戦後の大夕張炭鉱鉱員住宅

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 戦後、石炭産業で働く人が増えることに応じて、春日町(昭和23年)、常盤町(昭和25年)に、新しい街ができた。春日町の住宅は、一棟2戸の内水道内便所で、部屋も六畳間が三つと妻帯者を中心に入居したという。

 

 町外れの荒れ地に新しく炭鉱住宅が建設された。

 その建設を担った大林組の社史に、記述がある。


 戦争直後、産業復興にとって不可欠な石炭、電力のエネルギー源も、いちじるしく不足していた。

 そこで、政府はこれを解決するため、「傾斜生産方式」により、鉄とともにこれらエネルギー源の開発に特別な保護を加えた。

 これによって、石炭産業は急速に伸長したが、当時、大林組が炭鉱労務者のために建てた住宅(炭住)も数多い。

 その最盛期は、昭和二十二年~二十三年で、北海道では大夕張、日東美唄(以上三菱鉱業)、雄別茂尻(三菱地所)、歌志内、奔別(以上井華鉱業)、九州では鯰田(三菱鉱業)、大之浦(貝島炭鉱)などの炭住や病院等を施工した。

 (大林組八十年史 第3編戦後の再建と新発展の時代より)

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