富士見町

富士見町3丁目33番地 その2 思い出の街角

富士見町3丁目33番地 その2

 昭和43年鹿島小学校を卒業して中学校に入った、その年の5月頃だろう。  後ろには、富士見町の独身寮『啓心寮』  土手下のテニスコートや空き地は、『遊び場』だった。    富士見町3丁目33番、それまで木造の住宅から引っ越し、大夕張で最後に住んだブロック住宅。  家の中は、ペチカがありトイレは和式水…
富士見町3丁目33番地 思い出の街角

富士見町3丁目33番地

   昭和44年(1969年)6月の山神祭。  住所は、富士見町3丁目33番地。  当時住んでいたアパートの前。啓心寮の裏手の土手の上にあった。  後ろに見える窪地は、啓心寮の炊事場の裏手にあたる。    今ではあまり見なくなったご近所さん同士の四方山話。  なつかしいご婦人達の顔ぶれの中に母もいる…
富士見町6丁目の記憶 思い出の街角

富士見町6丁目の記憶

   昭和40年(1965年)頃 富士見町  私が富士見町6丁目に住んでいたのは小学校入学前あたりから,小学校3年生の頃まで。  鹿島小学校から帰る時は、校門を出て大夕張鉄道沿いの道を歩き、そこから山の方の坂道を上った。  反対に、鹿島小学校に行くには、そこから4丁目のあたりまで坂道になっていた。鉱…
お祭り集合写真(富士見町) 街の行事

お祭り集合写真(富士見町)

昭和37、8年頃。富士見町詰所前。 線路をはさんで向こうに健保会館の屋根が見える。 父がお世話役の一人としてうつっている。 男兄弟ふたりがいた我が家だったが、ここにはいない。 特に引っ込み思案で恥ずかしがりの私は、ここにいたとしても、雨のそぼ降るこの日の天気、早く帰りたくて泣きべそをかきながら立って…
そり遊びとボッコ手袋 楽しかった日々

そり遊びとボッコ手袋

昭和35年頃 富士見町5丁目、炭鉱住宅は、ほぼ規格が決まっていた。 このあたりは病院の関係者などが多かった。一軒2戸、横には畑というか雪のない時期には、家庭菜園になるような空き地のスペースがあった。 窓も埋まるような雪が降った後は、その空き地の方に向かって坂を滑る絶好のスペースが出来て、冬の遊びに興…
雪とともに 楽しかった日々

雪とともに

雪の多かった大夕張。今ではほとんど見ることの無くなった木製のスコップ。柄の長い「雪かき道具」 『ジョンバ』とよんでいた。   雪をのせる木の板は3方を板で囲み、雪が落ちないようになっていた。 サラサラ雪の北海道ならではの雪かき道具だったという。   それでも木製の『ジョンバ』は、それ自体けっこうな重…
富士見町6丁目から 思い出の街角

富士見町6丁目から

昭和40年頃、富士見町6丁目の山から鹿島小学校方面をみる。 清水の遊び場  富士見町6丁目は住宅のどんづまり、礦業所のすぐそばという印象がある。住んでいた家の裏手には山が迫り、小学校低学年から中学年にかけて、春夏秋冬ここが遊び場だった時がある。 この写真の真ん中、住宅と山の境目に小さな坂が見える。 …
私が住んだ街 |太田 勢 思い出ばなし

私が住んだ街 |太田 勢

 私が大夕張に住んだのは、小学校2年生からの4年間でした。   両親が夕張出身(遠幌、楓)で、祖父母も夕張に住んでいたので、夕張には小さい頃から何度も行ってました。  そんな私が、父の転勤で初めて住んだ夕張の地が、大夕張でした。   私が住んだのは、富士見町6丁目の一番奥でした(家の裏は沢でした)。…
窓の除雪 楽しかった日々

窓の除雪

昭和40年頃、富士見町6丁目。 一番山の高いところにあった住宅。 遠くに炭鉱病院と、栄、代々木の住宅がみえる。 家族総出で窓の外の雪を取り除き、広げる作業に励む。…
昭和31年 第27回メーデー スキー場横 #6/7 街の行事

昭和31年 第27回メーデー スキー場横 #6/7

昭和31年第27回メーデー 続き写真の一枚。 スキー場横の斜面。写真には、「助手自治会員」とある。 行進を終えて一休み。 煙草を手にする人、あごひげを蓄えた組合の闘士?、学生服姿の小学生、楽器のケース?(なんだろう)らしきものも見える。 グラウンドから富士見町方面に伸びる三本の道路のうち一番山側の道…
礦業所に向かう道 思い出の街角

礦業所に向かう道

 この通りは、手前が礦業所で、そこに向かう道。通勤途中の人たちもみえる。    右手に2階建のアパートが見える。このブロックの前で撮ったのが、『炭砿病院前』の写真。『ふるさと大夕張2丁目3番地』での、自分がはっきり場所を覚えている数少ない場所だ。      右手前に見える木立は病院前の公園があったと…
乳母車でお散歩 楽しかった日々

乳母車でお散歩

 昭和32年頃。富士見町5丁目。線路そば、炭砿病院の近く。  昭和31年3月に、ここで生れた。  年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわいがってもらった。  岡田先生の息子さん、伊藤さんの娘さん・・・・。若林さんの娘さん・・・。  父の職場の炭砿病院の薬局にもよく『遊びに』いった。  接してくれた大人達…
炭砿病院前   楽しかった日々

炭砿病院前  

 昭和35、6年頃 病院手前の踏切のそばにあったブロックの前で、住所的には、富士見町4丁目になるだろうか。道路をわたって、礦業所事務所に向かって5丁目、6丁目となった。(下の地図参照)  近所のブロックに住んでいた『シズコちゃん』は、小学校入学前の頃の自分とよく遊んでくれた。何度も家に遊びに行った記…