鹿島眺望公園から夕張岳に向かって伸びる白銀橋を渡り、1kmほど進むと、 左手に『白金望郷の碑』と『奥鹿島分校ゆかりの碑』が二つ並んでたっている。 道路から見ると1メートルほど高くなったところに建っていて、夕張岳登山道に繋がるこの道を行く人にとっては、目に着く場所だと言っていいだろう。 …
碑文 道路開通記念碑 昭和三十七年十月六日建立 場所は、夕張東高跡地の鹿島眺望公園内にある。 かつて、シューパロ湖畔の公園にあったが、夕張シューパロダムの完成とともに整備された公園内に移設された。 碑の大きさは、『高さ180cm×幅141cm×奥行68cm』で、かなり大きい。 …
私が、鹿島東小学校の2年生ごろから、大夕張から南部につなぐ道路の工事が最盛期をむかえた。 勉強などしないヒマな少年たちは、その工事現場をちょくちょく見に行った。 その少年たちの仲間には、もちろん、私も含まれている。 ただ、少女たちが、工事現場を見に行ったというのはなかったよ…
2022年10月に撮影した写真。 美しい風景を見ていると心が穏やかに安まる。 なのに。 忘れていた悲しみが頭をもたげるように、かつて誰かも言っていたが湖面に顔を出す木々が墓標のように見えてくる複雑な感情。 20代の頃、深夜ドライブと称して札幌から2時間圏内のところへ…
三菱君を書いて下さった楽しい斎藤様の家では、当時受信料が三百数十円程かかったのではないでしょうか。 私の母は堀田牛乳店の月々の支払いがほぼ同額だったので、TVと牛乳どちらにするかと迷いましたが、キャラメルの箱の大きさまで比べてしまう子供達を見て、TVをあきらめました。 エンゲル…
後ろは、鹿島眺望公園(明石町夕張東校跡地)周辺から鹿島白金に伸びる新しく完成した白銀橋と、アーチだけが顔を出す白銀橋。 写真を撮影したHHさんは、南部育ち。昭和20年代、小学校は南部小学校に通った。 桜ヶ丘・下夕開拓地から通う親しい仲間もいたという。 夜、シューパロ川の対岸、…
平成7年(1995年)から長い年月をかけて、平成26年(2014年)に夕張シューパロダムは完成した。 昭和45年頃大夕張郵便局の職員だったHHさんは、工事が進む様子と「ダムがダムをのむ」その様子を小学生だった孫を連れて写真に収めてまわった。 そのうちの一枚。 白銀橋は…
明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。 右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。 「大夕張に帰る」 そんな思いが、よりいっそう強くなった。 近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ…
前々回、『白銀橋上から古のシューパロの流れ』の写真と反対側にあたる。 川の流れでいえばシューパロ川の下流方向から白銀橋を見ている。 2005年撮影 今は湖底にその姿を留める この写真も2005年頃、夕張シューパロダム工事関連の一つとして大夕張ダムの湖水が抜かれた時に撮影した画像。 …
一週間前の投稿、〘 共栄橋 〙の写真は興味深かった。 写真のなかの手前が男性なのは誰でもわかるが、奥に写っている人物は、小さく写っているので判然としない。 女性のように見える。 バックの植物群の山肌だけをみると、明石町側の山肌なのか、開拓側の山肌なのかはハッキリ…
訪れるといつも満々と水を湛えていた印象の強い白銀橋周囲のシューパロ湖だったが、2005年にダム湖の水を抜いたことがあった。 その時、白銀橋の上から撮影した写真。 橋の白金寄りのところで北に向けてシャッターを切った。川伝いに左側(上流)に向かえば、明石町方面に出る。 湖水を抜いたとあ…
ふるさと誌「しろがね」から。 以前掲載の「共栄橋」を渡る人物と同じ、服装や雰囲気から同じ日に撮影された写真のように見える。 Tokio Tanikawaさんのお父様が写っているというコメントがFB版であった。写る人物は谷川さんらしい。 写真には、「白銀橋の建設作業」(昭和34年頃)とい…
先日、掲載した明石町と開拓を結んだ「共栄橋」の話題の続き。 ふるさと誌「しろがね」(平成9年発行)には、開拓に入った方々の当時の思い出が寄せられている。 その中に、田坂啓一さんという方が、開拓当初、住んでいた大夕張から開拓の畑に向かう様子や、共栄橋を建設するまでの思い出を具体的に書かれ…
「大夕張駅上空から」の写真に昨日、JUNさんから次のコメントがあった。 以前書いたか、読んだかしたように思うけど、グラウンドの「木組み」は建設中のサーカス小屋。 何棟かあったような。 この中に(?)金属網でできた巨大な地球儀のような球体を固定し、その中でオートバイを走らせていたのを見た。 …
先日の高橋さんの「続大夕張つれづれ#150『蒲の穂』の中に、明石町から、開拓・桜ヶ丘の方に向かう時、通った坂道と揺れる吊橋の話があった。明石町と開拓を結ぶ白銀橋ができる前のことである。 それによると、この揺れる吊り橋は、明石町側の坂道を下り、吊り橋を渡り、そして坂道を上って小林さんの畑のそばの…
2022年5月夕張東高校跡地のグラウンドだった「眺望公園」から。 残雪残る山 青い空 黄色い水仙と 映る鉄柵は、こちらとあちらの世界を分けているようで、不粋ではあるが・・・。 …
〘 蒲の穂 〙を知ったのは、鹿島東小学校の3年生のときである。 今となっては名前も顔も思い出せないが、明石町の炭住街の同学年の男児3人か4人が、開拓か桜ヶ丘のほうまで行き、帰り道、〘 蒲の穂 〙を持った彼らが、番外地の我が家の前を通った。 当時、明石町駅と番外地の間にあった小さ…
大夕張高等尋常小学校~鹿島国民学校~鹿島小学校と、戦前戦後を通して教員として務めていた祖父のアルバムから。 昭和18年(1943年)5月11日の日付とともに、『第13回修了級会』との書き込みがある。ちょうど今年から80年前の写真となる。 昭和18年に開かれた『修了級会』は、今でいうと…
『大夕張駅上空から』のカラー化に拘ってきたが、このまま続けていてもいつ完成するかわからないので、作業途中ではあるが、掲載することにした。 大夕張駅前周辺、鹿島小学校周辺の富士見町や緑町、あとは全体的な山のあたりは結構を何度も手を加えた結果が表れているが、それ以外はまだ粗の段階。 彩色していきな…
北海道の地名はアイヌ語から転化したものが多い。 夕張もユーパロ(鉱泉の湧き出るところ)から来たものだが、細かな地名となると、ゆかりのある本州の地名などが当然多くなる。 鹿島は夕張の芦別側の一番奥にある地名で普通、大夕張と呼ばれた地区だが、住所的にはどこにも大夕張は出てこない。 正式名称…