Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
鹿島小学校 山神社への参道から 思い出の街角

鹿島小学校 山神社への参道から

昭和37年10月9日 別の同じ日の写真には、当時富野小学校に勤務していた祖父の字で、『見学旅行』との文字がある。   大夕張神社への参道の途中から鹿島小学校を背景に同行者を撮影したもの。         この写真の背景を切り取った部分が次の写真。 https://ooyubari.com/2023/…
2008年(平成20年) 住民登録

2008年(平成20年)

本日、拝見いたしました。 なつかしくあまりにもなつかしく見入ってしまいました。 昭和40年遅生まれ~41年早生まれの方同級生となります。 同窓会などあれば声をかけてください。 夕張のことなど語らいましょう!  吉田 聡 sakiyuzu@k8.dion.ne.jp 北海道, 鹿島開拓 40歳~49歳…
桜五月山神社 写真

桜五月山神社

今年の札幌は二週間以上も早いという桜の開花宣言ですでに桜の花があちらこちらで咲いている。   大夕張神社の花見に桜を見ていた『花咲かじいさん』が、大夕張神社境内の桜にも花を咲かせました。   言うまでもなくこの写真は合成写真です。   桜もおそらく山神社に咲いていただろう『エゾヤマザクラ』と違い、本…
大夕張の企業『鹿島通運株式会社』(昭和36年夕張市の企業と名士録より) あらかると

大夕張の企業『鹿島通運株式会社』(昭和36年夕張市の企業と名士録より)

遠幌営業所   【所在地】 夕張市鹿島一番地 (電話)大夕張局100番)   【代表者】 田中剛一   【資本金】 三百万円   【設立年月日】 昭和28年11月1日 本間常務 【主たる役員】 取締役社長 田中順一 常務取締役 本間昌吉 取締役  成相淑 古賀秀雄 沢田金二 小野猛郎   【事業の経…
階段を上った先の大夕張神社拝殿 思い出の街角

階段を上った先の大夕張神社拝殿

大夕張神社参道の階段を登りきると、その先に・・・視界が開け、広い境内が表れる。 そしてその先に山神社の拝殿がある。   写真の手前の台座にはかつて立派な石の灯籠が立っていた。   くらしの中の神社。   年の初めと終わり、日々のくらしの様々な場面で足を運んだ場所。 故郷を出、人生の節目でこの場所に立…
大夕張神社からの街並み 思い出の街角

大夕張神社からの街並み

『昭和6年頃(1931年頃)』とされる大夕張神社からみた大夕張の街並み。 夕張シューパロダム発行の『大夕張』に掲載写真のキャプションには、『大夕張神社より見た栄町方面(昭和6年頃)』とつく。実際には、もっと後のようだ。        雲の向こうに、前岳の姿がわずかに見え、眼下には大夕張の町が見える。…
北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140

         私の大夕張時代は、いわゆる江戸前の寿司のことを〘 なまずし( 生寿司 ) 〙と言っていた。  まだ、各家庭に冷蔵庫などなかった時代である。       だいたいが、大夕張時代の私の小学校低学年くらいまでは、生の魚介類を食したのは、イカの刺身だけだった。 イカをキシメンぐらいの巾に切…
丘の上の大夕張小唄 ~鹿島眺望公園~ 写真

丘の上の大夕張小唄 ~鹿島眺望公園~

  2022年青空のもと 残雪に映える夕張岳 五月の はだ寒い風の音といっしょに 胸の奥で 大夕張の声が聞こえていた       シューパロに風わたり  流れもぬるんで 春がくる  のぼりはためく 山神祭  祈りかしこみ 地熱の中に  男度胸の花が咲く  大夕張よいとこ 炭坑の町よ     「ふるさ…
映画上映中の大夕張劇場 思い出の街角

映画上映中の大夕張劇場

映画上映している大夕張劇場 右手に見える立派な料亭風の塀のある建物は、昭和43年の住宅地図で、サトミ会館となっていて、繁華街だった千年町らしく飲食店が数軒入っている。 この場所は昭和5年に千年町に入った指定商として、「土屋商店(飲み屋)」とある。   昭和の初めから酒を扱う飲食店だったのだろう。  …
大夕張 バス停 1997 思い出の街角

大夕張 バス停 1997

  1956年に地域にバスが走って以来、地域住民が集団移転する1998年まで利用された旧大夕張駅前のバス停。 美鉄バスと夕鉄バスの二本のバス停が立つ。   かつてバス停のそばには柳の木や背の高い大きな木々があり、そこでバスを待つ人の雨露をしのいだ。 その場所に小さな待合小屋ができた。     大勢の…
夕張信用金庫大夕張支店 思い出の街角

夕張信用金庫大夕張支店

     昭和32年(1957年)に開設された。その頃、千年町の大井質店の一角を借りて店舗があった。 (「大井組と大井質店」の中の清一氏の葬儀時の写真に看板が見える)     駅前のこの建物はその後の建築だろう。    信金の建物の向かって右に見えるのは、北海道拓殖銀行の建物と掲示板。  舗装されて…
東高バイク通学 |Masami Kawauchi 思い出の記

東高バイク通学 |Masami Kawauchi

  昭和49年 明石町 夕張東高校 バイク欲しくて定時制行きました。 高校の坂を登り切って夕張岳をバックに撮影。 全日制の女子学生見えますね。 私達はバイク通学でした。 白黒写真に着色した画像     (2020年5月17日 記) (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳…
大夕張神社階段 思い出の街角

大夕張神社階段

 幟立つ大夕張神社。階段の向こうに拝殿の屋根が見える。  ここまで来ると境内は目の前だ。    北海道神宮例祭(さっぽろ祭り)に合わせて6月14・15・16日に行なわれたという。  写真には残雪が残っているようだ。さすがに、6月の残雪は記憶にない。  5月に開催されてた頃の写真だろうか。それとも雪で…
ゆめゆめうたがうことなかれ | 高橋正朝 #139 続・大夕張つれづれ

ゆめゆめうたがうことなかれ | 高橋正朝 #139

       〘 夢 〙の話を4回続けましたが、この〘 ゆめゆめうたがうことなかれ 〙のセリフは、千年町にあった大夕張劇場で観たチャンバラ映画のなかでの夢まくらに立った老人のセリフだった。       鹿島東小学校の低学年のころで、当時のチャンバラ映画の本数は、東映が圧倒的だった。  〘 ゆめゆめう…
鹿島東小学校閉校記念碑 昭和53年 学び舎の思い出

鹿島東小学校閉校記念碑 昭和53年

   昭和53年(1978年)の夏頃。  鹿島東小学校跡地で閉校記念碑の除幕式が行なわれた。      この年、3月に鹿島東小学校で閉校式が行なわれ、4月に入ってすぐに鹿島小学校で児童の統合式が行なわれた。  鹿島東小学校から教師4名、児童数6名が異動し、鹿島小学校の児童数が190名となった。   …
昭和26年 NHKのど自慢 楽しかった日々

昭和26年 NHKのど自慢

協和会館でのNHK全国のど自慢コンクールの一こま。 バック幕に貼られた文字によると、『南空知予(選)』と読める。   違う場面ではあるが、同じ日の一コマが大夕張炭労の解散誌にも載っている。 解散誌に掲載の写真は歌唱シーンである。   そして、そこに「昭和26年1月18日 成人祭記念」とのキャプション…
『かしま 開校50周年記念誌』表紙の鹿島小学校の写真と閉校誌 2丁目3番地

『かしま 開校50周年記念誌』表紙の鹿島小学校の写真と閉校誌

   昭和53年(1978年)11月12日に発行された50周年開校記念誌の表紙に鹿島小学校の校舎の写真が載っている。    撮影された日は晩秋の雨が降り止み、晴れた日のだっただろうか。  この年に完成した新体育館、その他にも校地の改良工事が行なわれているのか、写真右手前にコンクリート製の大きな土管が…
かしま 開校50周年記念誌 |夕張市立鹿島小学校 本棚

かしま 開校50周年記念誌 |夕張市立鹿島小学校

【書 名】  『かしま 開校50周年 記念誌』   【発 行】  夕張市立鹿島小学校 【紹 介】昭和53年、鹿島小学校が創立50周年を迎えたときの記念誌。前回、昭和43年の開校40周年時の開校記念誌からページ数も大幅に増え、76ページにわたり昭和53年当時の学校の現況と50年の歴史をふり返りる。 在…
夕張東(鹿島)高校歌 メロディ楽譜 校歌よ永遠に

夕張東(鹿島)高校歌 メロディ楽譜

 今回、メロディ譜をのせるにあたって、前回3月23日の投稿では、伴奏用データを掲載した。    本当は、メロディ部分だけ掲載したかったが、楽譜からの打ち込みは、自分にとっても20数年前の出来事であり、その時に、夕張東(鹿島)高校校歌のメロディ部分だけのデータは保存していなかった。  以前『鹿島小学校…
昭和30年代 千年町駅 思い出の街角

昭和30年代 千年町駅

昭和30年代の千年町駅駅舎。   千年町の住人ではなかった。 駅を利用したこともない。(まったくないとは言い切れないが・・) なんどもそのそばを通り、行ったことがあるのに、駅自体の記憶はあまりない。   千年町というとバス通りと山を背にした寺院街の光景が最初に思い浮かぶ。 それは商店街の通りからの視…