コークス場
コークス場の記憶 【saitou】
父が発電所で働いていたので、ここを通って時々遊びに行きました。
上の方の小さな窓から真っ赤に燃えた中が見え、子供には少し怖いところでした。
女性も結構働いていたような記憶があります。
コークス場 【奥山道紀】
コークスは石炭を蒸し焼きにして出来るものですが
、その過程でガスが発生します。
大夕張ではそのガスを発電に使用していてコークス
炉に隣接してガスタービンの建屋が背後に写ってい
ます。
今では見ることもないコークス【泊川俊徳】
今の若い人は コークスというものは知らないのではないかと
思います。自分が 大夕張を出てから コークスを見た事は
有りませんが 大夕張に住んで居た頃には コークスを作るところ
を見学した事がありました。 又 石炭貨車で運ぶので 線路に
コークスが落ちていました。 ストーブに入れた事も有りましたが
熱量が高いので家庭のストーブに沢山入れると 高熱に成り危険でした。
現在では 使っている所も有ると思うのですが 一般では珍しくなり
見る事は無くなく成りましたね。
父がつとめていたコークス場 【山本栄子】
高校生位迄 父が勤めてました。
石油等が輸入され コークスの需要が少なくなったせいで、井出組?さんに、渡すという件で、当時父がコークス場の自治会長をしてて、毎晩の様に会社との交渉であっという間に白髪になった姿を思い出します。
未亡人の方達が多くいたとかで、先の生活の心配。組合はそれなりの力があったので 会社側も一方的に通告も出来なかったのでしょうね。
時代の流れが 後の閉山ヘも。
退職後は当時大学生一人高校生二人、経済的に組合専任も無理で札幌ヘ。
コークス場には、夜8時出勤で人手の足りないとき、家族で手伝いに、母と兄、もちろん私は、ついて行っただけ。
窯の前で お絵かきしてました。広い所でした。かなりの重労働だったと思います。
窓からは真っ赤な炎が。
翌日の朝出勤の人が水を一挙に入れると聞いた様な。
同僚の人達、皆仲良く、家族ぐるみの付き合いが続いていましたよ。