思い出の街角 桜ヶ丘神社 『シューパロ塾郷土誌研究調査報告(H14)』によると、この写真も、桜ヶ丘小学校小野寺利秋氏所有していた写真。 桜ヶ丘の農作物は、カボチャ、トウキビ、大根、豆類が多かったという。 桜ヶ丘での暮らしは、生活用品などの買い物には、南部や大夕張まで行った。 開墾当初(昭和23年頃)沢水を使い、ランプ… 続きを読む
学び舎の思い出 桜ヶ丘小学校 昭和21年(1946年)、桜ヶ丘に開拓農家の入植が始まり、昭和29年(1954年)には、22戸が営農していた。 昭和23年(1948年)7月に住民の要望もあり、南部小学校の仮教室11人での授業が始まり、その年の11月に桜ヶ丘小学校として開校した。 当初は、離農農家の家屋を校舎として使用し… 続きを読む
思い出の街角 旧農場付近 開墾伐採のあとか、このあたりの湖底一帯は、多くの木の切り株が散在していた。 湖畔亭の下、大夕張ダム湖の湖底は、かつて農場(第2農場)といわれた。対岸が桜ヶ丘方面。 戦後炭鉱の人口増により大夕張にも町外れの畑地にも町ができた。 第一農場にも炭鉱住宅が建設されて、明石町となった。それによ… 続きを読む
思い出の街角 林鉄 新線と旧線の跡 大夕張鉄道に乗って車窓を眺めているのが好きだった。ぼんやりしていた少年は、何も考えずただ流れていく景色を眺め、過ぎていく時間に身をまかせているのが好きだった。 明石町駅を過ぎて、開拓(白金)方面に向かう白銀橋が過ぎると、シューパロ湖の対岸に森林鉄道の赤い鉄橋がいくつか見えていた。 中で… 続きを読む
開拓・白金 桜ヶ丘 住宅地図 その2 以前、桜ヶ丘開拓地の開拓農家の入った地図を、山影さんと小野寺さんの追想から作成したものを掲載した。 今回、ある方の手を通して、桜ヶ丘の元住民、鈴木さんが作成したという地図が手に入った。 下の地図は、鈴木さんが60年前を回想し、作成した地図をもとにつくった。 ただ家のあった場所は記憶にあるもの… 続きを読む
開拓・白金 桜ヶ丘開拓地 住宅地図 前回、『開拓地 住宅地図(桜ヶ丘・下夕張・旭ヶ丘)』のページで、山影さんの著作の中から、「下夕張4k地点」と『旭ヶ丘』開拓地の追想から住宅地図を掲載した。 「桜ヶ丘」については、後日掲載としたが、今回ページをあらためて、ここで紹介する。 「桜ヶ丘」については、以前、シューパロ塾での学習会の時の資料… 続きを読む
思い出の街角 3号つり橋から橋を渡る列車 昭和30年頃 桜ヶ岡から、シューパロ川にかかる『3号つり橋』の上からちょうど、列車が大夕張方向に向かってやってきた。 目の前に見えるのは、五十鈴沢橋だろう。 大夕張ダムによるシューパロ湖が生まれる前の様子。 昭和32年まであった『農場前臨時乗降場』に続いたという崖の道も見えている。 白黒写真に着… 続きを読む
思い出の街角 昭和28年 夕張岳 昭和28年1月の夕張岳。 大夕張ダムができる前なので、シューパロ湖はない。 向こうに見える対岸との間は、鬱蒼と木々が茂る断崖絶壁のあいだをシューパロ川の渓流が流れていたことだろう。 むこうに、桜ヶ岡開拓地の農家が数軒見えている。 白黒写真に着色をした画像… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 鉄橋を渡る列車 おそらく大夕張ダム完成以前の旧橋だと思うが、鉄橋を渡る列車。 荒々しい山肌と、そこにかけられた鉄橋が、石炭を運ぶ目的で奥地に向かって作られていった鉄道の事情を感じさせる。 場所不明。 白煙は後付け加工。 白黒写真着色した画像 谷にかかる鉄橋を行く蒸気機関車… 続きを読む
思い出の街角 桜ヶ丘 3号つり橋から鉄橋 昭和30年頃 桜ヶ丘開拓地と外部をつなぐ、つり橋。 このつり橋は、明石町と開拓をつなぐ白銀橋(開拓橋)より南側にかかっていたらしい。 前方に見える鉄橋は、五十鈴沢橋梁のようだ。 このつり橋は、当時、ゆれが大きく、雨の日などはよく足元が滑り、通行には危なっかしく、たいへんだったという。その… 続きを読む
思い出の街角 桜ヶ丘 3号つり橋 昭和30年頃 白黒写真に着色した画像 この写真の橋は桜ヶ丘開拓地(シューパロ湖駅対岸)と大夕張方面を結ぶ橋だっだようです。昭和32年まであった鉄道の『農場前臨時乗降場』から、この橋を渡って対岸に渡ることができました。 奥鹿島には、1951年に鹿島開拓団が設立され、入所後、つり橋を建設し共栄橋と名… 続きを読む