楽しかった日々 炭砿病院病室 その3 昭和30年代前半 炭砿病院(三菱大夕張病院)病室にて 白黒写真に着色した画像 汚れも多少修正してあります。 父のアルバムの中かから珍しい炭鉱病院の病室と、当時同室に入院していたと思われる方たちのが写真が有ったので送ります。 炭鉱病院の外観写真は多く見ますが、病室の写真は珍しいと思いま… 続きを読む
楽しかった日々 炭砿病院病室 その2 昭和30年代前半頃。炭砿病院(三菱大夕張病院)の病室。 白黒写真に着色した画像 父のアルバムの中かから珍しい炭鉱病院の病室と、当時同室に入院していたと思われる方たちのが写真が有ったので送ります。 炭鉱病院の外観写真は多く見ますが、病室の写真は珍しいと思います。 眼鏡を… 続きを読む
随想 錦町界隈 模型飛行機 | 曽根幸夫 自作の模型飛行機 昭和36年中学生の頃の思い出です。 小学生の頃から模型作りが大好きでした。 電池とマブチモーターで動く戦車、船、車等を作っていました(マブチモーター(株)今では様々な分野、家電、産業用など広く使われ世界的に有名な会社ですが当時はほぼ模型用モーター専門だったと記憶して… 続きを読む
楽しかった日々 炭砿病院病室 その1 昭和30年代、1955年頃の炭砿病院(三菱大夕張病院)での一コマ。 白黒写真に着色した画像 炭砿病院病室にて 父のアルバムの中かから珍しい炭鉱病院の病室と、当時同室に入院していたと思われる方たちのが写真が有ったので送ります。 炭鉱病院の外観写真は多く見ますが、病室の写真… 続きを読む
2丁目3番地 今さんの写真 その2 だいぶ前に『今さんの写真』で書いたように、多くの貴重な写真を掲載させていただいているリプこと今雅秋さんと昨年の夏、大夕張掲示板をきっかけに連絡がとれた。 17年ぶりのメールの再会となった。 そして昨年(2023年)の秋には、『2020年の大夕張の旅写真』と題する写真を14回にわたって紹介させ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ テレビシリーズ•••サンセット77 | 高橋正朝 #198 自動的にはいってきたユーチューブの映画をチェックしていたら、大夕張の子ども時代に観ていた〘 サンセット77 〙がでてきた。 今までに、何回かチェックしていたのだが、いずれも、オープニングのテーマ音楽と、数編のショートカットばかりだった。 いずれ、誰かが、番組のビデオをユーチ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 釣り 時期になると、シューパロダム周辺から上流にかけて、釣りに来たらしい人の車が駐車してあるのをみかけることがある。今もあのあたりは、アメマスを狙う釣り人たちとって、いい釣り場となっているのでしょう。 アメマス 昔、ワカサギは大夕張ダムでシューパロ湖ができて以来、その名をよく耳にし、地物かど… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り11月 米澤先生の大夕張山歩記も、山菜採りは11月の項で終わり。 むしろあの冷涼だった大夕張で11月まで山菜採りができたことに驚きを感じる。 JA上川のホームページでの紹介によると、「えぞゆきのした」は、えのき茸の原種に近く一般的なえのき茸と比べて、傘は卵色、茎は茶色でコリコリとした歯ごたえ、風味が良く… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り10月 大夕張の10月。 寒い日が続き、下旬頃には初雪も訪れる。 いよいよ冬が迫るころ。 山ブドウの木は、鹿島小学校から山神社に向かう坂道の土手の蔦や枯草が絡まった中に小さな黒っぽい実をつけていた。 我が家では、家に持ち帰っても、親がそれを利用することもなかったので、採って帰ったりはしなかった。 山ブドウ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 9月 秋、9月は、まさにキノコ狩りのシーズン。 ラクヨウは、ハナイグチといい、北海道ではボリボリと並んで、キノコ狩りで人気があるようだ。 自分は、ラクヨウとボリボリくらいしか知らないが、キノコもいろいろな種類や呼び名があり、奥が深い。 自然に恵まれた大夕張の暮らしの中で、愛好家の人たちも多かっ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 7月8月 北海道ではナラタケの別名でボリボリという。 自分は、ボリボリという語感になつかしさを感じる。 「ボリボリとってきたから」と、近所のおじさんからよくお裾分けをいただいていた。 我が家では、味噌汁やてんぷらにして食べるが多く、おいしかった。 住宅地も山の中にあるようなものだから、ちょっと道を外れ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 6月 6月は山菜採りのハイシーズン。 自分の身の周りにも、山菜採りを趣味としている人たちがいて、休日になると毎週のようにでかける。 それぞれ自分のしまをもっていて、その場所はそれぞれ『秘密』のようだ。 山菜採りは人を夢中にさせるようで、『Kawauchiさんの初音沢より夕張岳~竹の子採りの思い出~』… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁と類似の方言•••まける | 高橋正朝 #197 先日、Google が自動的に送ってくるニュースやトピックスの記事を読んでいたら、次のようなものがあった。 マンガで表記されている。 〘 マイナビニュース、方言が伝わらなかった話(28) 〙 この同じ内容のものは、ライブドアニュースでも配信している。 以前、続・大夕張… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 5月 最近は5月に入ると札幌のスーパーにも生フキや、ウド、アイヌネギなど山菜が店頭に並ぶ。 シイタケは食材として色々活用されるが、バター焼きは我が家では弁当のおかずの一品によく入っていた。 アイヌネギは、行者ニンニクともいい、コゴミとともに醤油漬けにして食べた。 大夕張に住んでいたころに山で採った… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り4月 『鹿島のあゆみ』(昭和53年刊)鹿島小学校米澤作朗先生が書かれた文章から。 『大夕張山歩記』というタイトルで、1年間を月別に、大夕張での山菜採りと、釣りについて書かれている。 当時暮らした人たちの身近だった山菜採りや、釣りのことは、こどもだった自分にもその雰囲気が伝わってくる。 下の文中、えぞの… 続きを読む
思い出ばなし エルボンでの踊りの思い出|小野美音子 大夕張文壇の至宝、夕輝文敏様の作品の中に、BARエルボンの名を見たとたん、懐しさで胸が熱くなりました。・・ 私はここで、踊っていた・・・ きれいな着物を着て仲間の女の子達と・・・・ 食費がかさみ兄達の学費のために、踊りのバイトをした・・・・~と、いうわけではありませんでした… 続きを読む
陳列棚 大夕張郵便局 こどもの日 消印 (昭和55年5月5日) 「ふみの日」は、1979年に当時の郵政省が「ふ」「み」と読める23日を毎月「ふみの日」と定め、「手紙に親しむ活動を全国展開したことから始まる」という。 毎年、文月ふみづきである7月23日に合わせて切手を発行している。 昭和55年(1980年)といえば、まさに全国的な規模で「ふみの日」キャンペーン… 続きを読む
陳列棚 大夕張郵便局 平成1並びの日記念 消印 風景印 (平成1年11月1日) 平成1年11月1日、この日平成になって初めて1がカレンダーが並んだ。 その日を記念して記念して発行されたスタンプ帖。 11月11日にも同じように発行されたようだ。 1円切手四枚と41円切手に大夕張郵便局の風景印が添えられている。 平成1並びの日平成の時代に、年月日が1の数字で、4・5連と… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 大夕張の桜 |高橋正朝 #196 私の子ども時代、大夕張の今ごろの季節になると、桜の花が咲き始める。 私の記憶では、6月にも桜が咲いていたはずで、6月に咲いた桜の写真はないものかと、〘 ふるさと大夕張 〙の写真をチェックしてみたら、高橋歌子 さんの〘 キリ助と桜と水仙と 〙という投稿がありました。 … 続きを読む
随想 まぼろし!大夕張の食べ物 |久々湊真一 時々無性に食べたくなる大夕張の食べ物について、思いつくまま書いてみます。 大夕張だけの物なのか、道内各地でポピュラーな物なのかは、不明。 内地に来てからは、全く見かけません。 <ボリボリ> この茸は、味噌汁の具として食べた。 ナメコと椎茸の中間位の大きさで歯ごたえが良かった(ボリボリと… 続きを読む