月: 2021年8月

故郷との邂逅  |  野口美代子 随想

故郷との邂逅 | 野口美代子

 先週の13日、会社の昼休みにインターネットで遊んでいましたら、偶然、ここを拝見させていただきました。  昭和24年大夕張栄町生まれ、鹿島小学校・鹿島中学校・夕張東高4期卒業、そして上京。  閉山の昭和48年まで両親は栄町に住んでいました。   私は、昭和43年に夕張東高校を卒業して上京、そのまま東…
開拓地 思い出の街角

開拓地

昭和20年代。 背景の空は合成だが、雲がかかっていなければ、左に前岳がうつっていると思われる。 木を切り倒し、笹をかりとって土地をひらいたようなあとが見て取れる。 白黒写真に着色した画像   撮影年、場所等、詳細不明…
昭和48年鹿島中学校教職員 学び舎の思い出

昭和48年鹿島中学校教職員

 昭和48年、この年の夏に三菱大夕張炭鉱は閉山しました。生徒数、教職員の数もこれを境に激減しました。 白黒写真に着色した画像 昭和48年鹿島中学校教職員写真   (最上段) 藤田宗義・②・宮崎寿美子・井上正・渡辺乃里子・久々湊淳・小林道博 (3列目) 高田義孝・新明修一郎・佐藤進・小見あや子・斉藤宏…
昭和25年鹿島小学校 学び舎の思い出

昭和25年鹿島小学校

 昭和25年  鹿島小学校の木造校舎。手前に、できて間もない木造のカトリック教会。裏は、畑として利用されているようだ。  小学校のグラウンドでは、授業中だろうか、女の子たちが、今で言う、「ベースボール型ゲーム」、昔の三角ベースの野球を楽しんでいる。ベースの後ろにいる子がゲームの進行に関係なくおしゃべ…
二十年史|大夕張炭鉱労働組合 本棚

二十年史|大夕張炭鉱労働組合

【署名】 『二十年史』 【発行】 大夕張炭鉱労働組合 【発行日】昭和41年(1966年)8月1日 【紹介】  組合20周年を記念して、組合誕生から、昭和40年頃までの労使関係の動きをまとめてある。  資料や、当時存命の人たちに取材した大夕張炭坑時代や、戦中、戦前の大夕張の記述は具体的で興味深い。…
シューパロ川 川遊び 楽しかった日々

シューパロ川 川遊び

昭和30年頃 本間正雄さんが、シューパロ川上流に泳ぎに仲間といったという際の懐かしい写真。 年上らしい二人の人物がうつっているが、筋肉質のたくましく、がっちりとした体つきをしている。 知り合いの子どもたちをつれての川泳ぎだったのだろうか。   白黒写真に着色した画像…
快い響き|池田憲治 随想

快い響き|池田憲治

 ”大夕張”(おおゆうばり) それは私のように遠く離れている者には、すごく快い響きの単語です。    私は、樺太真岡の鉄道官舎で生まれました。 「九人の乙女」の内の一人伊藤千枝は親類です。  今、私は愛知に住んでいますが、近くに住んでいる叔母は、私の家族と共に移転するまでは、樺太真岡の郵便局に勤めて…
灯籠流し 楽しかった日々

灯籠流し

 8月16日、お盆が終わると、亡くなった人の御霊を送るため、まだ陽のあるうちに、千年町の寺院に檀家が集まりだす。そして、お寺の住職さんを先頭にシューパロ川に向かって行列を組んで歩き出す。    日が暮れてあたりが薄暗くなるころ、川に灯籠が流され、ろうそくの灯りが揺らめきながら、川面をゆっくり、静かに…
シューパロ川の灯籠流し|小野美音子 思い出ばなし

シューパロ川の灯籠流し|小野美音子

    お盆も過ぎシューパロ川に秋風が吹く頃となりました。  彼岸を渡った魂は、忘れ去られることを寂しがると聞きます。  私には麻疹の予防注射がもとで、赤ん坊の時に亡くなった兄がおり、毎年、妙法寺の灯籠流しに、参加しました。    まだ日の明るいうち、妙法寺には沢山の檀家の人々が集まり、お上人さんを…
2002年 倒壊した地蔵堂 2丁目3番地

2002年 倒壊した地蔵堂

   『無縁供養・水子地蔵』が、当時親類縁者のない人たちの供養と、水子供養のために、昭和16年8月、大聖寺境内に以来建立されていた。  この他、水子供養地蔵は、大夕張のほとんどの寺院にあった。    2002年冬、大夕張の最後の建築物であった『位牌堂(地蔵堂)』が雪の重みで倒壊した。  このことは、…
路面電車に揺られて|夕輝文敏 夕輝文敏

路面電車に揺られて|夕輝文敏

   路面電車に、少し疲れた心を乗せると、路面電車は、優しく包み込んでくれるかもしれない。年の瀬も迫ったクリスマスの夜、私はそんな路面電車に出会った。    その夜、私は一人ぽつりとグラスを傾け、店の窓から路面電車を眺めていた。    電車の車窓の向こうには、昨夜の食卓テーブルが見えてくる。クリスマ…
位牌堂(地蔵堂)|内川准一 随想

位牌堂(地蔵堂)|内川准一

 建物が無くなったはずの大夕張に、この春(2002年)まで、実はひとつの建物があった。  千歳町の火葬場に至る道路脇にあった位牌堂(地蔵堂)だ。    あったと言うのは、この春、雪の重みで倒壊してしまったから・・・    中に納められていた位牌2千7百は、散乱しないよう4体の地蔵と一緒に倒れた建物ご…
乾電池 その2  |  高橋正朝  #53 続・大夕張つれづれ

乾電池 その2  | 高橋正朝 #53

    私が、鹿島東小学校4年生のときである。  シタジキをこすって静電気を起こし、細かく裂いたチリ紙をくっつけてみたり、同級生の頭の上にかざして、髪の毛を逆立てたりして、遊んでいた。       当時のクラスの男児の多数は坊主頭である。  25人ぐらいいたクラスの男児のなかで、坊ちゃん刈…
緑町浴場 思い出の街角

緑町浴場

昭和49年   白黒写真に着色した画像 『鹿島小学校から歩道橋』に掲載した写真の一部分 浴場部分を切り抜き    ここの2階に写真館があって、お風呂の入口に宣伝のために、写真館で撮った人の写真が飾ってあった。  ある時、初恋の人の写真が飾ってあって、夕方お風呂へ行くたびに眺めていた。  甘酸っぱい思…
緑町浴場帰りの兄 |小野美音子 随想

緑町浴場帰りの兄 |小野美音子

   「宝の沢探検」を愛した私の兄、伸也は、大人になっても仲間と川上りで秘境の滝を再発見し、日本の滝百選に応募し選ばれたり、アラスカに行き、ローカルな新聞やTVに出て、母を喜ばせる、ゴッツい山親爺になりました。   そのコワモテの風貌は、新聞屋の親戚の役にも立ち、お金を払わない客の家の玄関に、兄がヌ…
鹿島小学校校門から歩道橋 思い出の街角

鹿島小学校校門から歩道橋

  『食憶 その9 歩道橋の午後3時』を書いた長谷川さんや、『歩道橋』で、思いを書いた成松さんは、完成当時鹿島小学校児童で渡り初めをしたという。昭和44年(1969年)のことと思われる。私はすでに小学校を卒業していた。    長谷川さんは、『おやつタイムを過ごした特等席』、成松さんにとっては、『都会…
煙草の話|Kawauchi Masami 思い出の記

煙草の話|Kawauchi Masami

   大夕張の職人さんは殆どくわえタバコでしたね。   一つのファッションでした。  工場内は、煙草吸ってましたし、今、思い出しても、煙草を吸っていない男の人いませんでしたね。  禁煙の記憶有りません。   南大夕張は、進発所に電気コンロが置いて有って、煙草に火をつける人もいました。  でも殆どの人…
星空を見に|飯田雅人 訪問記

星空を見に|飯田雅人

平成11年(1999年)8月5日(木)  8月の夜。鹿島小学校グランドで我が家の『星空の観察会』をおこないました。  晴れた日に、そして月明かりのない晩に、どうしても大夕張の星空を見てみたかったのです。  この日思い切っていくことにしました。  午後6時半、家族を連れて自宅を出発。車中で夕食をすませ…