あらかると

大夕張のむかし・歴史のひとこま・エピソードなどを紹介

昭和48年 閉山直前の大夕張の商店 あらかると

昭和48年 閉山直前の大夕張の商店

商店名は、『夕張市史(S56)』『鹿島のあゆみ』に、掲載されていたもの。これらに住宅地図や、写真にうつる看板、記事などから、町内名をつけて記載。   1973年(昭和48年)夏に大夕張炭鉱が閉山されと、大部分が移転を余儀なくされた。その一部は南部青葉町に新しい商店街を形成した。 閉山直後は、約4分の…
大夕張鉄道 沢と橋(山史から) あらかると

大夕張鉄道 沢と橋(山史から)

1号の沢鶯     沢2号の沢吉  野  沢3号の沢五 十 鈴 沢4号の沢香  椎  沢8号の沢明  石  沢5号の沢旭     沢6号の沢竜  田  沢7号の沢宝     沢名  取  沢初  音  沢昭和2年11月4日名称を付す  明石沢は、当初暗渠布設の予定だったが、これを橋梁に変更したため、…
生協のたんじょう 1953  あらかると

生協のたんじょう 1953 

1953年(昭和28年)4月1日、準備委員会が発足し、6月7日、生活共同組合創立総会が開かれた。 そして、駅前の旧明倫寮前に仮事務所を定め、その年の夏、8月11日から店開きをした。 写真は、その当時の様子。 6坪の広さで開業後、翌、昭和29年8月には98坪、昭和36年10月には314坪と、拡大発展し…
逃 亡 あらかると

逃 亡

大夕張が、まだ南部だったころの大夕張炭坑の時代。   明治末期、日露戦争後、日本の経済は大不況に陥り、炭鉱の経営も苦しくなった。 炭坑夫 の中にも、重労働から逃れて他の職を求めたり、少しでも景気のいいヤマにいこうとするものがいた。 他のヤマからの引き抜きもあったという。 飯場制度の下にあった 炭坑夫…
千年町に入った 指定商たち あらかると

千年町に入った 指定商たち

 南大夕張から新鉱を開いた北部に移転するのに伴い、それまで南部で営業していた商店が、大夕張に移転してきた。  三菱礦業所が、鉱業用地の一部を区割りして、1戸当たり間口4間、奥行き12間という広さで、営業地及び営業種別を指定した。  一商店あたり、三戸分まで借地でき、地代は坪あたり6銭3厘だっという。…
大夕張鉄道敷設案 あらかると

大夕張鉄道敷設案

 昭和4年の(北部)大夕張開鉱以前、北部大夕張の炭田の有望なことが明らかになり3本の専用鉄道敷設案が検討された。 大正7年(1918年)  7月、三菱鉱業が北部大夕張(鹿島)を調査し始める。  北部開発第1次案として『北部大夕張-万字間』鉄道調査。  万字の石川呉服店を根據として調査を開始するも急坂…
三菱、大夕張炭坑買収のころ あらかると

三菱、大夕張炭坑買収のころ

 手元に昭和41年8月1日発行の大夕張炭鉱労働組合『二十年史』がある。労働組合が記述した労働者の歴史、とはいってもかたぐるしくなく、読み物としても面白い記述が多い。時代の雰囲気や、様子がわかる部分を抜き書きしながら、ここに書き留めていきたい。    以下は、明治末期、資本参加していた三菱が、大正五年…