南部

南部独身寮 思い出の街角

南部独身寮

昭和40年(1965年)、『大阪の小林』さんが一夏を過ごした南部貯木場の独身寮。 当時の南部独身寮とのかかわりについて、小林さんは『懐かしき貯木場(南部)』の中で、次のように書いている。 小生は昭和40年の一夏(七月中旬から八月中旬まで)南部にありました営林署の貯木場で、大学の友人二人と共にアルバイ…
大夕張炭山若葉坑々務所付近 其の一 絵葉書

大夕張炭山若葉坑々務所付近 其の一

  『大夕張炭山』の絵葉書(小紙商店発行)  明治大正期の頃の大夕張炭山。    どういうまとまりで発行されていたのかわからないが、今でも古書店などでは、バラ売りで売っているのを時々見かける。  自分が入手したのは、20年程前だが、『近江堂発行(つるや)』の記載がある夕張炭山のシリーズとセットになっ…
南部地区 鉱口地図 地図

南部地区 鉱口地図

『二十年史』(大夕張炭労発行 昭和41年)に掲載の地図。 若葉坑は明治44年に開かれた「大夕張炭坑株式会社」の主力坑。 加南栄坑開坑のいきさつは次のようだ。 昭和2年7月に新六尺坑を開坑、若葉第一斜坑の運搬距離を短縮と、炭層精査のため、若葉坑と新六尺との約中間に加南栄坑を開坑したという。   昭和4…
大夕張炭礦停車場付近(其の一) あらかると

大夕張炭礦停車場付近(其の一)

 当時の夕張を紹介した、大正7年(1918年)発行の『夕張』(小林近江堂発行)という書籍から。  場所は、現在の『三菱大夕張鉄道保存車両』付近。     大夕張炭礦は、三菱礦山合資会社の経営に係り、現在700の鉱夫を使用して年10余万トンの石炭を出す。 炭質すこぶる良好にして瓦斯、骸炭(コークス)等…
大夕張の商店街 その1 あらかると

大夕張の商店街 その1

【南部の商業地】  南部が『大夕張』で、大夕張が『北部大夕張』とよばれた明治から大正にかけての時代。  南部の大夕張炭炭坑に労働者が集まると同時に商売をする人たちも集まってきた。  その頃の話から始まる。      明治39年(1906年)、大夕張炭坑が開坑すると同時に、多数の労働者が入り込んだ。 …
南部 南大夕張体育館 と大夕張健保会館|Kawauchi Masami 思い出の記

南部 南大夕張体育館 と大夕張健保会館|Kawauchi Masami

1989年~90年頃(平成元~2年) 三菱石炭鉱業株式会社南大夕張鉱業所 撮影 体育館内部 娘の空手の練習の様子  三菱大夕張炭鉱に少年工として勤務していた昭和46年頃、三菱大夕張鉱業学校生と少年工(土曜日昼から 授業が有りました)合同で、南大夕張の体育館に行った事が有ります。    南大夕張体育館…
昭和56年洪水と私 |Masami Kawauchi 思い出の記

昭和56年洪水と私 |Masami Kawauchi

1981年(昭和56年)8月の台風。 札幌の中沼にある実家も当時平家でしたが、豊平川が氾濫して床上浸水でした。 トイレも水洗では無かったので、それは大変でした。 あの洪水の後、新築した家は、基礎を高くしてます。     当時、私たちは南部青葉町の住宅に住んでいました。   私たち親子は、南部の体育館…
南大夕張駅と駅名板 運んだ、石炭を人を

南大夕張駅と駅名板

昭和25年、ホームの高台にあった南大夕張駅と駅名板 『ゑんほろーみなみおうゆうばりーおうゆうばり』表記。 ちなみに、シューパロ湖駅は、昭和37年、明石町駅、千年町駅は、昭和25年11月開業。 白黒写真に色付した画像 昭和25年南大夕張駅と駅名板…
三菱石炭鉱業(株)南大夕張砿業所 陳列棚

三菱石炭鉱業(株)南大夕張砿業所

三菱石炭鉱業株式会社南大夕張砿業所「開坑10周年記念」の絵はがき 昭和55年 絵葉書ジャケット 南部地区全景高品位原料炭の山と新鋭設備の選炭機保安関係監視計測装置を備えた中央官制室レンシング・ドラムカッターと自走枠による機械化払従業員社宅街(青葉町)秀峰夕張岳(1.668メートル)と大夕張ダム…
給料袋と給与明細書 陳列棚

給料袋と給与明細書

 昭和60年5月給与明細書【Kawauchi Masami】  南大夕張のなんですが、あの、62人が犠牲になった年月の給料明細と、給料袋がありました。 当時、給料は現金支給でした。  皆さん覚えているかな〜。 昭和56年、 1981年の北炭夕張新鉱の事故93人が犠牲になり、内59人が救出されないまま…