昭和45年千年町駅前の通り
昭和45年頃の千年町駅前の通りで、バス通りの裏通りにあたる。
願正寺の向かいの郵便局や交番のある商店街のバス通りは、酒屋や飲み屋、商店が軒を連ね、中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対して、病院、床屋、新聞店、風呂屋などの生活のにおいがする通りだった。
昭和43年の地図では、右手前から、『今井葬祭店』、写真に写るサインポールのある『チトセ理容所』看板のかかる『ポーラ美容院』,そして『ヒカリ家具』となる。
ちなみに今年88歳になった叔母の話では、今井葬祭店には、同級生がおり、よく家で一緒に勉強していたそうだ。その店先にはいつもきれいな花がいっぱいに飾られていたという。
左手前には,『河野歯科医院』。その隣が『井出組』となっているが、『ブリジストン エバーソフト』の看板がかかる。ブリジストンが売り出した寝具用の素材としてエバーソフトは、マットレスや枕に使われたという。
どうやらここは、布団店のようだ。
この通りの突き当たりに見えている建て物、千年町航空写真と住宅地図を参照に考えてみたが、『千歳湯』だろうか、確証はないが、ちょうど『く』の字にまがる角にある建物のように思える。
覚えがある方はいるだろうか?
左手前の建物は、自分たちの年代にとっては、『河野歯科病院』としてよく覚えている。1997年頃、この建物が取り壊しになる直前に写真もとった。
幼少期の頃、『河野歯科医院』には、よく通った。
前歯に広い隙間があり、俗に言う『すきっ歯』で、親が歯の矯正に通わせてくれた。けっこう長いこと治療をうけていた。
ここでは、ブルドッグが玄関の側の犬小屋で飼われていた。怖い顔に圧倒されておびえながら入っていた記憶がある。ブルドッグという犬は、大夕張で初めてみた犬種だった。
歯科に通っていた頃には、思ってもみなかったことだが、実は、この建物は、大夕張の草創期から存在していた建物だった。
昭和3、4年のころ、千年町は、商業の町として、商売をやっていた人達が礦業所の承認を受けて、この地に入った。
鉄道敷設などの土木工事を請け負った『大井組』の大井鉄平氏がここに入り、事務所兼住居としていた。
『河野歯科医院』だった建物は、廃村前には、個人の住宅になっていた。大夕張の最初から最後まで、町とともに存在し続けた建物だった。
最後に『昭和61年(1986年)大夕張の面影』の映像の中にも、一瞬だが同じ構図の場面が映る。下はコマ送りで、スクリーンショットをとったもの。下にリンクを貼っておくので、こちらの映像もぜひ、ご覧下さい。8:46あたりからの千年町の映像で見られます。
風呂屋は馬屋原の銭湯です。
40年代にリフォームしています。
ブルドックも馬屋原さんで飼っていたはずです。
歯医者の隣りは布団屋?では。
この坂道を下ったところに小生の実家がありました
(2021年4月8日)
河野歯科は、私の曽祖父母が大夕張に入植した時に住んでいた家です。
お隣は今布団店、向かいは今井葬儀店だったと思います。
曽祖母は昭和47年12月に83か84歳で他界しています。
閉山の前の年です。
私が小6の時でしたので、色んなことが記憶に残っています。
馬鉄で活躍した(?)曽祖父は、私が生まれるずっと前に他界しているので、母の話でしか知ることができませんでした。
その母も今はもういないので、昔の話聞ける人がいなくなってしまいました。
(2021年4月8日)