2001年 厳寒の大夕張 |飯田雅人
2001年1月15日
(青い空に神々しく)
1月の大夕張からみる夕張岳は,白く輝いていた。
麓からみる夕張岳は純白といってよいほど,真っ青な空のカーテンを背に白さが際立っていた。
冬に見る夕張岳はその昔アイヌの人たちもおそれ,「魔神をよせつけぬ山」とされたのもわかるような気がする。
・・・とはいえ,右の写真には肝心の夕張岳は写っていないです。すみません・・・
(シューパロダム事業)
シューパロダムの工事はどうなっているのだろうという漠然とした思いを持ちながら大夕張に向かった。
「冬はそれほどできることはないよな」と思いつつ・・・。
大夕張ダム手前では,付け替え工事だろうか,山側に向かって入っていく道路工事が行われていた。
大夕張に向かうシューパロ湖畔の道路では,『シューパロダム事業』と書かれた何台もの大型トラックと頻繁にすれ違った。
かつての営林署のあたりは土砂置き場になっているが,道路をはさんでその向かい側にも新しく巨大な土砂の山ができていた。真っ白な雪がつもった山に,きれいに除雪された道がつき工事用の重機が入り込んでいた。
(ズリ山)
千年町を過ぎ,岳富町のゆるやかな窪地をあがってくると何もなくなり見通しがよくなった先に巨大な白いズリ山が浮かびあがってきた。息を呑み,さらに先に進むとズリ山は不思議なことに周囲の山々と溶け込み小さく目立たなくなってしまった。
なぜあんな大きく見えたのだろう。不思議な気がした。
(商店跡)
工事用車両の出入り口になっている明石町をすぎると大夕張はいつもの通り静かだった。
大夕張に残された駅前の2軒(上の写真)と栄町商店街の1画(左の写真)の廃屋は今年も取り壊しを免れ,20世紀から21世紀へと世紀を越した。
(スキー場に陽が沈む)
太陽が西の山に落ち,日が陰ってしまった。午後3時頃のことである。
早過ぎる冬の日没。東側の山々はまだ日を受けて明るいのに,周りの空気が急に温度を下げてくる。
こんな夜と昼の狭間の長い時間を子供の時はどう過ごしていただろう。
(大夕張駅前)
道端に積もった雪がおよそ150センチメートルあった。連れていった子供の背の高さくらい。
そこから同じ高さでずっと雪原が続いている。
国道から入っていくには,脚絆と雪の入らないヤッケで身を固め,深い雪と格闘しながら進むことを相当覚悟しないと行けない。それと道をつくるためのスコップもあった方がいい。
昔の大夕張の子供が一面の雪原を見ながらそんなことを夢想していると,子供がペットボトルを車から持ち出し,雪の中に埋め始めた。
「雪の中に入れたら氷って冷たくなる」という。
そういえば,来る途中南部の自販機で買ったウーロン茶のペットボトルに氷が張っていたのを思い出した。ここは,自販機の中より寒いのだった。
このスキー場の向こうに陽が沈み、さっと周りの空気が冷えたような感覚。そのとき、時を瞬間移動したように大夕張の空気を思い出しました。この感覚、大夕張はもちろん、東西を山に遮られた山間の町に育った人ならきっとわかってくれる感覚だと信じます。