大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■明石町の浄水場からの景色■|高橋正朝 #42 私が鹿島東小学校の4年生ぐらいのときだったから、もう55年ぐらい前のことになるだろうか。 春先で、その日は比較的ポカポカして風もなく、明石町駅の山側のほうを、男の子だけ数人と、初めて上ったことがあった。 誰と行ったのかまでは覚えていない。 3~4人ぐらいだったので、明石町番外地に住んでいた連… 続きを読む
思い出ばなし 思い出ばなし たなばたの夜 北海道の七夕は、8月7日で本州に比べると確か一月遅れでしたね。大きな丸い缶に、釘で沢山の穴をあけ、針金で取っ手を作り、ローソクを立てます。ローソクのオレンジ色の光がたくさんの光の輪になって、辺りをきれいに照らし出し、それだけでもう心がわくわくしました。近所の友達と誘い会って、お互い兄弟ともども、徒党… 続きを読む
昭和 1959年 昭和34年 3月 客車ナハ5入線。 31日,鹿島中第4代天野光二校長。4月 1日,鹿島小第8代萱場武夫校長。 >美唄鉄道より9615号蒸気機関車借入。6月 開拓橋完成。大夕張ダム本堰提コンクリート打設開始。 鹿島中放送設備完成。 香椎沢埋立工事北宝建設指名入札。7月 12日,夕張市連合PTA研修会が鹿島小で開… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■カステラの味■|高橋正朝 #41 大夕張時代の子供のころの食べ物で、前々回、カステラのことを書きましたが、このカステラと信じていたモノは、今は稀少なシロモノのようです。 3年前に札幌に行ったとき、友人と奥さんが小樽にドライブに連れて行ってくれました。そのとき、彼が珍しいモノを食べさせると言って、私を小樽の商店街に連れて行き、ある… 続きを読む
パノラマ 昭和48年 大夕張 街並み 昭和48年5月。大夕張神社から。 撮影者の上村正樹さんが、高校卒業後間もない5月、大夕張閉山の報を聞き、「閉山になると炭住がなくなってしまう、地図から町が消えてしまう」という思いで、神社からシャッターを切り続けたそうです。 閉山直前の最後の大夕張の町の姿です。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ 柿 ■|高橋正朝 #40 私が大夕張に住んでいたころは、冬の生鮮果物は、リンゴ、柿、ミカンぐらいだった。 クリに関しては、大夕張で売られているのは私は見たことがなかった。クリは当時の寒い北海道でも生育した場所もあったようであるが、当時としては高価だったろう。 柿は青森が北限だったろうと思う。リンゴは、紅玉と国光しか覚え… 続きを読む
陳列棚 大夕張生協ネガホルダー 表 裏 ( 縦 9.2センチ× 横 20.9センチ ) 上で二つ折り、中に薄い油紙がとじられており、そこに現像したネガフィルムを入れるようになっています。昭和30年頃ものと思われます。手書き風の『大夕張生活協同組合』の文字が時代を表わしていて、なんとも懐かしい!… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■バナナ■|高橋正朝 #39 私が生まれて初めてバナナを食べたのは、鹿島東小学校の1年生の遠足の日であった。当時は、遠足に持っていくお菓子や果物などの制限はなく、どんなものでも持っていけた。 金額的な制限ができたのは、記憶がおぼろげだが3年ぐらい後だったと思う。私が小学校低学年のときは、全国的に炭鉱の景気が良かったころだ。 … 続きを読む
地図 三菱大夕張炭砿坑口地図 地図は「カシミール」で作成 坑道の名称や位置は「夕張市史s56版」「社史」を参照に作成※現地踏査したわけではありません。 坑 道名 称種類長さ大きさ斜度用途開鑿開始開鑿完了備考 鹿島ノ沢 探炭大正12年 通洞水平3050m×2敷幅4.0m 石炭搬出材料・人員輸送昭和2年… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■鹿島東小の奇術と渡辺淳一のこと■|高橋正朝 #38 私が鹿島東小学校2年生の今頃、学校での楽しい思い出がある。 ちょっと肌寒かった日であったが、その日だけだったのか、それとも、もうその時期だったのか、よく覚えていないが、雪虫は出ていなかったので、11月にはなっていなかったと思う。 全校生徒が体育館に集められ、壇に向かってクラスごと縦列に並べら… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前 鹿島通運と日本通運 昭和45年頃 この前の道を行き来し、何度この風景を目にしたことでしょう。鹿島小学校の帰り東側の門を出て、踏み切りを渡り、鉄腕アトムの始まる時間を気にしながら家に急いで帰った日。※ 中学に入ってすぐのある日,雨が降り常盤町行きの三菱バスに乗り,信じられないラッシュに驚いた朝 安田信託銀行前から札幌発… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■目には目を■|高橋正朝 #37 イスラム世界を舞台にした漫画を初めて読んだのは、鹿島東小学校2年生のときだった。 同じ明石町番外地に住んでいた同学年の、記内清司さんの家に行ったとき、 秋田書店の冒険王があり、その雑誌に福島鉄次の「 沙漠の魔王 」という絵物語が載っていた。 その絵物語は全ページ色つきである。 主人公は、魔王… 続きを読む
開拓・白金 昭和22年 桜ヶ丘 航空写真 昭和22年(1947年) 南部、二股に大夕張ダムが出来る前。戦後まもなくシューパロ川に沿った台地に開拓団が入った。桜ヶ丘とよばれた。台地に走る森林鉄道や道路のような筋が上空からも確認できる。 昭和22年 国土地理院空中写真… 続きを読む
思い出の街角 協和会館(昭和20年代 子鹿物語) 1946年制作の米作品。昭和30年代、TVでも、アメリカTVドラマが放送されていて数多くみましたが、名犬ラッシーなどとともに見たような気がします。 『子鹿物語』は、日本公開1949年6月ということなので、協和会館での上映は昭和25年頃でしょうか。『OYUBARI協和會館』の看板と『総天然色映画』の文… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■戒律■|高橋正朝 #36 イスラム世界のことは、日本に馴染みがないせいか、我々が子供のころは授業で触れることは少なかった。 それでも中学生のころ知ったイスラム教のことで、もう一つ強烈な印象としては、四人まで正式に妻を娶ることができる、というのがあった。 私が中近東に住んで実際に見たケースでは、3人というのが1例だけあっ… 続きを読む
街の行事 山車 山神祭 昭和44年6月15日 太鼓と笛と三味線の演奏のようです。祭りの音が町内に響き渡ります。奥に炭砿病院の建物が見える。栄町から北方向に向けて撮った写真。『みどり』と書かれた提灯がかかる。緑町の山車だろうか。トラックには、○運 鹿島通運のマーク。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■イスラム世界■|高橋正朝 #35 鹿島東小学校、鹿島中学校、それから夕張工業高校、札幌工業高校、東京都立小石川工業高校定時制の社会科・歴史の授業では、イスラム世界の記述として有名なものでは「 ヨーロッパによる十字軍の攻撃 」、「 右手にコーラン、左手に剣 」というのがあった。 「 右手にコーラン、左手に剣 」というのは、現在の歴… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■サハラの習慣■|高橋正朝 #34 イスラム世界といっても、 マレーシア、 インドネシア、 ブルネイなどは、 密林があり、 緑が多い。 サハラ沙漠は、 オアシスだけに緑があり、 他は沙漠と土漠である。 沙漠とオアシスという言葉を知ったのは8歳ぐらいのときか・・・・・・ ♪ 月の砂漠を~はぁ~るばぁると~ ♪ というのは8歳の時よ… 続きを読む