学び舎の思い出 夕張東高校 登校風景 冬のある日の登校風景です。高台の高校に坂道を登ります。 昭和47年発行夕張東高等学校20周年記念誌『シューパロ』より 「昭和42年~昭和46年」とあります。 … 続きを読む
昭和 1937年(昭和12年) 5月 15日,主夕張森林鉄道,大夕張貯木場から二股沢までの15.4km竣工。7月 21日,専用鉄道を地方鉄道に改組申請。8月 12日,地方鉄道改組に備え新製蒸気機関車9603号入線。『No.3』10月 客車ナハ1入線。 15日,大夕張尋常高等小学校校舎増築 教室5,廊下,東側玄関 255坪 学級数(… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 鹿島小学校前 昭和40年頃 鹿島小学校前 【飯田雅人】(2005.7.29) 鹿島小学校,旧校舎の玄関前の写真です。私が通っていた頃は,低学年がこちらを利用していたでしょうか。後ろには日曜学校やクリスマスのバザーなどで通っていたカトリック教会。そして,校舎前には『標高318米』の白い柱が立っています。子どもの頃、… 続きを読む
消える街からの伝言 消える町からの伝言 第一楽章雪解けの頃(大夕張4月)|久々湊眞一 何も無くなった鹿島小グラウンドでは、風のつぶやきが聞こえた。笹藪に埋もれたシューパロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。私の原点、大夕張が消える。嗚呼。 ■第一楽章 ■雪解けの頃(大夕張4月)(演奏時間 4分) 雪が解けて徐々に地面が見えてくる。大夕張ならではの「うれしさ」。。。… 続きを読む
2丁目3番地 外観あれこれ いいねボタン 気がつかれている方もいるかもしれませんが、メニューなど、外観の細かいところを時々いじっています。 「検索」を「あなたの気になる大夕張を探してください」としましたが、どうでしょう。ちょっとはとっつきやすくなったかな。 サイドに「読まれている記事」の欄がありますが、これは、一週間のpv(ページビュー)数… 続きを読む
岳麓の里 岳麓の里 序 【岳麓の里】 大夕張は,旧国鉄清水沢駅から17.5キロ,夕張岳に向かった山峡にあった。かつては途中に高さ20メートルの鉄橋が8つもあり,住民は時速17キロの汽車に揺られ,景色を眺めながら乗っていた。夕張北高に通っていた生徒の中には,勾配1000分の16.7(1000メートルで16.7メートル上る)の… 続きを読む
思い出貼 ゆきどけ 特に山の裾の方では水が湧いていて湿地がたくさんありました。大夕張神社の参道の鳥居があったところにも,大きな湿地がありました。 春が近づき暖かくなると雪の下の方から雪がどんどん溶けていきます。雪を掘っていくと,シャーベット状の雪があらわれ、それを使って水遊びとも、雪遊びともつかぬ、冬も最後の遊びに没頭… 続きを読む
パノラマ 昭和32年大夕張2(パノラマ) こちらの写真、4枚の写真を合わせたものです。佐藤貞雄さんの『岳麓の里』を読むと春日町対岸からの眺望について書いてある箇所があります。そこかもしれません。大夕張神社とは違った感動があります。昭和32年大夕張(パノラマ)と対になった写真です。こちらも後日、一枚ごとの写真を掲載します。 昭和32年大夕張パ… 続きを読む
2丁目3番地 引っ越しから一週間たちました 「ふるさと大夕張2丁目3番地」オープンから、ちょうど一週間がたちました。一日5回ほどの記事追加のペースできました。この一週間でその前からのものも含めて全部で220程の投稿数になっています。使い勝手はよくなっているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 「1丁目1番地」の方、「思い出貼」他、全部… 続きを読む
山史 第1編 沿革 第6章 清水沢駅乗入 第6章 清水沢駅乗入 1、 清水沢駅乗入 当鉄道に於ける国鉄との連絡運輸については、従来より新清水沢駅を有し、旅客は約350米の徒歩連絡、更に荷物及び郵便物は荷車をもって運搬中継せしため列車の遅延を来す等不便を免れず。これが緩和のため省線清水沢に列車を乗入のことゝし、 昭和19年8月25日付をもって… 続きを読む
食憶 食 憶|長谷川潤一 S33年大夕張生まれ。彼の大夕張での記憶は他を圧倒する。 ■エピソード1■その2 食堂のお話■その3 「へ」の字■その4 小学校の給食■その5 木箱の中身■番外編 「CM」■その6 三尺鯉■その7 住環境と食生活■その8 お上品な御味■その9 歩道橋の3時■その10 しゃっこい水■その11 お湯■… 続きを読む
昭和 1936年(昭和11年) 4月 第2北卸の開鑿を開始。 6月 鹿島沢400hp扇風機設置。 7月 木製ラッセル車(キ28)入線。 8月 夕張森林鉄道工事場に請願巡査派出所許可。(11月まで) 9月 10日,大夕張尋常高等小学校校舎増築(廊下,宿直室,湯呑場など83坪 児童数928) 弥生町ができる。 【夕張市人口 42605… 続きを読む
大夕張の全景 昭和30年 常盤町全景 昭和30年頃の常盤町の全景です。左手には堀田牧場,奥から時計回りと反対に鹿島橋,暁橋,常盤橋の姿が見えています。これらの橋は,昭和30年代半ばにすべて新しい橋に付け替えられました。『~記念史』には水没する炭住というタイトルがついています。昭和35年の大夕張ダム完成により常盤町周縁部分の多くが水没しま… 続きを読む
思い出の街角 泉町から鹿島小学校への小道 昭和46年夏。泉町から。 【久々湊眞一】 昭和46年8月。この小道を通った事がある人は、大勢いると思う。大夕張行きの貨物列車が走っているが、きっと荷物(石炭)が、空の状態だと思います。 … 続きを読む
山史 第1編沿革 第5章 鉄道課独立 第5章 鉄道課独立 1、 鉄道課独立 当鉄道の業務形態は地方鉄道として発展後も、運炭課、工作課及び経理課等に於て夫々分担執務せしが、地方鉄道の運営上欠陥ありとして監督官庁より示唆もあり、社内的にも鉄道課設置の気運が騰まり、たまたま終戦という障害発生せしも 昭和20年9月1日付をもって 鉄道課設置、… 続きを読む
2丁目3番地 検索窓の楽しみ 『ふるさと大夕張』で実現したかったことの話として、以前、コメント機能とともに、「関連ページのさがしやすさ」を書いたことがあります。 今、『2丁目3番地』の右上にある『検索窓』は、このサイトの中の記事の言葉の中から、関連する記事を簡単に集めてくれます。 たとえば、「緑町」という言葉で検索すると、「緑町… 続きを読む