大夕張の全景 昭和35年 富士見町 昭和35年頃、大夕張神社からの写真。こうしてみると、ブロックは建物の中で目立ちます。中でも、左の啓心寮の近くに見える白いブロックそばの道路の角に立つ木が、『夢の街-訪問記-僕と木』でふれた私的な思い出の木でした。 2006年に訪れた時の記事は、以下 https://ooyubari.com/20… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 「痛快ブック」と岳富町商店街の火事|高橋正朝 #3 私が鹿島東小学校3年生の春、明石町番外地の自宅の外で、寺田ヒロオのマンガ、「 背番号ゼロ 」を手にとっていた。 表紙に 「 新漫画党 」 と書かれ、黒丸の上から下に稲妻形のマークが入っている。 稲妻形と思ったのは、アルファベットの S の図案化だったのを後に知る。 つまり、「 新漫画党&… 続きを読む
映像 遥かなる思い出の故郷 以前、作者の方が1991年に大夕張を訪問した部分と合わせて動画を掲載しましたが、『遥かなる故郷の思い出』の大夕張全盛期の部分、11分間を掲載します。(製作1997年2月) https://youtu.be/DIVYZonq7oM 1991年に大夕張を訪問した記録が含まれる映像全編は、次のページから… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島東小学校 廊下 鹿島東小学校の校舎内廊下。手前に「野村学級」の学級札が見えます。野村芳郎先生は、昭和38年から昭和45年まで鹿島東小学校で教鞭をとられていました。その頃の校舎。… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校遠足 シューパロ川上流 鹿島小学校の遠足は、礦業所や、営林署のあたりを通って、官行と呼ばれる方面に行きました。シューパロ川に沿って、上流に向かいます。全校児童が長い列を作って、こんな光景が正に目の前にありました。そして、清流の流れる河原でお弁当を広げ、遊びました。全校児童1000人以上もいた時代でした。 … 続きを読む
街の行事 大夕張神社みこし渡御 昭和4年5月9日、礦業所が南部から大夕張へ移転するに際して、礦業所により建立された炭鉱守護のための神社。建立当時の写真で、富士見町から、鹿島小学校グラウンドに向かって進む。 大夕張神社由来については、以下。 https://ooyubari.com/2020/05/08/jinjyayurai… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅改札 昭和35年頃 遠幌駅の改札。なんとも懐かしく心地よい陽だまりのホーム。この改札を何人の人が往来したでしょうか。遠幌駅のみならず、当時は当たり前に見ることのできた駅の光景も今はもう見ることができません。… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #4 夕張線(下り)夕張神社発大夕張行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 夕張神社発 市立病院 → 市役所 → レースイハイランド前 → 北高 → 鹿の谷 → 若菜 → 清水沢 → 清栄… 続きを読む
昭和 1967年(昭和42年) 1月 24日,午後9時半頃,南部南2片第6立入延先にて落盤,殉職4,負傷4。 25日,第二聖心幼稚園前の車道に母の会が連名で,横断歩道と信号機の設置を要請。3月 5日,『夕張川流域の先史遺跡』発刊。(北海道夕張東高等学校郷土研究部)4月 大夕張第二聖心幼稚園を栄町に開設。(園児136人 園長ジェーム… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 寺田ヒロオのマンガと読者~観客者の想像力~|高橋正朝 #2 私が鹿島東小学校2年生のとき、小学館の学習雑誌、「 小学2年生 」に掲載されていた、寺田ヒロオ のマンガの意味がわからず、悩んだ、と形容するほどでもなかったが、断続的に何十回も考え、ようやく東小学校4年生ぐらいのとき、理解できたものがあった。 このマンガ、小学2年生用だったのだが••••••。 … 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #3 夕張線(上り)大夕張発夕張神社行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 大夕張発 千年町 → 明石町 → 吉野沢 → 湖畔 → 三菱南大夕張 → 南部 → 新緑町 →案内所前 → 菊水… 続きを読む
学び舎の思い出 夕張東高 強行遠足 昭和45年頃? 夕張東高等学校の閉校記念誌『岳窓』からのひとこまですが、東高の行事,『強行遠足』とありました。明石町にあった東高から開拓に向かって走るマラソン大会のようなものだったのでしょうか。… 続きを読む
パノラマ 昭和40年代大夕張パノラマ(スライドショー) 『昭和40年代大夕張パノラマ』のパノラマ写真を四分割のスライドショーにしてみました。一枚ごとにじっくりみることも可能です。 元になった『昭和40年代大夕張パノラマ』の写真は、次のページから見ることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/16/panoramas40/… 続きを読む
随想 窓が埋まったときは!|内川准一 一昨日。我が家に1本の電話。電話の主は亡・父親宅の隣家。 「あの~○○ですけど~」、妻「何かありましたァ?」、隣人「屋根から雪が落ちて家の壁に当たったんですけど、みてもらいたいんですけど・・」、妻「分かりました、帰ってきたら夫に電話させますから。」、隣人「なるべく早くお願いします。」プツン。 … 続きを読む
思い出の街角 鹿島通運(株)本社 昭和28年11月1日、鹿島通株式会社発足。遠幌・南大夕張・大夕張・大夕張炭山、各駅に営業所を置き、事業を行った。 以下のページから、大夕張駅前にあった鹿島通運をみることができます。 https://ooyubari.com/2020/06/11/ksimaekibig/… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #2 札幌線(下り)札幌発大夕張行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 札幌発(京王プラザホテル前)のバスなので、案内される停留所は北二条西六丁目からです。 北二条西六丁目 → 北二条西… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校1年生|高橋正朝 #1 私が鹿島東小学校1年生のときの担任は、長谷川ヒロコ先生でした。 飯田さんがスマホ用に編集転載した、「 大夕張つれづれ #18 」にその原文が載っています。 したがって、ここに書き込んだ内容は、一部その原文と重複します。それに、飯田さんとやり取りしたメールの一部を書き加えました。 最初の P… 続きを読む
音の風景 美鉄バス 大夕張営業所 車内放送 #1 札幌線(上り)大夕張発札幌行き(菊水経由) 昭和31年9月に、三菱鉱業バスとして大夕張を走り始めた美鉄バス、平成9年11月の大夕張撤退まで、地区内を走り続けました。昭和62年以降、ワンマンバス用に使用された車内放送のテープです。 大夕張発のバスなので、案内される停留所は千年町からです。 千年町 → 明石町 → 吉野沢 → 湖畔 → 三菱南大… 続きを読む
大夕張色の情景 バスは山間の街をめざす 昭和31年9月 大夕張のヤマの中を バスが走った 南部から先は 陸路のない時代 左にはるか続く山々、右手に深く険しい峡谷 いくつもの深い谷を 越え その先の町にバスを運ぶ こんな 光景が みられたかもしれない … 続きを読む