第1編 沿革 第6章 清水沢駅乗入
第6章 清水沢駅乗入
1、 清水沢駅乗入
当鉄道に於ける国鉄との連絡運輸については、従来より新清水沢駅を有し、旅客は約350米の徒歩連絡、更に荷物及び郵便物は荷車をもって運搬中継せしため列車の遅延を来す等不便を免れず。これが緩和のため省線清水沢に列車を乗入のことゝし、
昭和19年8月25日付をもって清水沢駅構内連絡設備変更に関し協定、後本工事を進め終戦により一時中断せしも昭和22年1月、これを完成。同月16日清水沢駅に乗入を開始せり。 同日新清水沢駅を廃止。これに伴い
昭和22年3月1日より旅客及び荷物の営業粁程並びに旅客運賃を改め、省線との連絡運輸は運輸省広報掲載のため若干遅れ4月21日より実施せり。
(1)営業粁程
粁 | 粁 | 粁 | 粁 | 粁 |
清水沢 | 4.1 | 7.6 | 15.8 | 17.2 |
遠 幌 | 3.5 | 11.7 | 13.1 | |
南大夕張 | 8.2 | 9.6 | ||
大夕張 | 1.4 | |||
大夕張炭山 |
(2)旅客運賃
銭 | 銭 | 円.銭 | |
清水沢 | 50 | 80 | 1.50 |
遠幌 | 40 | 1.10 | |
南大夕張 | 90 | ||
大夕張 |
2、 列車顛覆事故
昭和22年9月16日、前夜来の豪雨も止みしが、10粁850米暗梁閉塞のため盛土決壊路線支障しあるを、第2列車(初列車)乗務員が発見急停止するも及ばず、9217号蒸気機関車約10米下の渓沢に落下顛覆大破せるも、機関士及び軌間助手共幸に泥流より脱出事なきを得た。
間もなく機付緩急車も渓流に落下、更に客車も徐々に転倒せしも一般乗客に死傷者なし。
蒸気機関車の引上げ、暗梁盛土工事等昼夜兼行の復旧作業の結果18日深夜に至り工事完了列車を通過せしが、9217号機関車は修理不能のまゝ美鉄に返却後廃車とせり。
3、 鉄道課事務所と大夕張炭山駅新築
予ねて資材課倉庫の一隅に仮居せるも、
昭和22年12月15日大夕張炭山駅構内東側(現炭務事務所南方)に鉄道課事務所及び大夕張炭山駅本屋を併置落成転居。昭和28年12月15日大夕張炭山駅に於て社線内旅客及び荷物取扱開始のため現在地に移築せり。
4、 従業員待遇乗車券制度
戦後労組より申出あった従業員並びに家族に対する当鉄道乗車に関し、
昭和23年4月1日より従業員待遇乗車券制度を制定せり。
交付基準
有効期間は6ヶ月間(各期毎)とし、
前6ヶ月間の稼動日数、坑内110方、抗外140方以上の従業員及び家族に対し、年功1年以上3年未満の者は4片、3年以上5年未満の者は6片、5年以上の者に対しては12片を交付する。
運賃は山許原価で負担鉄道勘定に振替収入することゝし、
1券片に40円とせしも、後20円より10円に減額のため、旅客1人当り運賃及び客車乗車効率低下のため、対陸運局関係に支障を及ぼし本制度廃止すべく努力中なるも対労関係あり未だ廃止に至らず。
5、 遠幌駅一般連絡運輸開始
遠幌駅は従来、旅客及び荷物は社線内扱い、車扱貨物のみ連絡運輸の取扱をせしが、北炭遠幌砿の発展と共に駅周辺に住宅新築、人口も大幅に増加、地区住民より要望もあり
昭和23年6月26日省線との一般連絡運輸を申請、認可を得て昭和24年1月11日より実施せり。
6、 南部開発
国策としての石炭増産に副うべく、当所に於ても南部開発を計画、
昭和22年8月より踏査開始、12月に至り開坑着手、
昭和23年12月送炭開始、
昭和27年7月29日には容量120屯の石炭積込ポケットを設置、
昭和30年4月送炭を終了する迄の6ヶ年に亘り68,000屯を輸送せり。
7、 客車 形式ナハ2
昭和23年7月、戦後増備客車の第2陣として国鉄から鉄道車両会社を通じ改造車を購入、9月入線使用を開始せり。
8、 北夕開坑
札幌鉱山株式会社が北夕鉱業所を開坑、
昭和24年9月16日より5粁388米地点に専用岐線と積込ポケットを新設、石炭の積出を開始。
昭和27年3月18日夕張炭砿株式会社北夕鉱業所と社名変更。
後昭和33年5月頃炭況悪化のため一時閉山問題も起りしが、よくこれを再建、年産6万屯を輸送せり。
開坑当初より運賃支払方法に関し後払契約を締結しおりたるが、
昭和33年10月1日これを解除、現払又は拓銀小切手をもって取扱いたるところ、出炭好調で経営安定のっ兆あり、更に当社買付炭の関連もあり
昭和38年9月1日より再度後払の契約を締結せり。
9、大夕張炭山駅構内流雪溝
冬季降雪期における甚大な除雪費節減の目的をもって、
昭和24年10月大夕張炭山駅構内に、新斜坑の湧水を利用して巾50糎深さ60糎、延長675米に及ぶ流雪溝を設置。水力による構内の雪捨てを行い多大の効果を敗めり。
(延年間除雪人夫 5,700人/2)×@210=598,500円≠60万円
10、 9605号蒸気機関車
昭和25年6月、輸送力増強のため国鉄より9605号蒸気機関車を払下げ入線、9603及び9604号と共に当線の主力として活躍せり。
11、 明石町及び千年町駅開業と大夕張駅改築
昭和25年11月1日、第1農場前臨時乗降場を駅に昇格、明石町駅と改称、同日更に14粁750米に千年町停留場を新設営業を開始、同年12月改築中の大夕張駅新駅舎落成せり。
明石町駅
旅客、荷物及び貨物の社線内取扱を開始せるも、
後昭和28年5月11日連絡運輸取扱い。
昭和37年12月2日経営の合理化をはかり小口貨物の取扱い並びに手小荷物の配達業務を廃止し現在に至る。
千年町駅停留場
旅客駅とし、社線内のみ取扱う。
開業当初、停留場を臨時乗降と混同誤解((丸の中に千の字)表示できない)大夕張の駅名をもって
乗車券を発売。外方の駅までの乗車券を有効として取扱い、
後昭和27年3月15日より連絡乗車券を発売(6着駅のみの常備片道券)せしが、
昭和34年12月1日札幌陸運局より誤扱である旨示唆あり、
昭和35年3月21日より千年町駅として正式取扱いをせり。
昭和38年11月11日、合理化を図り千年町駅を委託駅とし、業務一切を請負とせり。
千年町駅業務委託料
1、基本料金
2、旅客取扱料
イ、普通乗車券 運賃の100分の5
ロ、定期乗車券 〃 100分の4
ハ、団体乗車券 〃 100分の1.8
ニ、着札取扱料 1枚に付 2円
ホ、払戻手数料 1件に付 10円
3、荷物取扱料
イ、有料手回品 1ヶに付 10円
ロ、一時預 全額
4、有料広告
イ、ポスター 1件に付 10円
ロ、額面 1件に付 30円
大夕張駅
昭和24年12月改築着手、昭和25年12月落成。
12、 客車形式ホハ1、2
昭和25年5月、国鉄よりホハユニ2両の払下を受け、旭川同志社にて改造、
ホハ1、ホハ2とし、昭和26年6月入線使用を開始せり。
昭和33年10月、ホハ2のみ三菱芦別専用鉄道に炭砿要員輸送のため譲渡せり。
13、 小口扱貨物一元請負
昭和27年4月1日、経営の合理化を図り小口貨物の受託作業及び積卸作業を日本通運をして一元請負に付せり。請負料金は全額通運業者の収入とするも、貨車使用料金として1ヶ月に付10万円を当鉄道に支払う外、清水沢駅に於ける中継作業料金を負担することゝせり。同年11月1日から上記を改定、、小口貨物社収運賃の38%を貨物使用料金とし、残額62%を請負料金とせり。
翌昭和28年4月1日より貨物使用料金を37パーセントに改定し
昭和29年3月31日まで実施せしが、
昭和28年11月1日、鹿島通運株式会社が通運事業を開始せるため,両者をして入札の結果日本通運はこれを辞退し、鹿島通運が貨車使用料を55%とし
昭和29年4月1日より実施せり。
昭和31年4月1日上記料金を屯建に改定、取扱数料1屯に付き322円を鹿島通運の請負料金とせり。
14、 大夕張炭山駅旅客取扱開始
大夕張炭山駅は開業当初より貨物駅として小口扱及び車扱のみを取扱いたるも、当所従業員の南大夕張、明石町及び千年町駅からの通勤者乗降のため
昭和28年12月16日駅本屋を現在地に移築し、同月25日より社線内旅客及び荷物の取扱いを開始せり。
15、 北菱鹿島炭鉱
昭和27年、北菱産業株式会社が鹿島炭砿を開坑、7月11日、5粁238米地点に専用側線及び石炭積込ポケットを設置、
翌昭和28年3月より送炭を開始せり。
16、 客車形式 オハ1、2
昭和27年2月、国鉄よりオハフ8857の払下を受け、北海陸運工業に於て車体を新製、オハ1として
昭和28年3月入線使用。
昭和29年2月、国鉄よりホハ2401の払下を受け、オハ1と同様北海陸運工業に於て車体を新製、オハ2として同年8月入線、使用を開始せり。
17、 駅売店営業開始
企業合理化に伴う離職者の就職斡旋を図り駅待合室に売店を設置経営をさせることゝせり。
大夕張駅売店 昭和29年1月29日
千年町駅売店 昭和36年6月1日
遠幌駅売店 昭和38年5月1日
但し遠幌駅売店は経営不振のため同年9月30日限り営業休止せり。
18、 竜田沢埋立
昭和28年8月8日竜田沢橋梁(6号)橋脚に亀裂あるを発見、応急処置を行うも、たまたま清水沢・大夕張間開発道路工事との関連あり、橋梁を撤去し線路を山側に20米移設し盛土暗渠とすべく
昭和28年12月中島工業に請負わしめ、
翌29年5月着工11月27日埋立完了新線に切換え、更に明石町寄山側岩盤の切取工事に着手、
30年11月5日完了新線に切換え運転を開始せり。