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岳麓の里 序

【岳麓の里】

大夕張は,旧国鉄清水沢駅から17.5キロ,夕張岳に向かった山峡にあった。かつては途中に高さ20メートルの鉄橋が8つもあり,住民は時速17キロの汽車に揺られ,景色を眺めながら乗っていた。夕張北高に通っていた生徒の中には,勾配1000分の16.7(1000メートルで16.7メートル上る)の線路わきを汽車と競争して,マラソンの練習をしたという強者(つわもの)もいた。

ユーパリコザクラをはじめ,高山植物の種類の多さで有名な夕張岳は,土地っ子の自慢である。石炭運搬の鉄道だけで道路がない。陸の孤島といわれる土地に住むが故に,住民は純朴で,他人の悲しみは自分の悲しみと受けとめ,いたわり合って暮らし,一山一家という意識の仲間の集まりだった。

昭和48年6月燃料革命のあおりで閉山し,住民は全国に散らばった。最盛期には1万3000人いた人口も平成5年には600人あまりになり,更に10年後には,これまであるダムの嵩上げで,すべて湖底に沈む運命が待ち受けている。各地に住む元住民は,雨にも風にもまた寒気が厳しくなると,降雪量13メートル,気温マイナス20度に下がる雪深い大夕張を思い出す。この岳麓の里は,昭和48年1月から三菱大夕張礦業所の社内報に掲載されたものであり,「小説たがね一代」は,昭和44年から,ゆうばり読売に,同紙が廃刊になるまで,連載したものである。

= 平成8年7月・佐藤貞雄記 =

 

 

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