大夕張の全景 大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1 『大夕張駅上空から』のカラー化に拘ってきたが、このまま続けていてもいつ完成するかわからないので、作業途中ではあるが、掲載することにした。 大夕張駅前周辺、鹿島小学校周辺の富士見町や緑町、あとは全体的な山のあたりは結構を何度も手を加えた結果が表れているが、それ以外はまだ粗の段階。 彩色していきな… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島東小学校運動会開会式 昭和35年頃 鹿島東小学校運動会の開会式の様子。 鹿島東小学校閉校記念誌に掲載された写真から。 写真の説明には、次の言葉が添えられている。 整然と並んだ運動会 開会式 たくさんの子どもがいた -昭和35年頃- 「たくさんのこども」・・・ちなみにこの頃は、鹿島東小学校も1200人以上の児童数を抱え… 続きを読む
思い出の街角 映画上映中の大夕張劇場 映画上映している大夕張劇場 右手に見える立派な料亭風の塀のある建物は、昭和43年の住宅地図で、サトミ会館となっていて、繁華街だった千年町らしく飲食店が数軒入っている。 この場所は昭和5年に千年町に入った指定商として、「土屋商店(飲み屋)」とある。 昭和の初めから酒を扱う飲食店だったのだろう。 … 続きを読む
2丁目3番地 夕鉄バスの前にて 大夕張が『陸の孤島」とよばれていたころ・・・。 石炭列車につながれた客車に乗って、一時間揺られて出かけていった夕張。 清水沢で国鉄に乗り換えた先の鹿の谷では、車窓から見る広い構内にたくさんの機関車や貨車が留め置かれている様子に目を見張り、終点の夕張駅で降りると、工場から聞こえる鉄を打つ… 続きを読む
楽しかった日々 だっこちゃん 昭和36頃、全国的にだっこちゃん(ダッコちゃん)ブームがあった。 『だっこちゃん』は、1960年(昭和35年)に発売された、空気で膨らませるビニール製の人形だった。 色は黒く、身体を傾けると片目でウィンクをする20cmくらいのかわいらしい人形だった。 協和会館での映画上映前の映画ニュー… 続きを読む
思い出ばなし 闘犬のはなし| 泊川俊徳 子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。 4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。 闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。 一時的な流行でした。 当時、子供なが… 続きを読む
思い出の街角 お祭り 駅前商店街 すずらん型の街灯にオート三輪、昭和30年代中盤最盛期の頃の大夕張駅前商店街だろう。 初夏を迎え、お祭りの季節がやってくると、街に幟があがり、紙桜の飾りで街が彩られる。 着物姿の女の子達の踊りとそれを見ている大勢の人たち。 駅前から春日町方面に続く通りをうめる、人また人の波に圧倒される。 … 続きを読む
街の行事 昭和35年 泉町 町内運動会 昭和35年(1960年)頃、実施された泉町の町内運動会。 当時、大夕張で盛んに行なわれていた各町内会での恒例行事。 泉町では、毎年趣向をこらした運動会が行なわれていた。 その第1回大会。 この時町内会長を務めていた南太吉さんの自宅前の広場で実施され、その記念撮影。 他にこの頃、町内会の世話役を務めて… 続きを読む
思い出の街角 夕張市立図書館鹿島分館 宝町にあった鹿島図書館。 写真の右下には、当時通勤や仕事で使われていた二輪のオートバイが停まっている。 この建物は、昭和35年に新築以降の建物で、自分が利用したのもこの建物。 本通りから宝町の図書館に向かって入って行くと住宅と図書館の間は、かつての住宅の跡地なのか、写真のように空き地… 続きを読む
楽しかった日々 闘犬の記憶 闘犬は、大夕張でも場所を変えて巡業のような形で何ヶ所かで行なわれていたのか、あるいは、毎年、その年によって違う場所で行なわれたのかわからない。 ある時期(昭和30年代中頃)流行り、その後すたれたそうである。 この闘犬が行なわれていた写真の場所、話によると、春日町であれば、弥生町から春日町に… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和35年 遠幌駅 昭和35年 遠くに、ホームと「えんほろ」の駅名標が見えている。 下記『山史』によると、 北炭(北海道炭礦汽船)が遠幌炭鉱を開発、昭和23年に送炭を開始した。 同年6月18日に、北炭が駅舎社宅を完成し、北炭から提供を受けた。 営林署、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の岐線があった。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
思い出の街角 栄町1丁目の通り 昭和32年11月に栄町アパートが完成し、入居が始まった。 外便所だった炭住も内便所になったという。 見えている栄町アパートは、こちらから、1丁目14番。13番、12番。 12番の隣は、・・・昭和40年代は、空き地だった。 ここでは、古い住宅が見える。 昭和36年の大夕張上空からみた『台地… 続きを読む
思い出の街角 開拓から白銀橋 昭和34年に建設された白銀橋。 この橋を渡って明石町から開拓へ向かうことから、開拓橋ともよばれていた。 雪どけの時期、残雪が多く残る畑の向こうに橋が見えて、その向こうまでの明石町の道路や、住宅が見通すことができる。 昭和30年中頃だろうか。 尚、白金地区が「開拓」から「鹿島白金」と地名変更になっ… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 崩落現場越しにふり返る 崩落による大夕張鉄道の列車折り返し運転の5枚の写真のうちの一枚。 夕張方面に向かう大勢の乗客の姿はすでに乗り換えを終えたのか、数人の高校生と乗客の姿が歩いてこちら側に向かっている姿と、工事関係者たちが崩落現場で崖を見上げている姿が見える。 白黒写真に着色した画像 ↓白黒写真はこちらのペー… 続きを読む