昭和29年7月稚児祭 細川新聞店前

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 昭和29年7月18日の稚児祭。

 明治43年(1910年)生まれの私の祖母と昭和21年(1946年)生れ、当時8才だった叔母の姿も写っている。

 場所は千年町の細川新聞店前。

 写真には、色鮮やかな着物や被り物で着飾った子どもたちを中心に、法衣姿の住職さんや、世話役、親御さんらしき人々の姿が見える。

 新聞店の前には、「北海タイムス」など、各新聞の広告塔や、雑誌「主婦の友」の幟がたち、街の賑わいぶりが想像される。

 祖父のアルバムには、千年町での集合写真(高田商店前と、この細川新聞店前)、そして、線路沿いの道路を行列を組んで歩く姿を記録した3枚の写真が残っている。

 願正寺(千年町)の行事だったようで、集合場所から、お寺まで列をくんで歩いたとのこと。

白黒写真に着色した画像

 ところで細川新聞店は、、「大夕張消防署千年町分遣所前」にあった。

 「大夕張劇場(のちにパチンコ屋)と千年町分遣所」の道路をはさんで向かい側にあった四つの商店。大夕張の終末期、解体されるまで、高田商店を除く三軒の建物が残っていた。

 永原呉服店は、閉山前に山口呉服店となった。大井商店は、蔵のある大きな商家だった。このあたりは、千年町の中でも、ひときわ大きな建物が立ち並ぶ印象だった。

  

 

昭和29年7月18日 稚児祭 千年町 細川新聞店前での集合写真 後ろの広告塔や、雑誌の幟も今では珍しい

 平成10年(1998年)2月に発行された「ふるさと誌」には、最後の住民の方々の個人史がのっている。

 ここで、最後まで暮らしていた日向さんのページには、文章はなく、ただただ、愛おしげに永年過ごした、冬と夏の我が家の写真のみが掲載されていたのだった。

 

「冬の我が家」

 

「夏の我が家」

 


稚児行列 【田中 紀子(馬屋原)】

 この場所は、千年町の旧細川宅(日向)前です。
 向いには、千年町消防所がありました。
 幼い頃、私もお稚児さんの冠を付けて町を歩きました。

 
 手をつないで歩いた、幼友達の片岡久代さん(チャーちゃん)と、冠が、からんで、大変でした。

 お寺(願正寺)に着くまでに、何回も直してもらいました。

 
 お互いに小さかったのですね。 

 今は思い出、現在62歳のおばあちゃんです。


  

細川新聞店 【久々湊眞一】


 細川新聞店前です。チラシを届けに通ったのを、思い出しました。


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