炭鉱とともに 大夕張礦業所 事務所 昭和40年頃 『昭和40年 大夕張礦業所 正門前』と同時期の撮影と思われる。 同じく色調を修正し、編集済。 下の元画像の色を修正編集した画像 大夕張礦業所事務所 元の写真 以下は、昭和36年発行『夕張市の企業と名士録』に掲載の大夕張礦業所。 https://ooyubari.co… 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張礦業所 事務所 昭和30年頃 昭和30年代前半、おそらく1958年頃の大夕張礦業所事務所建物を撮影した写真。 白黒写真に着色した画像 昭和30年代の大夕張礦業所事務所 https://ooyubari.com/2021/05/06/kogyosyoko… 続きを読む
炭鉱とともに 工場地帯 昭和45年頃の大夕張礦業所の工業地帯。 たくさんの数の工場や施設があり、拡大して眺めると飽きない。 『索道ヨリ工場地帯ヲ望ム』と同じ視点の40年間の発展を示す写真といってよく、礦業所の北側から、工場地帯、住宅地の方まで俯瞰する。 写真右端にうつる礦業所事務所越しに炭砿病院、栄町アパート… 続きを読む
炭鉱とともに 選炭場 昭和40年代と思われる。三菱大夕張炭礦選炭場。 石炭の積込みには、ベルトコンベアについている秤で、炭の量が分かり、1台に積む石炭の量は、常に同じしくみになっていたという。 大夕張炭山 選炭場『大夕張炭労 解散記念誌(s47)所収』… 続きを読む
炭鉱とともに 選炭場の選炭婦たち 夕張のどの炭鉱も選炭場には、大勢の選炭婦と呼ばれる女性がいた。 大夕張炭砿にも選炭婦と呼ばれる女性たちがいた。 バンドと呼ばれるキャタビラー状の機械にのって流れてくる石炭を、炭塊の大小、岩塊の別などを素早く選別し、選り分けていた。 とかく男の荒々しい炭鉱の職場の中でも、ここは、晴れやかな活況… 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張礦業所全景 昭和12年(1937年)頃の大夕張炭山。 大夕張礦業所全景をとった同じ場所からとった写真は、昭和初年から閉山まで『ふるさと大夕張2丁目3番地』に掲載しているが、定点観測しているように発展のあとがうかがえて面白い。 昭和12年度版 『三菱の北海道炭』(三菱礦業株式会社発行)から … 続きを読む
炭鉱とともに 坑口 その2 大夕張炭鉱の数多くあった坑口の一つ。昭和30年頃と思われるが詳細不明。 坑口に大きく掲げられた看板の字が不鮮明で読み取れないのが残念。 以前掲載した「坑口」の写真と一緒に投稿された写真。 白黒写真に着色した画像 参考までに夕張市史や、社史による坑口のおおよその位置図は次のページから ht… 続きを読む
炭鉱とともに 昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』 この年、1973年(昭和48年)4月19日に会社から閉山提案。 世帯数3246のうち、商店、2百数十世帯が、炭鉱とともに生活してきた。 町全体の存亡の危機の中、商店も5月28日に行なわれた炭労のゼネストに参加したという。 閉山阻止の運動もむなしく、8月大夕張炭鉱は閉山となった。 写真は、岳富町商… 続きを読む
炭鉱とともに 坑口 昭和30年前後に撮影されたもののようだが、場所、その他詳細不明。 ケーブルに巻上機が設置されていて、坑口の周辺は資材が散乱し、使われているようにみえない。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
炭鉱とともに 三菱鉱業大夕張礦業所全景 昭和30年代 白黒写真に着色した画像 大夕張礦業所全景。表玄関とも言うべき事務所の裏手にあたる一帯。左手下の建物は,進発所。中央には,コークス工場,石炭の積み出し施設が見えています。 https://ooyubari.com/2020/04/16/s33kogyosyotatemono/ 進発所… 続きを読む
炭鉱とともに 昭和8年 大夕張礦業所 こちらの写真も、『昭和8年 栄町』の写真と同じように、かつて九州の大学のデジタル資料で公開されていた画像の2枚のうちの一枚。 石炭の積み込み場のあたりには、石炭車を連結した蒸気機関車が白煙をあげているのが見える。 その向こうの工場地帯は、開発までの原野が広がっている。 原野を切り開いて建設され… 続きを読む
炭鉱とともに 婦人たちの行進 昭和30年代、大夕張炭鉱労働組合の主婦会による団体行動。婦人たちに混じり子どもたちの顔も見える。 大夕張礦業所のゲート前に集結するところのようだ。 大夕張炭山駅の屋根のあたりから撮影したと思われる北から街方面を撮影した構図。 冬空の下の組合行動とはいえ、カメラに写る婦人たちの表情に笑顔があり、どこと… 続きを読む
思い出貼 C1101 大夕張炭山にて NHKのテレビドラマ『すずらん』や、東映映画『鉄道員(ぽっぽや)』が公開され、話題になった頃、標茶町に展示保存されていた旧国鉄のC11が北海道の大地を走りました。 以前、留萌駅-増毛駅間を走ったSL『すずらん号』や、釧路駅-標津駅間のSL『湿原号』に乗車しましたが、サイズ的にも、… 続きを読む
炭鉱とともに 政策転換闘争オルグを見送る家族(大夕張駅前)昭和36年9月頃 昭和36年(1961年)9月。 政策転換闘争のため、オルグとして東京に向かう組合員と見送る家族の姿。 大夕張駅前。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅前 後ろには郵便局… 続きを読む
炭鉱とともに 北夕炭砿 三菱大夕張鉄道『遠幌~南大夕張間の沿線にあった炭鉱』の一つです。 『ふるさと大夕張』には、奥山さんの解説を掲載していましたので、それを再度転載します。 北夕炭鉱 【奥山道紀 】(2002年11月20日) 清水沢から列車で大夕張炭山へ向い遠幌を過ぎた辺りに、二つの石炭積込みポ… 続きを読む
炭鉱とともに 採炭小泉組 白黒写真に着色した画像 採炭小泉組 【斎藤敏幸】(2021年5月8日) 昭和30年代前半 当時採炭作業は、組ごとに、組織がありました。 採炭組には、それぞれ熟練に応じ、大先山、先山、後山とありました。 父は先山で石炭を掘っていました。 何かの折に、坑道から出てきたタイミングで 撮… 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張礦業所 事務所 昭和30年代、ゲートを通って中にはいったところで、正面に事務所が見える。 子どもの時、一度、ゲートをくぐってこの広い庭のある場所に来たという、遠い記憶がある。 なぜ、子どもがここに来たのか、遊んでいるうちに、大人の目をかいくぐって入り込んだのか、大人と一緒に連れられてきたのか、誰と来たのか? … 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張炭砿労働組合 事務所 昭和20年11月の発足以来、大夕張での労働運動の指導的役割をはたしたセンター的な建物。 昭和43年ころの写真と思われ、壁には、当時の情勢を反映したスローガンが外壁に張り出されている。 全組合員、家族と地域住民の生活安定のため、「いのちを守る国有化斗争」を長期頑強なストライキでたたかいぬこう… 続きを読む
炭鉱とともに 炭労東京へ 昭和41年、日本炭鉱労働組合(炭労)が行っていた石炭政策転換闘争。 東京で行われた抗議集会に全国から多くの炭砿労働者が集まった。大夕張炭鉱労働組合として参加した、東京での記念写真。 白黒写真に着色した画像 炭労抗議集会へ参加の際 集合写真 (東京 日比谷公園) 父の写真 【成田利夫】 確か昭和4… 続きを読む
炭鉱とともに ヤマの男たち 昭和30年代前半 白黒写真に着色した画像 岳富町の辺りを炭労の旗を先頭に千年町方向に進んでいます。 賃金闘争。大夕張炭鉱労働組合の赤い旗を先頭に、『1方80円要求貫徹』の要求を掲げています。 背景には、左手から鹿島小学校の旧校舎や、泉町の住宅、消防から、緑町の住宅まで。 後ろには、昭和3… 続きを読む