続・大夕張つれづれ 赤胴鈴之助|高橋正朝 #10 『 《 さゆり、吉永小百合。 (•••数人の名前•••) 。 語り手、山東昭子 》 』 私の年代にはすぐわかる。 これは、 『 《 う〜む、チョコザイな小僧め、名を、名を名乗れ 》《 赤胴鈴之助だ 》 』 というラジオ番組です。 スポンサーの CM ソングは、『 ニッスイ、ニッスイ、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ アパートちゃん |高橋正朝 #9 私が、鹿島東小学校の1年生のときに、我が家にラジオがあったかどうか定かでない。 当時としては、簡単に購入できる品物ではない。2年生になって夏休みが始まるころには、ラジオは茶箪笥の上に鎮座していた。 NHK 第1放送と第2放送は、わりとよく聴こえたのだが、他の民間放送局の番組は、日によっては雑音… 続きを読む
続・大夕張つれづれ マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8 私が鹿島東小学校1年生のときは、我が家では、まだ定期的にマンガ雑誌は買ってもらえなかった。 生活費の節約のためだったろうと思う。2年生だったときも同様だ。それでも、親の気まぐれで、学年雑誌を2、3回ぐらいは買ってくれた記憶がある。 東小学校3年生になったら、毎月マンガ雑誌を買ってくれるようにな… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 教室の掃除当番|高橋正朝 #7 義務教育の公立学校で、教室を生徒が掃除するというのは、日本は世界のなかでは例外のようである。 日本国内でも、私立小学校や私立中学校はどうなのかは知らない。 夕張市立の小中学校の1クラスの生徒は、我々は団塊世代だったので、どこの学校も50人ぐらいだったろう。低学年を除き、掃除当番はグループ分けさ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 交通信号機 |高橋正朝 #6 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。 交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。 鹿島東小学校4年生のときだった。 古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ スイングバイとSF|高橋正朝 #5 私が住んでいた明石町番外地の自宅の斜め後ろに、小林順治さんが住んでいた。彼の2歳上に、和子さんがいた。 ある日、彼女がもういらないからと言って、旺文社だったか学習研究社だったか覚えていないが、学年雑誌を二十冊ほどいただいたことがあった。鹿島中学校の1年生のときだったように思う。 ご存知のように… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校すぐそばの住宅火事|高橋正朝 #4 前回、#3で岳富町の商店街の火事のことを書きましたが、翌年の5月か6月のころ、鹿島東小学校すぐそばの住宅地で火事があった。東小学校の校門から出て、すぐそば、千年町駅へ向かう坂のところです。 この火事のときも、明石町から黒い煙が立ち昇るのが見えた。各家庭で夕食の準備をする時間帯だった。同級の男子生… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 「痛快ブック」と岳富町商店街の火事|高橋正朝 #3 私が鹿島東小学校3年生の春、明石町番外地の自宅の外で、寺田ヒロオのマンガ、「 背番号ゼロ 」を手にとっていた。 表紙に 「 新漫画党 」 と書かれ、黒丸の上から下に稲妻形のマークが入っている。 稲妻形と思ったのは、アルファベットの S の図案化だったのを後に知る。 つまり、「 新漫画党&… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 寺田ヒロオのマンガと読者~観客者の想像力~|高橋正朝 #2 私が鹿島東小学校2年生のとき、小学館の学習雑誌、「 小学2年生 」に掲載されていた、寺田ヒロオ のマンガの意味がわからず、悩んだ、と形容するほどでもなかったが、断続的に何十回も考え、ようやく東小学校4年生ぐらいのとき、理解できたものがあった。 このマンガ、小学2年生用だったのだが••••••。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 鹿島東小学校1年生|高橋正朝 #1 私が鹿島東小学校1年生のときの担任は、長谷川ヒロコ先生でした。 飯田さんがスマホ用に編集転載した、「 大夕張つれづれ #18 」にその原文が載っています。 したがって、ここに書き込んだ内容は、一部その原文と重複します。それに、飯田さんとやり取りしたメールの一部を書き加えました。 最初の P… 続きを読む