘 素人ラジオ探偵局 〙 | 高橋正朝 #222

視聴者参加番組〘 素人ラジオ探偵局 〙     これは、NHK 第二放送の番組だった。      NHK 第二放送を聴いていたのは、鹿島東小学校の3年生になって、天気予報を熱心に聴き始めたからである。 その理由は、天気予報図に興味をもち、多少ではあるが、理解できるようになったからである。      …
山はきれいだぜ|内川准一 随想

山はきれいだぜ|内川准一

    今日3時過ぎ、札幌市内のビルから純白の夕張岳が残照に染まって美しかった。  朱鷺色というのか、暗い色の空を背景に、そこだけスポットライトを浴びているかのようにくっきりしていて、涙が出そうになった。   思わず「父さん!」とつぶやいた。     あの場所で、父は命がけで石炭を掘り、子供らを育て…
ラジオドラマ、〘 オヤカマ氏とオイソガ氏 〙 | 高橋正朝 #221  続・大夕張つれづれ

ラジオドラマ、〘 オヤカマ氏とオイソガ氏 〙 | 高橋正朝 #221 

 前回、〘 チャッカリ夫人とウッカリ夫人 〙を書き込んだあと、何やら連想ゲームのように、ラジオドラマの〘 オヤカマ氏とオイソガ氏 〙を思い出した。       その時点では、〘 オヤカマ氏とオイソガ氏 〙のラジオドラマは、断片的とはいえ、〘 チャッカリ夫人とウッカリ夫人 〙の番組ほどの記憶ではなかっ…
ラジオドラマ、〘 チャッカリ夫人とウッカリ夫人 〙 | 高橋正朝 #220  続・大夕張つれづれ

ラジオドラマ、〘 チャッカリ夫人とウッカリ夫人 〙 | 高橋正朝 #220 

   前回、テレビドラマ〘 怪人二十面相 〙で、明智小五郎役をやった〘 佐伯徹 〙について触れた。       〘 佐伯徹 〙という役者は、私は、このテレビドラマで初めて知ったわけで、どういう映画やテレビに出演していたかもわからなかったので、ネットでチョッピリ深追いしてみた。       そうしたら…
春眠 | 長谷川潤一 随想

春眠 | 長谷川潤一

  大夕張を出る、夢を見ます。 他の何組かの家族もいます。  駅前には見送りの人たちが来て、またそれを見る人たちも。  車窓が動き出し 人の顔が流れ、ぎこちなく手を振ります。  軽く繕った笑顔に涙はありません、 戻れない不安感だけ。    なぜ離れなければならないのだろう、この今の暮らしから。   …
太古にうもれゆく街 | Toshinori 訪問記

太古にうもれゆく街 | Toshinori

セイタカアワダチソウと秋の青空     2003年 8月17日に、大夕張に行く。 鹿島小学校校庭から周りを見渡すと、ここ4年、5年の間に、随分風景が変わったように感じた。 山は樹木が大きく繁り、住宅の有った平地は、セイタカアワダチ草なのか黄色い花、イタドリなどの雑草に侵略され、持ち込んだ花の種を植え…
1997年の街歩き イサオ製作所ゲート前  訪問記

1997年の街歩き イサオ製作所ゲート前 

前回の『1997年の街歩き イサオ製作所』の撮影位置から歩を進めて、ゲートと門の前で撮影した。 当時、記憶では、右手前に見える建物が車庫として使われていて、見慣れた屋根を青く、窓を黄緑に塗られた赤い線の入った三菱鉱業バスが放置されていた状態でおかれていた。    その後、有志達の手に寄って、保存活動…
1997年の街歩き イサオ製作所 訪問記

1997年の街歩き イサオ製作所

さて、写真は1997年の大夕張に戻る・・・。   写真は『大夕張礦業所機械工場の思い出』で使用したもの。 Kawauchiさんが書いているように、ゲートから内側は、事務所や工場地帯が広がる炭砿の事業地だった。 三菱マークもそのままに、面影を残す建物は、ピアノ板を作る工場になった。   住民立ち退きを…
1997年の街歩き 炭山駅前の沢(溜池) 写真

1997年の街歩き 炭山駅前の沢(溜池)

    砿業所ゲート下、大夕張炭山駅前の下にあった沢。 小石を敷き詰めたような川原に、幾筋にも流れる水の流れ・・・   子どもの頃の虫取りや水遊びについて以前書いたが、実は、もう一つこの沢には思い出がある。 まだ小学校入学前だったころ、千年町に当時はまだ親戚のいとこが住んでいた。 自分も富士見町6丁…
2024年9月28日にビエンチャンで出遭ったオランダ人カップル|高橋正朝 #218 続・大夕張つれづれ

2024年9月28日にビエンチャンで出遭ったオランダ人カップル|高橋正朝 #218

           首題のオランダ人カップルに出遭った場所は、私が、ラオス出国時で、ビエンチャンのバスターミナルだった。  ヨーロッパ人は、他に、1人旅の若いロシア人女性だけで、私を含んだ他の8人はアジア人である。       ラオスの出国管理の手続きを終え、同じバスでタイの入国管理事務所に向かう…
1997年の街歩き 富士見町6丁目坂の上から炭山駅方面 2 写真

1997年の街歩き 富士見町6丁目坂の上から炭山駅方面 2

この写真も前回と同じく、2003年(平成15年)の写真。   ほとんど同じ場所ではあるが、下の景色がもう少しはっきりと写っている。 左手炭山駅駅前方面。 向こうの舗装道路は、官行方面に行く道。 手前に写る土の道は駅前から続いていた道。坂をおりるとこの道にでる。 そして、これらの二つの道の間を線路が走…
1997年の街歩き 富士見町6丁目坂の上から炭山方面 訪問記

1997年の街歩き 富士見町6丁目坂の上から炭山方面

富士見町6丁目の坂を下ると、坂道の上り口の手すりが見えてきた。 正面は大夕張炭山駅前、手すりは見にくいが、炭山駅前の沢を埋める溜池だ。 昔の道路下の暗渠がこのあたりにあった。   下草の生い茂るこの写真には、見えるはずの炭山駅の駅舎が移っていない。 そう思ってあらためてチェックしてみると、以前掲載し…
あのねのお話 | あおいこ  随想

あのねのお話 | あおいこ 

 初めて、投稿させて頂きます。 大夕張鹿島の地に 鹿 が舞い降りて来ていると聞きました。  私達が暮らしていたあの頃は、どこに遊びに行っても鹿さんにお会いする事は無かったし、地名の由来さえ深く考えておりませんでした。  やはり太古の昔から鹿の生息地だったのでしょうね。  人間が住まなくなったのを、何…
1997年の街歩き 富士見町6丁目から5丁目方面 訪問記

1997年の街歩き 富士見町6丁目から5丁目方面

富士見町6丁目方面から南側。5丁目方向。 言葉をかえると砿業所方向を背に、鹿島小学校方面をみたところといえるだろうか。    手前の跡がかつての道跡、木立の向こうが住宅地であったのだろう。   ふと5丁目から6丁目にかけての坂道を汗をかきながら自転車で駆け登ってきた自分の姿や、『ろうそくちょーだい』…