旗照夫が出演したテレビ番組でのモーニングサービス | 高橋正朝 #172

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 旗照夫が出演したこのテレビ番組は、NHK の番組だった思う。

 というのは、CM が流された記憶がないからだ。

    

 この番組はナマ放送で、ストーリーはあったのだが、ドタバタした雑音は、まともにテレビ放送に入り込んでいた。 当時の撮影技術ではいたし方ないことではある。

    

 さて、ストーリーはあったと書いたが、そのストーリーは何も覚えていない。 深刻さは全然なく、明るい雰囲気の番組だったのは記憶している。

    

 旗照夫が扮した青年が、今思うと、喫茶店だったのだろう、そこに入ってきて、顔なじみの女性に、「 モーニングサービス 」と言った。

    

 女性は、顔なじみだが、マ、ウェイトレスだ。 まだ、私はウェイトレスという言葉とその仕事のことは知らなかった。

    

 お盆( 古いネ )で運ばれてきたのは、コーヒーカップと食パンだった。

 旗照夫がコーヒーをひと口飲み、他の出演した役者と話しながら、食パンに何やら、多分バターかジャムを塗って食べたりした場面だけを覚えている。

    

 食パンは、もちろんトーストであるが、当時、鹿島東小学校4年生の私には知らなかった名詞である。

    

 トースターなるものも、もちろん知らなかった。

    

 我が家では、パンを、石炭ストーブの上に置いた金網で焼くことはあった。

 その焼かれたパンを、トーストと呼ぶことはなく、焼きパンと言っていた。

   

 旗照夫が歌手であることは知っていた。 華やかな都会の雰囲気にマッチした挙措動作で、しかも明るく、NHK の番組制作にはうってつけの人だろう。 

  

 テレビのなかの番組とはいえ、ハテ、〘 モーニングサービス 〙とは何だろう?と、私は疑問に思った。 こういうどうでもいいことに拘泥するのは、生来の性格である。

   

 当時、私は、サービス=無料 と思っていた。

    

 しかし、顔なじみの女性がお盆で運んできたのは、コーヒーと焼きパン、それとゆで卵だった。 ゆで卵をむいて食べるシーンもあったのだ。 〘 モーニングサービス 〙と称するとこれらは無料なのだろうか? 

   

 モーニングという言葉と意味も知らなかった。

    

 旗照夫が「 モーニングサービス 」と言ったのは、タダのメシを注文したのかなぁ〜と思ってしまった。 

   

 これを読んで、みんな苦笑するだろうが、本当にそう思ったのだ ••••••。

    

 喫茶店なるものは、マンガ、映画、テレビなどで名称だけは知っていたが、そもそも実物は見たことはなかった。 昭和30年代初頭に、大夕張に喫茶店があったかどうかはわからない、

   

 私が、鹿島中学校に入学する前後、大夕張駅前の商店街、区画でいえば緑町に、喫茶店ができた。 たしか、〘 アシベ 〙という店名だったように思うが、間違っているかもしれない。

    

 私は、喫茶店というのは、黒メガネをかけてタバコをプカプカ吸う不良が行くところだと思っていた。

    

(2023年11月25日 記)

 


 (筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)

  


   

1件のコメント

  • 『旗照夫』と聞いて、覚えがあった。
     
    テレビで見ていた。なんの番組かまでは思い出せなかった。
    経歴を調べてみると、1959年から1961年まで「おかあさんといっしょ」の初代歌のお兄さんだった。
    時代的には自分とドンピシャリの世代だ。
     
    熊?狼?のぬいぐるみと話すシーンがわずかだが思い浮かぶ。
    みんなのうたの「もしもぼくが」という歌も歌っていた。
    こちらも聞いたことがあるかもしれないが、思い出せない。
    YouTubeなどで、旗照夫の歌声を聞いてみた。当時の記憶のままだった。

    当時は旗照夫は20代後半。
      
    その後も歌手として活躍していたようだが、この人の印象は、自分の中では、この時のまま時間が止まっている。

     

    大夕張の喫茶店、昭和45年頃大夕張駅前に、喫茶『純』があった。
     
     
    自分は入ったことはなかったが、昼は喫茶、夜はスナックのようなところだったらしい。
    中学生になった自分には入り口が小さく、しかしどことなく誘われるような雰囲気を感じる印象の店だった。高校生の溜まり場にもなっていたらしい。
     
     
    高校生になって札幌にでた自分は札幌の喫茶店巡りが好きだった。
      
    昭和52年頃、川西商店横の福川薬局のあとにできていた『ひまわり』という喫茶店に入った。
    明るく人の少ないのんびりした小さな健康的な店だった。
     
    カウンターにおばちゃんがいたが、どんな話をしたのか、しなかったのか、覚えていない・・・。
     
     

     
     

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