思い出の街角 三菱購買会 昭和40年代 昭和30年代半ばに建て直されたという購買会の建物。 それから約10年後。 二階は家具売り場(窓からそれらしき様子が見える)で、食糧、生活日用品は、一階に各種店舗が入っていた。 秤売りの様子をじっと見ていた昭和30年代。 たしか買い物客用の玄関は、北側と南側に二カ所。それともう一… 続きを読む
鹿島小学校校舎閉校の時 晩秋の鹿島小学校 1990年代 晩秋の青空の広がる鹿島小学校。 1997年(平成9年)6月閉校式の参加者に配られた閉校記念誌「かしま」。 その巻頭を飾っていた鹿島小学校の校舎。 参加した多くの同窓生の胸に刻まれた一枚となったことでしょう。 … 続きを読む
陳列棚 鹿島小学校校章 鹿島小学校郷土室保管の校章 昭和25年(1950年)4月1日制定 【由 来】 緑の柏葉に因る正六角形に、白い雪の結晶形を重ね、中央に校名の題柱ともいうべき、頭文字『鹿』を配し校章となす。 雪の結晶は北海道を外側の六角はダイヤで石炭(黒ダイヤ)を象徴し、石炭の都夕張を表現したものである… 続きを読む
街の行事 山神祭 炭砿病院前 病院前の道路も舗装になった昭和40年代のころ。 6月、子ども達の神輿行列が炭鉱病院前を行く。 トラックに積んだ巨大なスピーカーの上、山車には『春日』と書かれており、春日町内会の子どもたちの行列のようだ。 春日町詰所前の広場を出発した神輿をかつぎ、子どもたちが隊列を組んで街中を練り歩く。 … 続きを読む
街の行事 坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 春日町から弥生町に登ってくる神輿を弥生町の崖の上から撮影した写真。 散歩道の地図と比べてみると、坂のこちら側は、弥生町3丁目。向こう側は、4丁目ということになるのだろうか。 崖の下はすぐ春日町の炭住が建ち並ぶ。 駅前の通りの先を右手に曲がって、弥生町3丁目と4丁目の間をくだっていく坂道、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 成田利夫さんに教えてもらった、白い実がなる草( 木 )の名前、フッキソウ | 高橋正朝 #121 私の前回の投稿、続・ふるさと大夕張 # 120 〘 名前を知らない草木の実2種類 〙に対し、成田利夫さんからコメントがありました。 名前を知らなかった白い実の草は、フッキソウという名だということで、URL が添付されていました。 その URL は、以下のとおりです。 tiotrinit… 続きを読む
思い出の街角 お祭り 駅前商店街 すずらん型の街灯にオート三輪、昭和30年代中盤最盛期の頃の大夕張駅前商店街だろう。 初夏を迎え、お祭りの季節がやってくると、街に幟があがり、紙桜の飾りで街が彩られる。 着物姿の女の子達の踊りとそれを見ている大勢の人たち。 駅前から春日町方面に続く通りをうめる、人また人の波に圧倒される。 … 続きを読む
訪問記 消えた、大夕張|浅野岳男 平成15年(2003年)10月7日。 昭和26年卒、鹿島中学校同期会が札幌グランドホテルで開催された。 午前中、希望者にバスツアーが計画され、夕鉄バスで、湖底に沈むと言われる「ふるさと大夕張」へ、行って来た。 南大夕張を過ぎると、シューパロ湖が眼下に広がり、その向こうに夕張岳が姿を現してきた。 … 続きを読む
思い出ばなし 七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny 我が家の親の部屋に大夕張鉱業所の記念の皿が飾ってあります。 直径26cmの白地の皿に、紅梅の一枝に咲く数輪の花と蕾と、うぐいすが描かれ、皿の中央寄り縦に右から【 心を一つにして 社長 大槻文平 】と記されております。 裏面には【 七万屯突破記念 昭和41年3月 三菱大夕張鉱業所 … 続きを読む