昭和 1969年(昭和44年) 1月 10日,大夕張炭山営林岐線撤去。 2月 4日,朝登関帰郷。 6日,健保会館で、十両優勝祝勝会。 17日,雪害の為9日公休を8日に振替。3月 大相撲3月場所朝登初入幕(西前頭10枚目)4月 1日,鹿島東小第5代木村四郎校長。 >町名改正。【鹿島明石町(明石町)鹿島千年町(千年町と錦町の一部)… 続きを読む
昭和 1968年(昭和43年) 2月 8日、8時40分頃,奥部南1卸斜坑で事故殉職1。 28日、午後3時50分頃、奥部立入第2立坑でガス燃焼、殉職1、負傷15。3月 15日、『シューパロ』No.4 発刊(北海道夕張東高校郷土研究部機関誌)4月 1日、鹿島小第10代佐々木幸一校長。 奥鹿島分校教員定数2名となる。 鹿島中第8代… 続きを読む
昭和 1967年(昭和42年) 1月 24日,午後9時半頃,南部南2片第6立入延先にて落盤,殉職4,負傷4。 25日,第二聖心幼稚園前の車道に母の会が連名で,横断歩道と信号機の設置を要請。3月 5日,『夕張川流域の先史遺跡』発刊。(北海道夕張東高等学校郷土研究部)4月 大夕張第二聖心幼稚園を栄町に開設。(園児136人 園長ジェーム… 続きを読む
昭和 1966年(昭和41年) 1月 23日,「奥鹿島分校の歌」制定。 31日,夕交タクシー札幌太平交通株式会社に買収。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、北海道知事から竿頭綬授与。3月 10日,夕張東高校郷土研究部機関誌『シューパロ』No.2~特集 夕張川流域の遺跡~発刊。 鹿島消防団、夕張消防団とともに、消防庁長官から表彰旗授与… 続きを読む
昭和 1965年(昭和40年) 1月 1日,夕張鹿島高等学校から夕張東高等学校と改称。2月 異常集中豪雪(積雪量172cm)市内交通マヒ。3月 1日,鹿島簡易郵便局設置。 10日,『シューパロ』No.1発刊(夕張東高校郷土研究部機関誌)4月 炭鉱病院裏の隔離病棟跡に,三菱大夕張高等鉱業学校設置。(グラウンドは鹿島小学校のものを使用… 続きを読む
昭和 1964年(昭和39年) 2月 14日、札幌線(鹿の谷~札幌三菱車庫60.9㎞)免許申請 22日,鹿島児童会館できる。(栄町3丁目)職員1,遊具施設等。3月 31日,市立鹿島高校,道立移管。北海道夕張鹿島高等学校。4月 1日,私立大夕張聖心幼稚園を富士見町(鹿島小横)に設立。s40年度園児320名教職員11名。(園長ジェー… 続きを読む
昭和 1963年(昭和38年) 1月 三菱大夕張鉱が標準作業量の引き上げを中心とする合理化案を提案。 23日,9201号蒸気機関車芦別専用鉄道に譲渡。 30日,芦別専用鉄道より9607号蒸気機関車入線『No.7』。3月 31日,苫小牧港完成により,送炭開始。5月 1日,遠幌駅に売店開業。 5日,バス運賃改定。礦業所~明石町・中学… 続きを読む
昭和 1962年(昭和37年) 1月 16日,鹿島高校全日制課程設置認可。(通学区鹿島・南部) 2月 10日,シューパロ湖,道立富良野・芦別道立自然公園に指定を受ける。 大夕張鉱奥部第1立坑堀鑿完了。 3月 奥部第2立坑(深さ940.2m)堀鑿開始。 19日,病院前踏切にてNo.4牽引の混33列車,トラックと衝突。死傷者なし。 3… 続きを読む
昭和 1961年(昭和36年) 2月 各駅で,国鉄準急券発売開始。3月 開拓橋を白銀橋と改称。 鹿島橋(千年-常盤)竣工 9粁300切土工事着工。4月 1日,鹿島高校(定時制)独立校舎へ移転,鹿島中校舎共用を解除される。鹿島中34学級となる。 鹿島小に鼓笛隊できる。(田中豊一80名) 9日,9粁300切土工事完了新線切換。葡萄山… 続きを読む
昭和 1960年(昭和35年) 1月 1日,大夕張駅売店,大友二葉に名義変更。 14日,私有貨車タキ14両入線完了。 15日,10粁700および吉野沢工事着工。 27日,大夕張炭山駅からメタノール輸送開始。2月 11~15日に開催された第38回全日本スキー選手権大会(新潟妙高高原)にて,アルベン滑降・大回転にて出雲道男(天理スキー… 続きを読む
昭和 1959年 昭和34年 3月 客車ナハ5入線。 31日,鹿島中第4代天野光二校長。4月 1日,鹿島小第8代萱場武夫校長。 >美唄鉄道より9615号蒸気機関車借入。6月 開拓橋完成。大夕張ダム本堰提コンクリート打設開始。 鹿島中放送設備完成。 香椎沢埋立工事北宝建設指名入札。7月 12日,夕張市連合PTA研修会が鹿島小で開… 続きを読む
昭和 1958年(昭和33年) 4月 1日,鹿島中の特殊学級認可,鹿島小に依託開設。鹿島中学級数23。鹿島東小最大規模児童数1388人,27学級。5月 大夕張炭山駅に三菱鉱業専用側線(メタノール岐線)設置。6月 18日,鹿島小校舎改築。鉄筋コンクリート3階建て校舎第一期工事改築竣工(普通教室10,特別教室2(音楽室等),昇降口,校… 続きを読む
昭和 1957年(昭和32年) 1月 富士見が丘スキー場にロープトウ.夜間照明施設取り付け。 13日南卸十片連延坑道でガス突出(死亡2 重軽傷3)2月 1日,農場前臨時乗降場廃止。(大夕張ダム建設による廃止) 19日,北菱香取坑送炭開始。(3/7ポケット設置)4月 1日,桜ケ岡小学校を移転し,鹿島東小学校奥鹿島分校として開校。児童… 続きを読む
昭和 1956年(昭和31年) 1月 10日,北宝建設,代表取締役に中島政雄選任。3月 5日,大夕張主婦会創立10周年記念大会(協和会館) >本坑立坑貫通。4月 2日,清水沢駅改築落成。 15日,鹿島東小校舎増築(教室2,理科準備室) 鹿島中,体育館97坪(320.1㎡)増築(ステージ含む)。 鹿島消防団長中山正人退任。7代目団… 続きを読む
昭和 1955年(昭和30年) 2月 1日,宝町旧鹿島支所跡に夕張市立図書館鹿島分館開設。本館より300冊分冊。職員2。 25日,鹿島緑町子供会(小井出政吉15名) 3月 南部送炭終了。 4月 1日,弥生町青年会(阿部正一23名) 2日,南部錦坑操業中止(合理化の為)。 5月 1日,鹿島東小第3代PTA会長沢田金二。 6月 1日,… 続きを読む
昭和 1954年(昭和29年) 1月 18日,鹿島東小校舎増築(教室2) 26日,緑町に天理教北真夕分教会創立。(創立者出雲喜一岩手県より夕張に来り,北夕夕張鉱に勤務。天理教に入信し昭和3年奈良県天理市にある天理教本部に修養のため6ヶ月の教育,大夕張で布教を始める。) 29日,大夕張駅に売店開業。 大夕張鉱本坑排気立坑堀鑿開始。4… 続きを読む
昭和 1953年(昭和28年) 1月 鹿島南部分町問題 住民投票実施。(賛成6448,反対1338,白紙及び無効120) 大夕張短歌会発足(会長 冨士元秋幸)。3月 客車オハ1入線。 北菱鹿島炭砿送炭開始。 15日,普通定期券乗車券制度制定。4月 1日,イリスコール(合唱)設立。小林清次(s31年時会員43名)5月 1日,鹿島東小… 続きを読む
昭和 1952年(昭和27年) 1月 10日,大夕張カメラ連盟設立。平岡康国(s31年時会員89名) 2月 1日,夕張北高鹿島分校独立校舎建設運動をPTAが中心に起こし,市長及び市議会議長宛陳情を行う。 10日,鹿島東小校歌制定。(作詞,作曲小林清次,校訂上元芳男) 3月 1日,旅客運賃改訂大夕張・清水沢間40円。当時の駅【清水… 続きを読む
昭和 1951年(昭和26年) 1月 10日,鹿島裏千家松風会(茶道)設立。萩野恭子(s31年時会員17名) 18日,成人祭記念NHKのど自慢コンクール(協和会館) 2月 カッペ採炭開始。 10日,仮称鹿島第2小学校(鹿島東小)校舎新築工事竣工。 13日,南卸で自然発火,傷者12人。(春) 鹿島開拓団設立。団長吉田… 続きを読む
昭和 1950年(昭和25年) 2月 24日,鹿島小学校児童数増加により鹿島第2小学校建設を目的とした期成会が発足。3月 31日,鹿島小第6代横路時雄校長。鹿島中第2代河合清校長。4月 1日,明石巡査駐在所設置。(明石町駅前の炭住の一角に。s38.駅横に新築 s49.4.1廃止) 三菱鉱業(株)が美唄鉄道(株)を吸収合併。「三菱… 続きを読む