月: 2021年3月

昭和31年冬 神社から 大夕張の全景

昭和31年冬 神社から

昭和31年、このころ、まだ緑町と弥生町には大きな寮らしき建物が見えている。緑町には、緑?荘という寮が保養所のそばに建っていた。鹿島小学校もまだ木造の校舎。 白黒写真に着色して画像処理 大夕張神社から。鹿島小学校グラウンドから緑町・弥生町の住宅が一面びっしりと建ち並ぶ。最盛期の街並。…
食憶(その11 お湯)|長谷川潤一 食憶

食憶(その11 お湯)|長谷川潤一

   冬の味の大元だと思うんですが、湯沸かしのお湯のことなんです。  ほとんどの家では当然石炭ストーブでしたよね、鋳物のフジキ式とか鉄板のやつとかいろいろ。    ひょうたん型やトラックオーバル型、後部にいくと煙突が出るだけの尻すぼみ型、石炭をまとめて投入する山高型、前からジュウノでくべるのとか上部…
代々木アパート 思い出の街角

代々木アパート

白黒写真に着色した画像 鹿島小郷土室にあった写真。背景から閉山時に撮影したものと思われる。昭和30年の建設以来、平成の住民立ち退きまで存在した建物でもある。 大夕張における最高層建築物。 昭和30年暮に1棟24戸,鉄筋コンクリートづくりで建てられました。 間取りは,6畳,4畳半,台所,物置,そして大…
時代を支えた馬  |  泊川俊徳 思い出ばなし

時代を支えた馬 | 泊川俊徳

 戦前から昭和40年過ぎまで、随分、馬が活躍してくれました。  戦時中は、炭鉱坑内の『石炭運搬』、街の中では、『運送屋』、日本通運・鹿島通運の荷物の運送、又、当時 トイレのバキユームカーの代わりに、馬車に大きい木製の箱に、ウンチを入れて、通称『便所場球場』へ運び、川へ流しました。  夏は『馬車』。 …
そり 楽しかった日々

そり

   『そり』といえば、この赤茶けた台車のような形をした、木製の『そり』しか覚えがない。  台車の下の車輪の代わりに、細い二本の板に、鉄板が打ち付けてあった。  小さいころ、冬は購買会への買い物に手伝いをして、これでみかん箱や、リンゴ箱を載せて運んだこともあった。  力で押すタイプでしかも、重心がや…
冬のそり遊び(昭和35年) 楽しかった日々

冬のそり遊び(昭和35年)

 雪が降ると外へ飛び出す。積もった雪の表面が太陽に照らされてキラキラ輝く。  固まった雪面を踏むとサクッと音がして踏み抜くことができて気持ちよかった。  木製のそり。  竹のストック,毛糸の手袋(すぐに雪が凍みて手が冷たくなった),脚絆(雪が玉になり足に葡萄粒のように連なった)。  それでも雪の中で…
キャプション『 これは真実である 』と麻薬|高橋正朝 #29 続・大夕張つれづれ

キャプション『 これは真実である 』と麻薬|高橋正朝 #29

 前回、続・大夕張つれづれ # 28 で、北極での原子爆弾の実験で、怪獣が出現したアメリカ映画の冒頭で、『これは真実である』というキャプションがあり、これなどは、ワッハッハで笑い飛ばせる、しかし、ワッハッハで笑い飛ばせないケースもある、と書いた。       約20年前、タイ政府が激怒した、アメリカ…
節分の思い出 | ziny 思い出ばなし

節分の思い出 | ziny

 石炭ストーブの上で、大豆を炒って  「鬼は外・福は内」 と豆をまき、自分の年の数の豆を食べるというのは、どの家も同じだったと思うのですが・・。(我が家はストーブも何度目かにはフジキ式ストーブになった。)  でも、食べた分とは別に、年の数だけの豆をチリ紙に包み、近くの四つ角へ置きに行くというのは、ほ…
昭和36年 大夕張幼稚園 入園式 記念の日

昭和36年 大夕張幼稚園 入園式

白黒写真に着色した画像 入園式の一コマ。足下もぬかるんでいる四月。 大夕張幼稚園 入園式【みほ】(2021年3月4日) 幼稚園の入園式だと思います。 隣は、「キムジ」。幼なじみでした。 二人とも緊張しているね。 母親同士が山形の同郷で、歴史は古いんですよ。 大きくなってからは余り話さなくなったけど、…
凍った石炭と雪鳴りの記憶 | 宇良田 彰 随想

凍った石炭と雪鳴りの記憶 | 宇良田 彰

 私の小学校時代(昭和30年代)、何故か1トン5円の石炭が、馬車で運ばれてきました。  真冬の寒い日は、その石炭が凍り付いて、鶴嘴で砕いて、家の中に運び込む仕事をしたことを、懐かしく思い出します。  フジキ式のストーブも、懐かしく思い出されます。  今は暖かい土地で生活して居ますが、厳寒の時期に、長…
明石町 教員住宅前の坂道 思い出の街角

明石町 教員住宅前の坂道

 昭和43年明石町 教員住宅前。春先の雪解けの頃。  道路に両脇に積み上げられた雪が、冬の間投げ捨てられた「せきたんがら」とともに溶け出し、道路にきざんんだ溝を流れていく。坂が多かったまちのそんな春の光景が目に浮かぶ。    踏切を渡って東高にのぼる坂道の右手に続く住宅。坂の中程には、赤く塗られた火…
グズベリ!|内川准一 随想

グズベリ!|内川准一

 子供の頃、食べるものがないわけでもないのに、弥生町、我が家の前の長屋(12舎)のグスベリをよく失敬しました。    トゲで血がにじんでも、お構いなしでした。    ジジィにときどき怒鳴られたけど、それが楽しみなのでした。     子供の頃、何も食べるものが無い時、家の前の垣根になっていたグスベリは…
三輪車 楽しかった日々

三輪車

昭和35年頃。緑町のあたり。後に見える台所の樋と出窓が懐かしい。 白黒写真に着色した画像 玄関前の雪解け水と、どろんこ道をなかよし三輪車…
食憶(その10 しゃっこい水) 食憶

食憶(その10 しゃっこい水)

 長いテーブルにズラーッと並び、長屋話などに盛り上がりましたね、交流会!    ご新規の方の参加もあって、さらに「池田屋」暖簾の登場!! ううっ、5円の「ぱんじゅう」の温もりが(;_;)・・。      で、こちら恵庭は雪がかなり降りました。  もう、かまくらができそうなくらいです。そこで、雪の中の…
三菱礦業所大夕張幼稚園から聖心第二幼稚園 学び舎の思い出

三菱礦業所大夕張幼稚園から聖心第二幼稚園

礦業所経営の幼稚園から、大夕張カトリック教会経営の幼稚園、閉山後は保育園という変遷をたどる。 【沿革】 昭和9年4月1日設立。  園長山崎徳也氏。学級12,職員9名。園児は男子265名。女子300名、合計565名。  当時の大夕張礦業所長の西原民平氏が、昭和8年開設して、自ら園長に就任。  設立時は…
歳の差弁当 |Kawauchi Masami 思い出の記

歳の差弁当 |Kawauchi Masami

 私達の時代の移り変わりが激しくて、私達のお母さんも、20歳で子供産む人と、35歳で子供産む人もいます。そうすると、お母さんの年齢差、15才ですよね。  お母さんの年齢差15年も有ると、弁当の内容が、全然違いました。  まず、遠足のおにぎり。  私は、購買会などの包装紙でしたが、私のお母さんより若い…
大夕張の積雪(春日町) 思い出の街角

大夕張の積雪(春日町)

昭和40年頃、春日町 冬 白黒写真に着色した画像 雪に埋れる水道小屋の前で 足下が吹雪く 兄ですが 後ろの水道小屋の屋根の雪がすごい。 足下から風で巻き上げる雪もすごいですね、道路の脇にも背の高さくらい、あるいはそれ以上の雪が積もっていたかもしれません。夜に風が強く吹いた日の翌朝は、吹き溜まりができ…
1974年(昭和49年) 昭和

1974年(昭和49年)

1月 イサオ製作所大夕張工場操業。(礦業所跡) 21日,鹿島中完全給食開始。2月 園芸センター設立。3月 単板加工会社大夕張ユニオン開業。(弥生町)4月 鹿島小,7学級児童数261名。 鹿島東小,6学級児童数110名。 鹿島中,7学級216名。 消防南部分遣所を出張所に改組。職員4名配置。菊水分遣所…