明石町駅付近の沢 | 高橋正朝 #32

18821

大根収穫

   

沢の名称 】   

【 東高の丘から 】   

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上記の3枚の 写真/イラスト は、飯田さんが編集したものを、私がコピペしました。 オリジナル項目を見たい人は、HPの、写真/イラスト が添付されたヘッドラインの10項目に続くコラム、[ あなたの大夕張を気になる言葉で探してください ]の説明文のすぐ下の空欄に、[ 大根収穫  ]と記入し、検索マークをタップすると、オリジナル項目が出てきます。[ 沢の名称  ][ 東高の丘から も同様です。   

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大根収穫  ] の写真の小屋は、大夕張鉄道の保線小屋です。

 明石町駅から、少し清水沢寄りに離れた場所です。

 2部屋になっていて、1部屋は、ポイント切り替え装置の、円形の錘が付属していたレバーが並んでいた。

 2セットではなく、4セットあったような気がするが、確たる記憶ではない。

 他の場所と混同している可能性大。

 もう1部屋は、保守工具室だったようで、壁にバールが立てかけられ、ヘルメットと雨ガッパが壁に整然とぶら下がっていた。

 整理整頓の模範だ。 他の工具も見てはいるのだが、記憶からは消えている。

  

 溜池の写真の、10時の方角に、給水管の保護カバーが見える。 そこから、露出した給水管が延び、飯田さんがコメントしているように、給水管に接続したホースを、しゃがんでいる少年が持って、溜池に給水している。 溜池に給水する、というよりも、少年は認識していないだろうが、もしかすると、配管のエアー抜き作業かもしれない。   

 11時の方角に、鉄道レールが見える。

 この少年の斜め下の土中に、配管が見える。 給水本管かもしれない。   

 大根を背負っている3人のオバさんが歩いている細道を上って行くと、明石町に給水している浄水場にたどり着く。

    

 この溜池には、水量は少ないが、沢水が流入していた。 そして、流出した沢水は、線路下の埋設管を通って、明石町駅舎のすぐ横、番外地寄りの所に流れ出る。

 その小川の先にはブタ小屋があり、大夕張ダムができる前は、すぐに滝になって、シューパロ川につながっていた。

 この小川の崖は、少々危ないものの、私は、木やツタにつかまりながら、下りたり上ったりした。 川原は狭いが、一応あった。 崖の高さは、約30メートルぐらいか ••••••。   

 明石町駅前から、南部方面への道路ができたとき、上記の小川は、その道路の横断部分は埋設配管となった。

 完成の2年後、埋設配管がゴミで詰まってしまい、盛土の道路が、雨水と水量の増えた小川で崩壊したことがあった。   

 この写真の溜池に流入していた小川が流れていた沢の名は、略図の[ 沢の名称 ]にはない。 

  

[ 沢の名称 ] には、『 明石沢 』が見える。 かつ、平仮名で『 あかしちょう( 駅 ) 』と書かれた清水沢寄りの地点に、『 明石沢 』が接触して描かれている。

 明石町駅から、100メートルぐらい清水沢寄りに鉄橋が架かった沢があり、水がきれいで、わりと水量があった。   

 略図が正しいとすれば、水量が少なく、沢も小さいのが略図に記載され、水量が多く、鉄橋が架かる沢の名称が記載されていないことになる。   

 さらに、清水沢寄りに、『 水木沢 』の名が見える。 この地点の明石町からの距離は、略図から推し計ると、明石町と千年町間の半分ぐらいの距離がある。 したがって、我が家からは見えない。   

 我が家から見えた、鉄橋の架かった『 明石沢 』と思われる小川は、番外地の開拓寄りの沢を流れ、滝となってシューパロ川につながる。

 雨の日は水量が急に大になり、そのせいか、道路に埋設された土管の直径は、1.5メートルぐらいあった。

 鹿島東小学校の生徒のころ、夏季には、無目的にこの土管の中を往き来した。

 この小川は、シューパロ川につながる手前で滝になっていた。 この滝の両側の崖を、下りたり上ったりしたことは1度もない。 素手で下りたりするのには、掴まるべき適当な木やツタが崖になかったから、危険であった。

    

 この滝があったシューパロ川の川原はわりと広かった。 ブタ小屋があった小川の滝の崖から下りてきて、この川原まで歩き、枯れ木の小枝と小枝を擦り合わせ、火を熾そうとしたのが、この場所だった。

 この写真の溜池の場所から 100メートルぐらい千年町寄りの所からも、浄水場に行けた。 そのルートにも、給水本管が埋設されていたのではないかと、推察している。

 そこにも沢があり、ホームからは見えなかったと思うが、人の手が入ってない小さな池があった。 周りは畑で、せいぜい2メートルぐらいの高さの雑木が、沢に沿って立ち並んでいたというか、藪になっていたので、ホームからは、その藪は目についたと思う。 この沢も、略図には記載されていない。

  

 この小さな池から流出した沢水が、明石町駅の線路下の埋設配管を通り、明石町駅舎と購買会の間を流れ、道路横断のために埋設された土管から、当時の服部商店の脇の溜池に吐き出された。 この溜池の目的は、消火用である。 

   

 この消火用溜池から流出した水は、[ 東高の丘から ]の写真中央からやや左側に斜めに見える道路に沿って流れ、シューパロ川につながっていた。   

 ご存知のように、明石町のシューパロ川に近い地域、すなわち、写真中央の水平部分の標高は、明石町駅や番外地の標高よりかなり低い。

 したがって、水量のない小川というか、チョロチョロ水は、シューパロ川につながる地点では、滝にはならなかった。

 ちなみに、番外地は、写真の5時の方角に写っている樹木の向こう側になり、この写真には写り込んでない。    

 今回の投稿では、写真と略図と記憶を絡ませて、謎解きをするように楽しんだ。

 今までで、最も時間をかけて写真を舐め回すように眺めたと言っていい。   

 飯田さんが、白黒写真に色付けしてくれたので、分かりやすかった。 この色付け作業は大変なご苦労だ。 

  


(筆者略歴)

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。


1件のコメント

  • 写真を見ての、高橋さんの具体的な記述で、自分の知識とあいまいな記憶の中で想像を巡らせていた風景地図に具体的な意味を与えてくれました。
    高橋さんの住んでいたという『明石町番外地』は、今まで「どこなんだろう?」と正直思っていましたが、今回の記述で、『昭和61年(1986年)大夕張の面影』の映像の中で、見ることができる場所であろうと推察できました。
    明石町駅に到着する手前の右側に住宅が点在している場所ではないかと、思います。

    昭和61年(1986年) 大夕張の面影

    このあたり、自分が再訪したときには、住宅があったように気がしませんでした。
    この映像がとられた昭和61年ころには、明石町番外地にもまだ住宅が見えるようです。
    それにしても、今回の投稿で『大夕張つれづれ』の中で描かれている明石町と沢、シューパロ川の様子がより具体的にイメージできるようになった気がします。
    _
    >『写真と略図と記憶を絡ませて、謎解きをするように楽しんだ。
    >今までで、最も時間をかけて写真を舐め回すように眺めたと言っていい。
    ・・・自分も着色作業をしながら、まったく同じ気持ちです、高橋さん。 

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