楽しかった日々 昭和38年頃 白銀橋 明石町から、当時『開拓』と呼んでいた鹿島白金地区へ向かう橋。『開拓へいく』といったらこの橋を渡っていくというのが、自分のイメージ。 大夕張ダムの建設に伴い、大夕張中の多くの橋が架けかえられましたが、この白銀橋も昭和34年に、奥鹿島開拓地に通じる木製のつり橋が水没することになったため、その補償とし… 続きを読む
街の行事 昭和38年 岳富町の山神祭 昭和38年、岳富町。 山神祭の女の子の手踊り。懸命に踊りを披露する子どもたち。 それを見守る、老若男女多くの人たち。店の中から見ている人、子どもを抱くお母さんや肩車をしているお父さん、おじいさん、おばあさん。とその時、大夕張駅を出発した列車が汽笛を鳴らして通りかかったのだろうか。宝沢の築堤の方を見上… 続きを読む
昭和 1963年(昭和38年) 1月 三菱大夕張鉱が標準作業量の引き上げを中心とする合理化案を提案。 23日,9201号蒸気機関車芦別専用鉄道に譲渡。 30日,芦別専用鉄道より9607号蒸気機関車入線『No.7』。3月 31日,苫小牧港完成により,送炭開始。5月 1日,遠幌駅に売店開業。 5日,バス運賃改定。礦業所~明石町・中学… 続きを読む
炭鉱とともに 昭和38年頃 進発所 昭和38、9年頃 『進発所』、以前は『更衣所』といっていたようです。 昭和40年以降、自家用車での通勤が増え、閉山前には、この駐車場いっぱいに自家用車がとまるようになっていたということです。… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十スキー遠足 AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく… 続きを読む