思い出の街角 大夕張駅の見送り 昭和39年頃 炭砿合理化で炭砿を去る人たちを見送る人々。 言葉にならない心の声が聞こえる。 「新しい土地でも、頑張れ」、「元気で暮らせ」、「いつかきっと、また会おう」・・・・ 先頭で被っていた帽子を振る男性の表情が、別れのすべてを物語っている。 白黒写真に着色した画像 職場の同僚、ご近所… 続きを読む
思い出の街角 雨上がりの購買会栄町支所 昭和45年頃、購買会栄町支所。栄町の購買会。 写真は、栄町アパート前から。 この通りの先を行くと、炭砿病院、礦業所方面。 購買会の向こうに見える富士見町の四軒入ったブロックは、『炭砿病院前』の頁で、シズコちゃんと一緒に父に写真を撮ってもらった場所だ。 冬になると,この通りの道の両側には… 続きを読む
思い出の街角 加川写真館 昭和50年代に撮影された加川写真館(岳富町)。 加川写真館と、左手、隣にあった八幡商店との暗い小道を行くと、奥に古物商があり、宝沢のトンネルの側を通って、春日町や、宝町に行く坂道にでることができた。(道(春日町~宝町)参照) 建物は、この写真では、いささかくたびれた感は否めないが、昭和40… 続きを読む
思い出の街角 神社下から夕張岳 昭和31年5月、メーデーの日。土手に座っている人々が見える。 『昭和31年 第27回メーデー』の中の写真のうちの一枚かもしれない。 白黒写真に着色した画像 神社下からテニスコート越しに夕張岳をあおぎみる 『昭和31年 第27回メーデー』は次のページから https://ooyubari.co… 続きを読む
思い出の街角 下夕張(旭ヶ丘)開拓地 昭和20年。 家族にとって、写真屋を呼んで何か特別な日だったのだろうか。 男達は直立不動で、家族は全員正装し、ゴザに正座している。 後ろは崖のようになっていて環境の厳しさが感じられる。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
思い出の街角 初音沢 木材工場 住宅地が広がっていた礦業所南側。礦業所から奥の北側。 白黒写真に着色した画像 初音沢には木材チップ工場など,木材関係の工場があった。そのうちの一つ。 遠くに礦業所方面が見えているが、やや高台になったそのあたりは初音台といわれていた。 写真奥の建物は、手前、機関庫、奥にコークス場・発電所と見える。 写… 続きを読む
思い出の街角 炭焼き小屋の前で 昭和20年、下夕張(旭ヶ丘)開拓地。 筵を敷き動物の毛皮の上に座り、くわえ煙草。 赤ん坊を抱っこして、蓄音機を並べた写真撮影。撮影は、当時大夕張でただひとつの写真屋だった、加川さん。 写真屋さんがくるというので、珍しかった蓄音機をわざわざ持ち出して一緒に撮ってもらったという。 悠然と… 続きを読む
思い出の街角 送電塔のあたり 冬 快晴 。 場所不明。 送電塔のあたりを写したのだろう。送電塔の記憶は、発電所から礦業所の裏山に伸びていく送電線と、春日町の対岸にそってあったような気がする。 やはり春日町のあたりだろうか。 白黒写真に着色した写真… 続きを読む
思い出の街角 春日グラウンド 昭和40年頃。 春日町から春日橋を渡ると、春日グラウンド。誰が名付けたのか、ひとよんで「便所場(べんじょば)球場」 奥にバックネットが見える。崖の向こうの街は千年町方面。土を盛って造成された様子がよく分かる写真 だ。昭和30年代、自衛隊によって造成されたという。 この土地は、一時、鹿島高校(… 続きを読む
思い出の街角 南大夕張貯木場と森林鉄道SL 昭和10年代半ば 南部。 南大夕張貯木場 森林鉄道SL『7号』 白黒写真に着色した画像 南大夕張貯木場と森林鉄道SL 【奥山 道紀】(2005年4月23日) 夕張岳山麓の三菱大夕張鉄道の大夕張炭山(通洞)、南大夕張、遠幌(短期間)の各駅からは、かつて森林鉄道が、さらに奥地へと延び切り出された木… 続きを読む
思い出の街角 昭和27年 常盤町山神祭 山車置き位置 |岩田直彦 昭和27年5月ですと、小生は8歳で小3年になった頃の写真ですね! 私も山神祭に参加していたのか、記憶は定かでないですが、同級生の男の子が写っていますね。 写真上部の中央~右側の2軒続きの炭住の右側(青枠内)は小生家族の居宅でした。 撮影した山車が置かれている場所は、常盤町の岩野商店から暁… 続きを読む
思い出の街角 斎藤商店付近 昭和47年頃だろうか、特徴的なハンドルの自転車に乗っている子どもたち。 千年町、斎藤商店付近。 この先のゆるやかな坂道を降りていくと、鹿島東小学校があった。 赤い郵便ポストが店頭に置かれ、日糧パンの看板がかかる、斉藤商店。 小学生の頃、千年町の教員住宅に住んでいた従兄弟の家では、米から作る… 続きを読む
思い出の街角 夕張東高等学校 教員住宅前 昭和40年頃、夕張東高の工藤先生と、ご子息。明石町、夕張東高校の教員住宅前。 白黒写真に着色した画像 これは高校の校門脇、工藤~坂井の住宅を写したところです。… 続きを読む
思い出の街角 町を背に 神社にて (昭和37年) 白黒写真に着色した画像 昭和37年10月、大夕張を訪ねて 昭和37年10月9日 大夕張全体を見渡せる場所。大夕張を出た人々が、大夕張を訪れたときには必ずここを訪れる。 祖父の思い出 【飯田雅人】 この写真にうつっているのは、私の祖父の長谷川安造です。祖父は鹿島小学校の教員(昭和13年~昭和31年)で… 続きを読む
思い出の街角 協和会館 掲示板前 『第34(?)回メーデー』と書かれたポスターに見入る中学生。第34回なら、1963年(昭和38年)5月。 掲示板の前にポスターが立てられ、多くの人達が集まっている。近くの大人達が巻かれた組合旗らしきものをもっている。 メーデー行進の前後の風景だろうか。ここは、労働組合事務所の前でもある。 … 続きを読む
思い出の街角 千年町バス通り(富田商店・割烹スミレ・ 井若たばこ屋) 昭和38年 千年町のバス通り。まだ雪の名残の残る頃。 場所的には、相馬屋旅館の向かい側といえばいいだろうか。右に行くと、千年町駅、願正寺方面、左に行けば鹿島東小学校方面である。 3軒商店が見える。 右は、『井若たばこ屋』 「たばこ」、「煙草小売所」などの懐かしい看板が目につく。窓のショ… 続きを読む
思い出の街角 歩道橋下から駅前方面 左手の火の見櫓の手前に歩道橋の下の部分が影になって見えている。右手には、歩道橋の階段と、そこに幕を張ろうとしているような、作業員の姿が見える。そして、右の手前の建物の上に掲げられていた『拓銀』の大きな看板もすでにない。拓銀は、昭和45年に撤退してしまった。 歩道橋の下の歩道にたって、正面に見… 続きを読む
思い出の街角 錦町から泉町 久々湊印刷あたりから、泉町の窪地の方に向かって撮った写真。下に久々湊さんが書いていたが、カラー化して奥の浄水場の辺りもよくわかり、神社への参道も見えていた。 高台の錦町の住宅からの崖は、当時よくみられた石炭の、灰捨て場になっている様子がみえる。 泉町から登ってくる坂道に人が立っているのが見える… 続きを読む
思い出の街角 暁橋を見下ろす千年町の崖の上 昭和40年頃 この場所 千年町の崖の上。私の『思い出の場所』ピンポイントの画像。 千年町のバス通りから、大夕張劇場と、サトミ会館の間の道を南に向かって進むと、千年町の崖の上にでる。ここからは、常盤町一帯を見晴らすことのできる気持ちがいい爽快な場所だ。そばには、高い電柱の上に大きなサイレンもあっ… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年千年町駅前の通り 昭和45年頃の千年町駅前の通りで、バス通りの裏通りにあたる。 願正寺の向かいの郵便局や交番のある商店街のバス通りは、酒屋や飲み屋、商店が軒を連ね、中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対して、病院、床屋、新聞店、風呂屋などの生活のにおいがする通りだった。 昭和43年の地図では、右手前… 続きを読む