開拓・白金 桜ヶ丘 住宅地図 その2 以前、桜ヶ丘開拓地の開拓農家の入った地図を、山影さんと小野寺さんの追想から作成したものを掲載した。 今回、ある方の手を通して、桜ヶ丘の元住民、鈴木さんが作成したという地図が手に入った。 下の地図は、鈴木さんが60年前を回想し、作成した地図をもとにつくった。 ただ家のあった場所は記憶にあるもの… 続きを読む
開拓・白金 下夕方面 2004年頃だろうか。新ダムの建設工事の関係で、大夕張ダムの水を抜くというようなことがあった。 その時、普段見ることのできないシューパロ湖の『底』、大夕張ダムによる水没前の地形が表れていた。 パンケモユーパロ川とシューパロ川の合流地点の大夕張ダム管理事務所のところから、三弦橋の向こう下夕方面。… 続きを読む
開拓・白金 桜ヶ丘開拓地 住宅地図 前回、『開拓地 住宅地図(桜ヶ丘・下夕張・旭ヶ丘)』のページで、山影さんの著作の中から、「下夕張4k地点」と『旭ヶ丘』開拓地の追想から住宅地図を掲載した。 「桜ヶ丘」については、後日掲載としたが、今回ページをあらためて、ここで紹介する。 「桜ヶ丘」については、以前、シューパロ塾での学習会の時の資料… 続きを読む
南部 昭和47年(1972年) 南部地区航空写真 昭和47年(1972年)の南部地区の航空写真。 市街地と大夕張ダム、シューパロ湖 昭和47年国土地理院空中写真 南部の現在の行政区域を含め南部、鹿島の過去の町名を含めて知ることができる↓ https://geoshape.ex.nii.ac.jp/ka/resource/01/012090190… 続きを読む
開拓・白金 開拓地 住宅地図(桜ヶ丘・下夕張・旭ヶ丘) 昭和20年以降、食糧増産の風を受け、森林鉄道沿いに農地開拓のため、入植した人々がいた。 南部より北部には、「桜ヶ丘」「下夕張」「旭が丘」の3つの開拓地があった。 戦後、下夕張に入った高橋善兵衛さんの娘さんである山影静子さんが、書いた本には、当時一緒に入った人々やくらしの様子について書かれて… 続きを読む
栄町3・4丁目 栄町3丁目・4丁目 12番地以降 栄町3丁目、4丁目。中央浴場と、リハツパーマの看板の理容院(菊田理容院→菊地理容院の誤り)そばの旧浴場あとの空き地が目につく。 昭和8年に病院横にできた大夕張幼稚園が、「昭和21年栄町3丁目18番地」に移転し、その後、健保会館横に写ったと資料にはある。 住宅地図ではけっこう空き地があるように見え… 続きを読む
栄町3・4丁目 栄町 3丁目・4丁目 1番地~11番地 栄町3丁目と4丁目の1番地~11番地を切り取った地図。 駅前通りから数えて1番地、排水溝を流れる沢水が通るところまでが11番地。 2丁目と3丁目の間の通りは、代々木町との境のバスが通った通りと同じような広さがあり、この地図で見るよりもっと広かった印象。 お祭りの子ども神輿の行列もこの2丁… 続きを読む
栄町1・2丁目 栄町 1丁目・2丁目 12番地~27番地 大夕張で、一番人が住んでいた栄町。昔、木造の炭鉱住宅が建ち並び、昭和32年頃からは栄町アパートができて、昭和43年の住宅地図にもびっしり世帯の名前が書き込まれている。 たぶん印刷してこの地図を見てくれる方もいると思うが、字が詰まっていて見にくかったので、栄町アパート分を切り分けた。 前回「栄町… 続きを読む
栄町1・2丁目 栄町 1丁目・2丁目 1番地~11番地 栄町は大夕張で一番人口が多かった地域。 栄町の住宅地図を見ると、栄町アパートは、12番地から始まる。 大夕張の住所を詳しく知っているわけではないが、駅前通りの反対側は緑町だ。 なので、駅前通りを基点に栄町の1番地が始まり、富士見町から理容フレンド、栄町浴場詰所の横を流れる排水というか、沢水ラインまで… 続きを読む
全景 大夕張の全景(航空写真)昭和47年 昭和47年 国土地理院 空中写真 昭和47年当時の官行から、明石町までの、周辺の山々も含めて見て回ることができます。『ふるさと大夕張2丁目3番地』を作成する時、大夕張の土地の様子や、住宅の配置など、参照にすることの多い地図です。 もともとのファイルは、解像度が(9288×6760)のBMPファイ… 続きを読む
駅前商店街 昭和45年 駅前商店街 住宅地図 昭和45年頃の駅前商店街を中心にした住宅地図。昭和48年の閉山直前の地図。上が北方向。礦業所方面。 【改定の記録】 ・2021年3月28日 商店と施設の位置を修正。協和会館までの範囲を掲載… 続きを読む
南部 南部 東町 住宅地図 (昭和43年) 昭和43年の住宅地図。 この年の住宅地図には、大夕張地区と、南部地区が同じ版に掲載されています。南部地区新鉱開発が始まった頃。ここには、新鉱開発用事務所ができています。 南部東町(昭和43年|1968年版 住宅地図)… 続きを読む