富士見町

礦業所に向かう道 思い出の街角

礦業所に向かう道

 この通りは、手前が礦業所で、そこに向かう道。通勤途中の人たちもみえる。    右手に2階建のアパートが見える。このブロックの前で撮ったのが、『炭砿病院前』の写真。『ふるさと大夕張2丁目3番地』での、自分がはっきり場所を覚えている数少ない場所だ。      右手前に見える木立は病院前の公園があったと…
乳母車でお散歩 楽しかった日々

乳母車でお散歩

 昭和32年頃。富士見町5丁目。線路そば、炭砿病院の近く。  昭和31年3月に、ここで生れた。  年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわいがってもらった。  岡田先生の息子さん、伊藤さんの娘さん・・・・。若林さんの娘さん・・・。  父の職場の炭砿病院の薬局にもよく『遊びに』いった。  接してくれた大人達…
炭砿病院前   楽しかった日々

炭砿病院前  

 昭和35、6年頃 病院手前の踏切のそばにあったブロックの前で、住所的には、富士見町4丁目になるだろうか。道路をわたって、礦業所事務所に向かって5丁目、6丁目となった。(下の地図参照)  近所のブロックに住んでいた『シズコちゃん』は、小学校入学前の頃の自分とよく遊んでくれた。何度も家に遊びに行った記…
ひなたぼっこ 思い出貼

ひなたぼっこ

 昭和37年頃、富士見町5丁目の下あたり。6歳と2歳の兄弟。近所の空き地でゴザを敷いてひなたぼっこ。  このあたりは、小学校入学前くらいまで過ごしていた場所である。ゴザの上に雑誌が置いてあるのが見える。当時、小学館の『よいこ』や『めばえ』という雑誌をみた記憶があるので、たぶん『よいこ』ではないかと、…
窓が埋まって よいしょ 楽しかった日々

窓が埋まって よいしょ

 昭和37年ころ  大夕張の15年間、生れてから2回引越しした。  ここは、炭鉱病院の線路を挟んだ向かい側の、富士見町5丁目のあたりだと思う。ここで生れた。  雪が多く降った。昭和13年、7歳で沼の沢から大夕張に引越してきた母などは、「大夕張ダムができてから雪が多くなった。」と、よくいっていた。  …
そり 楽しかった日々

そり

   『そり』といえば、この赤茶けた台車のような形をした、木製の『そり』しか覚えがない。  台車の下の車輪の代わりに、細い二本の板に、鉄板が打ち付けてあった。  小さいころ、冬は購買会への買い物に手伝いをして、これでみかん箱や、リンゴ箱を載せて運んだこともあった。  力で押すタイプでしかも、重心がや…
冬のそり遊び(昭和35年) 楽しかった日々

冬のそり遊び(昭和35年)

 雪が降ると外へ飛び出す。積もった雪の表面が太陽に照らされてキラキラ輝く。  固まった雪面を踏むとサクッと音がして踏み抜くことができて気持ちよかった。  木製のそり。  竹のストック,毛糸の手袋(すぐに雪が凍みて手が冷たくなった),脚絆(雪が玉になり足に葡萄粒のように連なった)。  それでも雪の中で…
だっこさせて! 楽しかった日々

だっこさせて!

昭和31年頃 富士見町5丁目線路そばの住宅の前で 白黒写真に色付をした画像 近所の女の子が「赤ちゃんを見せて」とやって来て、物干しの下で 抱っこ 小さい頃の思い出【飯田雅人】(2020年2月15日) 大夕張の思い出は遠い夢の中の出来事に等しいものがあります。 近所の「いとうたえこ?」ちゃんといったで…