訪問記 2020年大夕張旅写真 ~9~ |今雅秋 官行の大夕張営林署、貯木場があったあたりの道。 1977年からはメタノール工場跡地に日北酵素(現大陽日酸北海道)の夕張工場が進出しアセチレンなどを生産していた。(2001年に苫小牧に移転) 川へ向かう道路が残っていた。 2020年8月27日撮影… 続きを読む
訪問記 2020年大夕張旅写真 ~8~|今雅秋 昨日の『2020年大夕張旅写真 ~7~』につづいて、官行、大夕張営林署の苗圃だった場所。 2020年8月27日撮影 地図の建物配置は昭和33年(1958年)頃… 続きを読む
訪問記 2020年大夕張旅写真 ~7~ |今雅秋 官行の橋を渡った先。 整然と植えられた木の株が、元営林署の苗圃だったことを示している。 2020年8月27日撮影 今さんが、白地図に書き込んで送ってくれた。 上の写真は、下の地図の黄色い枠で囲んだ辺り。 赤い矢印は、前回『大夕張旅写真~6~』の写真を撮影した場所。 自分は閉山になって以後何回も足… 続きを読む
訪問記 2020年大夕張旅写真 ~6~ |今雅秋 かって官行とよばれた営林署貯木場やメタノール工場のあったところ。 橋を渡った先には林道が続き、大夕張の 向こうの崖の上には代々木町が見えます。 2020年8月27日 撮影 代々木町や栄町の上からみると、この橋や橋を渡った先の営林署の苗圃がよく見えた。最も当時、そこがそういう場所だとは全然知らず、… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ川の石採り 昭和43年(1968年)鹿島中学校一年に入学した。 その年の夏のこと、父親に連れられて近所のトシボーと、弟と4人で大夕張炭山駅から奥の『官行』に向かい、シューパロ川の上流に行った。 その経路は、平成10年発電所からポンプ場への中で使った私の手元にあった二枚の写真と、弟が持っていたこ… 続きを読む
思い出の街角 メタノール工場とポンプ場 メタノール工場には、同級生の菊池くん(トシボーと呼んでいた)のお父さんが勤めていた。 近所に住んでいたこともあり、家族ぐるみで仲よくさせてもらっていた。よく父や母と、ご夫婦の故郷である四国の話をしていた。トシボーとは、中学校を卒業以来会っていないが、年賀状のやり取りは今も続いている。 遠足や遊… 続きを読む
思い出貼 C1101 大夕張炭山にて NHKのテレビドラマ『すずらん』や、東映映画『鉄道員(ぽっぽや)』が公開され、話題になった頃、標茶町に展示保存されていた旧国鉄のC11が北海道の大地を走りました。 以前、留萌駅-増毛駅間を走ったSL『すずらん号』や、釧路駅-標津駅間のSL『湿原号』に乗車しましたが、サイズ的にも、… 続きを読む
訪問記 平成10年 発電所からポンプ場へ|飯田雅人 突然よみがえる記憶 官行の道 平成10年夏の大夕張 下の写真は、昭和40年頃の発電所の写真をカラー化したもの。 色はあまり綺麗に出せなかったけれど、それでも初冬の風景なのか、枯れた下草が寝ているような様子に見える。 白黒写真に着色した画像 大夕張を出てからも,私自身の記憶に残る風景や建物は多く… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ川 川遊び 昭和30年頃 本間正雄さんが、シューパロ川上流に泳ぎに仲間といったという際の懐かしい写真。 年上らしい二人の人物がうつっているが、筋肉質のたくましく、がっちりとした体つきをしている。 知り合いの子どもたちをつれての川泳ぎだったのだろうか。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張炭山 昭和45年 白黒写真に着色した画像 大夕張炭山 No.8 三菱大夕張炭鉱ポケット(大夕張炭山) 【奥山道紀】2002/11/21(Thu) 20:27 炭鉱は地下深い切羽から採炭した石炭を斜坑や立坑で、地上へ運び出し選炭後、貨車で各消費地へ送り出します。地上ある巨大な選炭工場や積込ポケット、発電… 続きを読む
思い出の街角 北の零年 ロケ地 (大夕張礦業所跡地) 2004年(平成16年) 夕張市鹿島1番地 大夕張礦業所跡地で『北の零年』の映画が、撮影された。 昭和53年の三菱大夕張礦業所跡地写真。このころ、まだ建物はいくつか残っていた。左下ゲート(入り口)(国土地理院空中写真) セット入り口からみる(かつての礦業所ゲート前) セット奥から入り口に向かって 商… 続きを読む
炭鉱とともに ズリ山 昭和40年頃 採掘された石炭のうち、廃棄する捨て石をズリといい、長年にわたって積み重なった結果ズリ山ができる。同じ炭砿でも、九州辺りの炭砿では、同じものをぼた山と呼んでいるそうです。「ズリ山・ぼた山」昭和30年代、子どもだったからなのか、特に使い分けずに、両方の呼び名で呼んでいたような気がします。… 続きを読む
思い出貼 機関庫 昭和47年頃 SL揃い踏み 【奥山道紀】 大夕張炭山機関区での9600形SLの揃い踏み(昭和47年頃)。 左から「NO.5」「NO.6」「NO.7」「NO.8」「NO.2」、昭和46年6月に閉山間近の三菱美唄より「NO.8」が転入。 昭和47年の「C1101」転出の後、9600形が「NO.2」~「N… 続きを読む
音の風景 取水堰 1998年夏 取水堰にて採録 八つ目 【泊川俊徳】小学校 中学校の頃 ここで良く泳ぎました。プールが子供で満杯で ブツカリ危ないので 夏はここで泳ぎました。どじょう 八つ目等採るのが 上手な人がいて ここに来る途中 他人の畑から イモを少し拝借。 家から 味噌や醤油 豆腐をもちより ナベの真ん中に… 続きを読む
思い出の街角 メタノール工場2 メタノール工場 【T,Aさん】(2006/07/03(Mon) 07:55) 左側の平屋の建物はオペレーターの監視室とポンプ 圧縮機が稼働する変成工場です。 メタンガス、炭酸ガス、水蒸気の混合ガスを触媒を通して800℃に加熱させる反応塔は右側の低い塔です。 水性ガスとしてガスホルダーに… 続きを読む
思い出の街角 メタノール工場 昭和40年 営林署官舎に住んでいました【 K・M(59歳)】(2007/03/05(Mon) 06:57) この工場のすぐ傍、坂の降り口左側にあった営林署の官舎に東高卒業まで住んでいました。 なつかしい! 坂を更に下るとすぐ夕張川、質や粒の良い選炭を採ったり(採取は黙認さ… 続きを読む