訪問記 1997年の街歩き 大夕張炭山駅駅舎 1997年 故郷を訪ねての街歩きは、残っていた大夕張炭山駅の駅舎の場所から始った。 そこは、自分が知る大夕張の街の出発点で、この先の営林署や工場地帯の建ち並ぶ「官行」との境目にあたる場所だった。 周辺の草地には線路が通っていた痕跡などみじんもなく、壁も剥がれ落ちていた。 真新しいペンキで塗ら… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 大夕張炭山駅 駅前 1997年の5月に大夕張を久しぶりに訪問した。 それまでにしばしば生れ故郷の大夕張を訪ねて歩いたことはあった。 しかし過疎が進むとはいえ、住民の方々も居て、親戚や知人もすでにない自分はどことなく懐かしさの反面、よそ者のような居心地の悪さと居心地の悪さと、心地よさがが同居したような、一言では言えない妙… 続きを読む
思い出の街角 閉山直後の大夕張炭山駅 活気が失われた炭山駅。 線路枕木が撤去され、すでに雑草が伸び、荒れた印象の写真だ。 故郷の懐かしい駅を知るものにとっては、この写真を鹿島小学校の資料室で見た時には、心地好いものではなかった。というか、そこにあった『閉山直後』とキャプションされた写真の数々は衝撃的でさえあった。 街を地域をこうも破… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 大夕張礦業所 正門前 この写真を含めて、大夕張の住民立ち退きが話題になり「ふるさと大夕張」を始めたころに、夕張市から大夕張の写真を提供していただいた、そのうちの一枚で、これまで大夕張の町の写真などを目にしたことがなかった自分にとって、本当にふるさとにもどったような気がしたものだった。 ここは大人たちの仕事場とい… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 9201 9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。 白黒写真に着色した画像 昭和35年大夕張炭山 入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】 9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。 以来,「920… 続きを読む
炭鉱とともに 婦人たちの行進 昭和30年代、大夕張炭鉱労働組合の主婦会による団体行動。婦人たちに混じり子どもたちの顔も見える。 大夕張礦業所のゲート前に集結するところのようだ。 大夕張炭山駅の屋根のあたりから撮影したと思われる北から街方面を撮影した構図。 冬空の下の組合行動とはいえ、カメラに写る婦人たちの表情に笑顔があり、どこと… 続きを読む
明治 1912年(明治45年/大正元年) 3月 21日,大夕張尋常小学校2教室増築。6月 滝の沢の北方の渓頭に若葉坑開坑。7月 錦坑閉坑。滝の沢抗縮小し,若葉坑に主力を注ぐ。【大夕張炭山近況(北海タイムス8月6日)】従来の施設と将来の計画:松隈鉱長曰へ大夕張炭礦株式会社時代に於る同鉱の施設は一見頗るハイカラ風にして坑内外の経営は略ぼ完成し… 続きを読む