思い出ばなし 馬頭観音 |小林光志 便所場球場に近い大久保さんの向かいに、労働馬の慰霊碑がありました。 「大久保組」ご存知ですか? ここに多くの労働馬がいました。 私が大夕張にいた頃は、ちゃんと感謝をこめて祭っていました。 (追記) 大久保組の大久保家は、私の遠い親戚でもありましたので ちょくちょく行き来してました。… 続きを読む
街の行事 昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前 昭和26年頃、大夕張駅前のメーデーの様子。 左に三菱購買会,その奥に健保会館が見えている。 大夕張郵便局の辺りから撮影されたそうだ。 大夕張銀座とよばれた駅前の栄町商店街のメインストリート。昭和20年代は私の知る昭和40年頃と比べて,ずいぶん印象が違う。そもそも購買会は昭和30年代… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••はっちゃきこく、はっちゃきになる | 高橋正朝 #128 この北海道弁〘 はっちゃきこく 〙も、前回の〘 だはんこく 〙と同様、北海道内ですら死語になっているのではないだろうか •••••。 私が名前すら知らなかった江別市出身のタレントの大泉洋は、北海道弁を駆使し、それをウリにしてバラエティー番組などに出演しているらしいが、彼だったら… 続きを読む
あらかると 駅名板|奥山道紀 千年町の木造の駅名板の写真拝見しました。 去年、南部で保存会・シューパロ塾共催で勉強会を開催した時、南大夕張駅の助役であったSさんが昭和30年頃の駅の写真を持って来ていました。 その駅名板も木造・手書きでなにか暖かみのあるものでした。 いつ頃から鉄製のものに変ったのでしょうか。 … 続きを読む
思い出ばなし 闘犬のはなし| 泊川俊徳 子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。 4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。 闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。 一時的な流行でした。 当時、子供なが… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4) 手前の緑ヶ丘の教員ブロックの周辺から宝沢の泉町をはさんで、錦町・千年町と続く。 そして遠く、常盤町鹿島中学校の校舎まで見通すことができる。 昭和43年の白銀橋の落橋事故により、鹿島中学裏から白金に抜ける道路開削によってできた山の斜面の崖も見える。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-3) 昭和40年代、正面に見える夕張岳の南側の特徴的な山の頂は何とよんでいたのだろうか。 「あの山」の頂が、「そこにある」ことを意識しつつ、今回これを機に調べてもみたが、結局わからないまま現在に至ってしまった。 鹿島小学校の新校舎、三階の教室の窓から毎日見えていた山の姿。 夕張岳に連なる… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-2) 昭和40年代、正面、夕張岳には残雪、駅周辺の木々もこれから芽吹くという4月から5月初旬頃の大夕張か。 神社から見た全景よりは、低い位置からの写真のようだ。 参道の坂道の途中から撮影したのだろうか。 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたものの2枚目。 前回一枚目も… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••だはんこく | 高橋正朝 #127 この北海道弁〘 だはんこく 〙は、もはや死語ではないだろうか••••••。 アパートのガラス戸は、今の時期( 12月初旬から1下旬ぐらい )は24時間開けっ放しにして網戸にしているのだが、早朝、見えないが、通りの向こう側から、幼児が、〘 だはんこいている 〙のが聞こえた。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-1) 昭和40年代、栄町アパートの屋根が、平面の形状(陸屋根、りくやね・ろくやね)だったのが、片流れの傾斜ついたトタンの屋根が取り付けられた。 栄町ブロックのあたりは、青い屋根に煙突が続く・・・。 礦業所方面から鹿島小校門まで 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたもの。 … 続きを読む
思い出貼 千年町朝日荘前の階段 | 小野 美音子 1997年 朝日荘バス停から浴場に向かっておりる階段の跡 河井さんのおばさん、ありがとう・・ 私は、あの階段を降りて行った時のはずむような嬉しさを、今も忘れられません。 河井みちこ、ゆうこちゃん姉妹と楽しいままごと遊びが待っていたからです。 バス停まで、必ず笑顔で迎えに来てく… 続きを読む
昭和 1987年(昭和62年) 4月 1日,鹿島小第15代藤岡光蔵校長。 鹿島中第14代北山信一校長。 6月 鹿島消防団長星靖男退任。17代目団長野田眞就任。 7月 22日,三菱大夕張鉄道(清水沢~南大夕張間7.6Km)全線廃止。 鉄道廃線記念乗車券発行(3枚組360円) 鉄道廃線記念絵葉書(3枚組)発売。 この月末鹿島の人口79… 続きを読む
写真 紺碧の夕張岳 昭和17年に大夕張で生まれた叔父は鹿島小、鹿島中の同級生たちと、あるいは一人で、時々故郷をたずねていた。 その時々に、撮影した写真を送ってくれていた。 その中からの一枚の写真。 1995年(平成7年)頃、おそらくシューパロ湖湖畔亭付近からの撮影だろうか。 夏。 夕張岳は、蒼… 続きを読む
思い出の記 冬の出来事 |Kawauchi Masami 私には忘れられない思い出が2つ有ります。 小学校2年生の時、富士見町のスキー場で遊んでいて身体がだるくなり、いつもの様に、スキーを担いで春日町の自宅へ帰る時、スキーが重くて、カンダハンの金具を両手で持って引きずって歩いていました。 家だと思い、家まで着いて倒れていたそうです。 … 続きを読む
映像 大夕張 街中通過 映像 前回の千年町、宝町の通過映像からの続編。 以前、2021年5月にリンクした動画がしばらく削除されていましたが、今回動画が再アップされたので、ふたたび公開することができるようになりました。 ツィッターの投稿へのリンクです。 1992年(平成4年)の貴重な大夕張の街中映像です。 千年… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 万葉会館 | 高橋正朝 #126 『続・大夕張つれづれ #124 道玄坂の思い出 その2』 に、TAKASHI さんが、コメントを書き込み、万葉会館について言及していました。 当時あった万葉会館は、今は貸ビル業に転じているようで、ビルの大部分は、IKEA に貸しているようです。 『続・大夕張つれづれ #12… 続きを読む
楽しかった日々 長いスキーを担いで出発 昭和40年代の大夕張を、8ミリフィルムで撮影したテープをもとに編集された『遥かなる思い出の故郷』の中に、スキーをかついだ子どもたちが、炭鉱住宅の中を歩いていくシーンがある。 家の前にスキーを立てかけたスキー、自分の背の丈を超えた長尺のスキーをかついで歩いていく子どもたちの姿。 長いスキー… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの 【線路】 東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 線路 と題する文章。 【線路】 鉄の二本の線路を、 どこにいてもわすれない。 ・・・ いろいろな職場から、 いろいろな地域から、 ある人はバスで、ある人は汽車で… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【机】 前回の、東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 机 と題する文章。 【 机 】 どこに行っても忘れないもの それは机です。 ・・・ 教室の、あの場所に、自分の机が あります ・・・ 本… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【坂道】 当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。 夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。 おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。 どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路 の… 続きを読む