煙草の話|Kawauchi Masami

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 大夕張の職人さんは殆どくわえタバコでしたね。

  一つのファッションでした。

 工場内は、煙草吸ってましたし、今、思い出しても、煙草を吸っていない男の人いませんでしたね。

 禁煙の記憶有りません。

  南大夕張は、進発所に電気コンロが置いて有って、煙草に火をつける人もいました。

 でも殆どの人は、ライター持っていました。煙草をくわえて、ライターで火を付ける瞬間が、いいのです。

 

 一度坑内に入ると、最低8時間〜10時間、煙草は吸えません。我慢して、進発所上がって来た時、くわえタバコに、火をつけた時、美味かったな〜。

 

 坑内でも、ガス切断機使う事が有ります。使う場所の許可を取って、充分散水して、許可証を置いて、メタンガスを測って、かなりの人の監視の元、火を付けます。

  私も立ち会った事有りますが、坑内で火を見るのは怖かったです。

 

 大夕張の進発所の裏側の山に、火薬庫が有って、火気厳禁でした。

 

  喫煙具携帯禁止区域って分かりません。

 私は、煙草を持って何処えも行きましたし、うるさく言われた事有りません。

  多分 古い時代の事かも 知れません。

 

 私達は、坑内に煙草持っていこうとは、考えませんでしたし、ましてや坑内で吸おうなど、思いませんでしたね。

  入坑の時、ボディチェックをされました。

 

  こんな事が 有りました。

 間違えてポケットに煙草を入れたまま持っていき、途中で気がつき、怖くなって捨てた煙草を、誰かに拾われ 問題になった事が有りました。

 犯人はわかりませんでしたが、私達の時、罰則はわかりませんね。

 友達も、結構忘れて、煙草やライターを坑内に持って入った人いましたが、そのまま坑外へ上がって来た人いましたよ。

 坑内で煙草は、吸いたい気持ちおきませんでしたが、 もし吸ったら匂いが凄かったでしょうね。


 (筆者紹介)

昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。大夕張で少年工として勤務し、昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。


思い出の記

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