昭和26年

鹿島東小の誕生 1951年  あらかると

鹿島東小の誕生 1951年 

終戦直後の国策である石炭増産により、鹿島の人口は急増し、鹿島小学校の児童数は増加の一途をたどった。 大夕張の町も、昭和14年以降、錦・宝・春日の各町が新設され、更に第一農場(明石町駅付近)、第二農場(桜ヶ丘付近)を含めた明石町、常盤町が昭和23年~25年にかけて開町するに及んで、学級数は40をこえた…
昭和26年鹿島小学校から児童とともに鹿島東小学校に移動した先生たち 学び舎の思い出

昭和26年鹿島小学校から児童とともに鹿島東小学校に移動した先生たち

昭和26年鹿島小学校から児童と共に鹿島東小学校に移動した教師(鹿島東閉校記念誌s53) 白黒写真に着色した画像   昭和26年鹿島小から移動した先生方【飯田雅人】 男姓8名、女姓6名の計14名の先生。鹿島東閉校記念誌や、鹿島小の記念誌などの職員の名簿から、お名前を調べたのですが、それらの冊子では、移…
昭和26年鹿島東小学校 学び舎の思い出

昭和26年鹿島東小学校

千年町、シューパロ川そばにあった鹿島東小学校。 昭和26年、開校。木造校舎2階建。鹿島小学校の児童数増加により分離。 千年町、常盤町、明石町、鹿島開拓の児童が、当時13名の教職員とともに鹿島小学校より移動した。 児童たちは、自分たちが使う机や椅子を背負い、教師に引率されて移動したという。   当時を…
1951年(昭和26年) 昭和

1951年(昭和26年)

1月 10日,鹿島裏千家松風会(茶道)設立。萩野恭子(s31年時会員17名)  18日,成人祭記念NHKのど自慢コンクール(協和会館)   2月 カッペ採炭開始。   10日,仮称鹿島第2小学校(鹿島東小)校舎新築工事竣工。    13日,南卸で自然発火,傷者12人。(春) 鹿島開拓団設立。団長吉田…
昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前 思い出貼

昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前

昭和26年頃、大夕張駅前のメーデーの様子 遠くに購買会と健保会館。 メーデーの看板の絵の記憶  【飯田雅人】 左の建物が三菱購買会,その奥に健保会館が見えています。大夕張郵便局の辺りからこの写真はとられたそうです。 大夕張の栄町商店街のメインストリートですが,昭和20年代は私の知る昭和40年頃と比べ…
昭和26年頃 メーデー 大夕張炭鉱労働組合前  思い出貼

昭和26年頃 メーデー 大夕張炭鉱労働組合前 

昭和26年頃のメーデー 大夕張炭鉱労働組合前 メーデーの記憶  【飯田雅人】 左奥の建物が大夕張炭砿労働組合のようで、この場所は向かい側の代々木町のあたりでしょうか。---『萬國の勞働者團結せよ』--- 看板に書かれた今ではほとんど見ることのなくなった旧字体のスローガン。私は,高校や中学校の教科書の…
昭和26年6月 鹿島小学校教職員 学び舎の思い出

昭和26年6月 鹿島小学校教職員

 昭和26年6月、鹿島小学校の中庭にて 多くの先生方が『突っかけ』を履いて撮影に臨んでいるのが、面白い。  また、何人かの先生は、腕に腕章をつけていて、これは、たぶん自分が昭和40年頃在学中にも、そんな先生がいて、当時『日直』または、『日番』と呼ばれる先生が、交代で学級委員をやっていた児童らとともに…