思い出の街角

千年児童公園 思い出の街角

千年児童公園

  昭和45年頃、千年児童公園 白黒写真に着色した画像   千年児童公園は通学路  【飯田雅人】 夕張市千年児童公園と公園の門にプレートがかかっています。 中学に通っていた頃,いくつか通学に使うルートがありました。鹿島中学から常盤橋を渡り,東小学校の前のジャリ道を通り,所商店の手前,大夕張教会を過ぎ…
冬の炭住 思い出の街角

冬の炭住

冬の炭砿住宅。   真冬の厳冬期にしては積った雪の量は少なくみえる。雪の降り始めか、春近い雪どけ期か。 場所は、大夕張かどうかも含めてはっきりしないが、後ろの山と住宅の並びの感じが緑町や、宝町あたりの感じにとても似ている。   ちなみに物置小屋にプラスチック製のスノーダンプ(ママさんダンプともいう)…
閉山直後の大夕張炭山駅  思い出の街角

閉山直後の大夕張炭山駅 

活気が失われた炭山駅。 線路枕木が撤去され、すでに雑草が伸び、荒れた印象の写真だ。 故郷の懐かしい駅を知るものにとっては、この写真を鹿島小学校の資料室で見た時には、心地好いものではなかった。というか、そこにあった『閉山直後』とキャプションされた写真の数々は衝撃的でさえあった。   街を地域をこうも破…
三菱バス車庫と炭砿病院 思い出の街角

三菱バス車庫と炭砿病院

昭和45年頃。 海抜318メートルにある街の上空半分を低く垂れ込めて覆う厚い雲。     雲の合間からさす強い陽射しがまぶしい。   大夕張の暮らしを思い出す。       白黒写真に着色した画像      バス車庫の思い出など  【飯田雅人】 黒い雲がおおう空。影できていることがから日差しはあるよ…
三菱大夕張炭砿労働組合 組合事務所 思い出の街角

三菱大夕張炭砿労働組合 組合事務所

三菱大夕張炭砿労働組合解散記念誌『未来にむかってたくましく進もう』から。 本の最初には写真が何点か載っている。   最初の写真は、大夕張の神社からの町の全景が折り込まれている。 その次のページに、「三菱大夕張」と中央に大きく描かれた炭労の旗と、昨日の取り上げた昭和48年月の解散パーティに集まった7人…
昭和40年 大夕張礦業所 正門前 思い出の街角

昭和40年 大夕張礦業所 正門前

 この写真を含めて、大夕張の住民立ち退きが話題になり「ふるさと大夕張」を始めたころに、夕張市から大夕張の写真を提供していただいた、そのうちの一枚で、これまで大夕張の町の写真などを目にしたことがなかった自分にとって、本当にふるさとにもどったような気がしたものだった。     ここは大人たちの仕事場とい…
錦町2丁目 スモモの木 思い出の街角

錦町2丁目 スモモの木

    昭和28年(1953年)頃 錦町2丁目2番にあった家の庭のスモモの木。   4月に鹿島東小学校への入学を控えた新1年生の男の子と、母の記念写真。     このスモモの木の下を錦町から泉町、大夕張方面に行く人が毎朝夕、通って歩いたという。     写真の左手、上り坂になり、1丁目3番と2丁目の…
湖畔亭での食事風景 食後の一服  思い出の街角

湖畔亭での食事風景 食後の一服 

食後の一服。 1960年に発売開始された昭和の大人気たばこ、『ハイライト』のパッケージがテーブルに置かれている。 昭和45年に80円に値上げされたというが、この時は発売当時の70円という値段だっただろう。   前回の『湖畔亭の食事風景 古新聞紙のエプロン』では、一見小部屋風にみえたが、湖畔亭の飲食ス…
湖畔亭での食事風景 古新聞のエプロン 思い出の街角

湖畔亭での食事風景 古新聞のエプロン

   シューパロ湖畔の『湖畔亭』、ラーメンや、カレーライスの話は、『思い出ばなし』にも出て来た。。  写真は、北海道名物ジンギスカンである。  ふるさとの「雄大な夕張岳と青く輝くシューパロ湖」を眺めながらのジンギスカンは、格別だったろう。       新聞紙に穴を開けて、そこから首を出して、遊んでふ…
鹿島小学校から鹿島東小学校方面 思い出の街角

鹿島小学校から鹿島東小学校方面

  昭和40年頃、大夕張神社からの遠望。 神社の山の木々の間に鹿島小学校,宝沢の築堤の向こうに岳富町商店街。 そして遠く千年町、シューパロ川近くに鹿島東小学校グラウンドと、高台に見えるのは、桜・青葉荘か。   西日が商店街や校舎を照らし、眩しく照り返す。     白黒写真に着色した画像       …
道路開通記念碑前にて (2) 思い出の街角

道路開通記念碑前にて (2)

昭和42年頃のシューパロ湖畔。 道路か開通記念碑は、南部-明石町間の道路開通を記念して、昭和37年10月に建立。それから5年程立った頃。   ダムによってできたシューパロ湖は、富良野芦別道立自然公園の一画として風光明媚なその風景を印象づける。   数年後、三菱大夕張炭鉱の閉山を知る由もなく、新しくで…
道路開通記念碑前にて 思い出の街角

道路開通記念碑前にて

     昭和42年頃。  下の今さんのコメントにもあるように、一行4人が、シューパロ湖畔を訪れ、湖畔亭で食事をした際に写真をとった。    当時の道路開通記念碑は、湖畔亭横の小公園に、湖を背に立っている。    シューパロ湖と道路開通記念碑を背景にした記念写真。      白黒写真に着色した画像 …
常盤町の跡 その4 詰所の池 思い出の街角

常盤町の跡 その4 詰所の池

鹿島中学校に向かう坂の途中、暁橋からの道路と合流地点、常盤町の詰所があり、周囲は庭園風の庭があった。 そこの池があったところだと思われる。   以前、菅原さんの写真からの『常盤町詰所の池?』で書いたように自分の記憶では、まさにここが詰所の跡であった。 詰所の反対側のやや高台になっている道路から撮影し…
常盤町の跡 その3(中学校からの坂下) 思い出の街角

常盤町の跡 その3(中学校からの坂下)

鹿島中学校の校門を出て『中学前』のバス停から坂を下ると、大きく右に回る道。 川と道路の間にあった住宅地の跡は大夕張の旧住宅地がどこもそうであったように、木々に覆われている。    道を先に進むと常盤橋がかかり、渡るとサトミ公園があった。 明石町方面からの生活道路とされていた頃、常盤橋を渡り、このあた…
常盤町の跡 その2 (暁橋) 思い出の街角

常盤町の跡 その2 (暁橋)

前回の鹿島橋からシューパロ川の流れに沿って進むと道は、ここで、常盤町の詰所に向かって住宅地の中を進む道と、そのまま川に沿って常盤町の周りを行くに分かれた。   何れにしても二つの道は、詰所の前のあたりで、合流することになり、常盤町の鹿島中学に通った自分は、この常盤町を横断して詰所に向かう道を毎日歩い…
常盤町の跡 その1 (鹿島橋) 思い出の街角

常盤町の跡 その1 (鹿島橋)

今回から四枚ほどの写真を紹介していく。 これらの写真は、『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』の写真掲示板のデータに残る投稿写真だ。 写真掲示板は、誰でもコメントとともに、写真を投稿できた。 これから紹介する写真は、その『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』に投稿していただいた(した?)写真。       …
宝町 標語塔と住宅 思い出の街角

宝町 標語塔と住宅

1990年代、夏。 すでに炭鉱はなく、立ち退き間近な平成の頃。   宝町から岳富町へ続く緩やかな坂道の入り口ともいえるこの場所。   昭和43年の住宅地図や航空写真によれば、ここは宝町一丁目。炭鉱住宅が6棟建っていた。     かつて、ここの狭い空き地で三角ベースの野球を毎日のようにやっていた子ども…
栄町ブロック 思い出の街角

栄町ブロック

栄町ブロック、手前で工事しているのは、栄町プールのあたりだろうか。そのあたりから撮影した写真のようだ。 『栄町1丁目の通り』と題した写真と同じ頃のように見える。   白黒写真に着色した画像     昭和30年代中頃 栄町ブロック 奥に購買会が見える   同じ頃の栄町の通り。 藤田育雄さんから送ってい…
雪降る鹿島小学校グラウンドから  思い出の街角

雪降る鹿島小学校グラウンドから 

1990年代、雪降る鹿島小学校グラウンド その3からその5 までを、最後に一枚につなげてみた。 鹿島小学校前から、グラウンドの北東隅にかけて、かつての大夕張駅構内線路側の風景。 閉山から20年、当時の面影をのこす。 雪が降りしきる冬のグラウンド。       1990年代      …
雪降る鹿島小学校グラウンド その5 思い出の街角

雪降る鹿島小学校グラウンド その5

雪降る鹿島小学校グラウンド。大夕張駅だった建物が左手に。そして鹿島生活館の屋根が見える。 ここは、グラウンドを歩いて鹿島小学校の玄関の方に戻ってきたのか、最初からここからの撮影だったのか・・・それはわからない。   冬休み中のグラウンドには誰一人いなかっただろう。   1990年代    右手電柱の…