陳列棚 鹿島高校 校章 左右に交差して上に向かう二つのペンの上に 「鹿高」 の文字。 昭和58年(1983年)に閉校になった夕張東高等学校の鹿島高等学校時代(昭和27年~昭和39年)の校章。 夕張北高校鹿島分校が夕張市立鹿島高等学校として独立した年、昭和27年(1952年)に同時に制定された。(作者島正位) … 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの 【線路】 東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 線路 と題する文章。 【線路】 鉄の二本の線路を、 どこにいてもわすれない。 ・・・ いろいろな職場から、 いろいろな地域から、 ある人はバスで、ある人は汽車で… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【机】 前回の、東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 机 と題する文章。 【 机 】 どこに行っても忘れないもの それは机です。 ・・・ 教室の、あの場所に、自分の机が あります ・・・ 本… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【坂道】 当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。 夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。 おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。 どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路 の… 続きを読む
思い出ばなし 本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸 本間商店のおじさんからいただいた、夕張東高のボタン 1997年10月 週末に大夕張へ行ってきました。 ちょうど紅葉が始まっていて、夕張岳の麓も色づいていました。 地元の人に尋ねると、10月10日頃が最もきれいだろうと言ってました。 秋には、一度尋ねてみようと思っている方は、今週末の連… 続きを読む
思い出の街角 高校への坂道 夕張東高校閉校記念誌『岳窓』(昭和58年閉校)より昭和57年(1982年)12月撮影とある。 写真のタイトルには、『バス通りから校舎を眺む』とある。 この写真では写っているかどうかはっきりしないが、目線の先の高台には白い高校校舎が見えていたことだろう。 鉄道跡はサイクリングロードとなり、… 続きを読む
陳列棚 夕張東高等学校ペナント 2種 昭和40年代 どのような形状だったのかわかりませんが、昭和40年代、ペナント類は各種発行されていました。学校として記念行事等の際に発行されたものでしょうか。… 続きを読む
1丁目1番地 校歌よ永遠に 夕張東高等学校校歌 MP3 いよいよ鹿島地区5校、校歌の最後、夕張東高校の校歌まできました。 昭和27年の設立以来、昭和40年に夕張東高等学校と改称されるまでの夕張鹿島高校時代、「かしま」と歌われていた歌詞が「ひがし」と歌われるようになったようです。 私は大夕張幼稚園-鹿島小-鹿島中を卒業し、札幌に出たので、地元の夕張東高校に… 続きを読む