あらかると 1997年の街歩き 閉山後の誘致企業 写真は、イサオ製作所。 旧礦業所事務所のゲートを入って、敷地内に入ったところ。 開け放たれた扉に向かって、広く道が続いていた。 1997年5月この時、工場はまだ稼働しているようだった。 イサオ製作所夕張工場(旧三菱大夕張礦業所事務所) 1973年の閉山後した後、大夕張に残った住民… 続きを読む
あらかると 夕張シューパロダム本体着工へ(平成17年度) 以下の資料、今手元にないので詳細は不明だが、記憶では、平成17年(2005年)頃、江別の石狩川夕張川周辺にあるたまたま立ち寄った施設で入手した。 北海道開発局の河川事業のPRの広報誌で、一般向けに掲載されていた『夕張シューパロダム本体着工へ』のお知らせ。 … 続きを読む
あらかると 大夕張ダム(二股ダム)工事着工 昭和30年頃 大夕張ダム工事に伴って、森林鉄道移設工事(三弦橋架設工事を含む)や、三菱大夕張鉄道の付け替え工事、水没する炭住の移転、各町を結ぶ橋の移設などが、同時に進んだ。 写真にうつる壁のような建築物は、はダム本体のややシューパロ川上流に作られた仮締切。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
あらかると ダニ峠の物語 伝説狐つき むかしむかし、大夕張が南部で、その南部に大夕張炭坑があったころの大正時代のはなし。 ダニ峠で行方不明になった数え年五歳の男の子が発見されるまでの顛末。 『二十年史』(大夕張労働組合)の第一編南部大夕張時代から蒐集。 伝説 狐つき 大正末期、南部にも流行歌が唄われ始めた。 逢いた… 続きを読む
あらかると 本流越 大夕張と夕張の間にある標高875メートルの山を著者の小林政雄さんは、『本流越』と呼んだが、地図やその他でその名前を探すと、幾筋の流れ出る川の名前とともに、山頂をしめす地図記号と標高点の873.6の文字だけが書かれていて、山の名称は書かれていない。山は俗称と言われるものがあるが、その一つだっ… 続きを読む
あらかると 白銀橋と古のシューパロの流れ 前々回、『白銀橋上から古のシューパロの流れ』の写真と反対側にあたる。 川の流れでいえばシューパロ川の下流方向から白銀橋を見ている。 2005年撮影 今は湖底にその姿を留める この写真も2005年頃、夕張シューパロダム工事関連の一つとして大夕張ダムの湖水が抜かれた時に撮影した画像。 … 続きを読む
あらかると 白銀橋上から古のシューパロの流れ 訪れるといつも満々と水を湛えていた印象の強い白銀橋周囲のシューパロ湖だったが、2005年にダム湖の水を抜いたことがあった。 その時、白銀橋の上から撮影した写真。 橋の白金寄りのところで北に向けてシャッターを切った。川伝いに左側(上流)に向かえば、明石町方面に出る。 湖水を抜いたとあ… 続きを読む
あらかると 開拓橋建設と共栄橋の位置 ふるさと誌「しろがね」から。 以前掲載の「共栄橋」を渡る人物と同じ、服装や雰囲気から同じ日に撮影された写真のように見える。 Tokio Tanikawaさんのお父様が写っているというコメントがFB版であった。写る人物は谷川さんらしい。 写真には、「白銀橋の建設作業」(昭和34年頃)とい… 続きを読む
あらかると 共栄橋の建設の頃 先日、掲載した明石町と開拓を結んだ「共栄橋」の話題の続き。 ふるさと誌「しろがね」(平成9年発行)には、開拓に入った方々の当時の思い出が寄せられている。 その中に、田坂啓一さんという方が、開拓当初、住んでいた大夕張から開拓の畑に向かう様子や、共栄橋を建設するまでの思い出を具体的に書かれ… 続きを読む
あらかると 大夕張の企業『鹿島通運株式会社』(昭和36年夕張市の企業と名士録より) 遠幌営業所 【所在地】 夕張市鹿島一番地 (電話)大夕張局100番) 【代表者】 田中剛一 【資本金】 三百万円 【設立年月日】 昭和28年11月1日 本間常務 【主たる役員】 取締役社長 田中順一 常務取締役 本間昌吉 取締役 成相淑 古賀秀雄 沢田金二 小野猛郎 【事業の経… 続きを読む
あらかると 大夕張の企業『北菱産業株式会社 鹿島炭礦』(昭和36年 夕張市の企業と名士録から) 鹿島炭鉱全景 【所在地】 夕張市南部二三番地 【代表者】 田中剛一 【資本金】 一千万円 古賀鉱長 【主たる役員】 取締役社長 田中 剛一 同 常務 古賀 秀雄 同 中村 隆吉 【会社設立年月日】 昭和27年6月15日 北菱鹿島事務所 【事業所】 夕張 = 鹿島炭鉱、香取炭… 続きを読む
あらかると 大夕張の企業 三菱大夕張礦業所 (昭和36年 夕張市の企業と名士録から) (大夕張礦業所) 【位 置】 三菱大夕張礦業所は国鉄清水沢駅より、北に17.5キロ離れた鹿島一番地にあり、夕張川の上流海抜319メートル、やや平坦な地形をなしている。 【沿 革】 同鉱の発端は、明治31年であるが、同39年現在の南部に事務所を置き、京都合資会社が開発に着手した。 大正… 続きを読む
あらかると 駅名板|奥山道紀 千年町の木造の駅名板の写真拝見しました。 去年、南部で保存会・シューパロ塾共催で勉強会を開催した時、南大夕張駅の助役であったSさんが昭和30年頃の駅の写真を持って来ていました。 その駅名板も木造・手書きでなにか暖かみのあるものでした。 いつ頃から鉄製のものに変ったのでしょうか。 … 続きを読む
あらかると 釣りテングでにぎわう里美公園 サトミ公園(=里美公園)は、常盤町の鹿島中学から歩いて近くにあったこともあり馴染み深い。 秋になると、紅葉が満開となり、釣りやボート遊び、紅葉狩りにと、数多くの大人や子どもたちが水辺の小さな公園に集った。 昭和38年10月の新聞記事がその様子を伝えていた。 釣りテングでにぎわう… 続きを読む
あらかると 鹿島中学校 歴代校長 初代内山清治1947年(昭和22年)5月~2代河合 清1950年(昭和25年)4月~3代萱場武夫1954年(昭和29年)9月~4代天野光二1959年(昭和34年)3月31日~5代金田 潔1963年(昭和38年)8月~6代畑山喜久雄1966年(昭和41年)4月~7代安孫子美義1967年(昭和42年)4… 続きを読む
あらかると 鹿島東小学校 歴代校長 初代 猿倉義松1951年(昭和26年)6月~2代 外山留五郎1957年(昭和32年)4月~3代 中山長一1960年(昭和35年)4月~4代 竹田辰雄1966年(昭和41年)4月~5代 木村四郎1969年(昭和44年)4月~6代 今井欣一1975年(昭和50年)~1978年(昭和53年)鹿島東小学校 … 続きを読む
あらかると 鹿島小学校歴代校長 初代 佐藤勇蔵1928年(昭和3年)10月~2代 佐々木久五郎1931年(昭和6年)4月~3代 伊沢豊久1933年(昭和8年)4月~4代 内山清治1944年(昭和19年)7月~5代 亀井茂房1945年(昭和22年)5月~6代 横路時男1950年(昭和25年)4月~7代 石垣貞司1952年(昭和27年… 続きを読む
あらかると 2014年 夕張シューパロダム湛水による大夕張の水没状況 2014年に、夕張シューパロダムが試験湛水した時のダムの貯水位と大夕張の水没状況の写真。 最下段の大夕張全体の航空写真の上に、貯水位ごとに三段に並べて、地区ごとに比較できるようになっている。 上段から、 上 貯水位 301.5m 中 〃 296.3m 下 〃 288,7m … 続きを読む
あらかると クマが出没 おおさわぎ 秋になると、羆は餌を探しに里に下りてくる。 山の寝穴に引き釣り込まれたら最期生きてはもどれないとと大人達に言われていた。 大夕張の子どもたちは、けっして山の懐深くには入らないようにと、周囲の大人達から言い聞かされた。 この時期、9月から10月にかけて、餌を求めて熊が山から降りてきてことはあったよ… 続きを読む
あらかると 明石町の歴史 明石町の辺りは以前は、戦前は農場と呼ばれ、その後、第一農場とよばれていた(第二農場は、桜ヶ丘対岸→大夕張ダムで水没)と呼ばれていた。 このあたりには、戦争前後の話として、畑地として土地をかり、笹刈りから、大根の種まき、収穫まで家族総出で荒地開墾をしながら、食料を得ていたという祖父の話… 続きを読む