続・大夕張つれづれ 無犯罪証明書|高橋正朝 #13 『 無犯罪証明書 』そのものは、大夕張にはなんも( 懐かしい北海道弁 )関係ない。 『 まぼろし探偵 』のラジオ番組を、大夕張での子ども時代に聴き、『 まぼろし探偵 』の正体は誰かで、私が言った「 指紋を検べればいい 」という話から、私の指紋は警視庁に保管されているということに話が流れ、その経緯… 続きを読む
思い出ばなし 聖心幼稚園、鹿島小学校の記憶 |菅井宏史 1998年・・・。 ついに無人の地となった我々のふるさと大夕張。それでもふるさとはふるさと。やはりそうなってもまだ行きたい、行かなければという思いに駆られます。 ただそうしたくてもそうおいそれとは行けない人が多いのも事実です。 私もその一人です。普通はそれで終わりなのでしょう。そうしてその故… 続きを読む
随想 《思えば遠くへ来たもんだ》 |美佐子 37年前の今日、東京に出て来ました。 大夕張 千年町の自宅前から、従兄弟の車で札幌まで送ってもらい、札幌の親戚の家に挨拶に行き、札幌から函館まで列車に乗りました。確か「ゆうづる」という列車だったと思います。 札幌駅には、おばあちゃん、叔母達、従姉妹が見送りに来てくれました。 叔母が「もうし… 続きを読む
思い出ばなし 戦後まもない頃の母の鉄道の思い出|飯田雅人 私の母から聞いた話です。 『山史』(三菱大夕張鉄道58年史)の中に、「雪害事故」と題して次のような記述があります。 昭和21年3月14日、融雪期にもかゝわらず夕刻より重量ある湿雪が降りはじめ、15日に至るも止まず、蒸気機関車3両をもって運転する。 ラッセル車も及ばず、線路両側は、数メートルに… 続きを読む
随想 心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎 彼が、南部に移り住んでから一年になろうとした頃、南部のヤマ元で事件が起こった。 昭和六十年六月五日午後三時四十分頃。三菱南大夕張砿南一卸七方付近で起こったガス突出事故が発端であった。そのガス突出事故に坑内火災が加わった。 炭砿の坑道は地下に網の目の如く掘られている。そして、坑道一本一本に名称が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ まぼろし探偵と指紋|高橋正朝 #12 私がマンガ雑誌を毎月買うようになって、最初の2年ぐらいは、「 少年画報 」だった。 その当時、マンガ雑誌としては最も売れていたと思われる。 『 赤胴鈴之助 』が人気沸騰し、『 ビリーパック 』があり、手塚治虫 の『 スーパー太平記 』、それに、桑田次郎 の『まぼろし探偵』が加わった。… 続きを読む
思い出の記 坑内の愛らしき動物 | Kawauchi Masami 坑内のネズミの話し。 坑内至る所にネズミが居ます。 交代番になると休憩所を作りました。 何故なら、坑道には、風が回っています。メタンガス排除や、新鮮な空気を送るため、結構、寒いのです。 そこで、風を防ぐため、ビニールで風を防ぐ小屋を作りました。会社も暗黙の了解と言う感じでした。そこに、当然… 続きを読む
思い出の記 坑内での動力について | Kawauchi Masami 今度は坑内での動力の話。 まず電気ですが、もちろんモーターですが、火花の出ない、防爆方を使います。 電気モーター 電気モーターは、大きな力を必要な時に使われます。 払いの機械や、H型コンベア、直径32mmのワイヤーを巻いたり人車を巻く巻き上げ機。ベルトコンベア、ガス警報器、その他です。 圧縮… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ビリーパック、バットマン、ルコック|高橋正朝 #11 私が鹿島東小学校3年生の初夏のころ、夜の7時ぐらいのとき、新聞のラジオ番組表など読めないので、どの番組を聴くか、という目的もなしに、ダイヤルをゆっくり回していたら、突然、 『 ビリーパック•ビリーパック•ビリーパック•••••• 』と流れてきた。 そこでダイヤルを微調整して止めると、更… 続きを読む
随想 炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史 私が大夕張にいたのは小学校4年までですから、その記憶も当然のことながら子供のそれでしかありません。友達の誰々ちゃんと遊んだ、幼稚園ではどうだった、小学校はではこうだった、などなど・・。途方もなく広く感じられたあの鹿島小学校のグランド、あの目線の低さが私の大夕張の記憶の全てなのです。 中学、或いは… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 赤胴鈴之助|高橋正朝 #10 『 《 さゆり、吉永小百合。 (•••数人の名前•••) 。 語り手、山東昭子 》 』 私の年代にはすぐわかる。 これは、 『 《 う〜む、チョコザイな小僧め、名を、名を名乗れ 》《 赤胴鈴之助だ 》 』 というラジオ番組です。 スポンサーの CM ソングは、『 ニッスイ、ニッスイ、… 続きを読む
随想 川と自然について|今井一郎 本日、夕方よりSTVテレビにて、岡崎文吉氏の川の番組を拝見しまして、最近のSTVは、この様なドキュメンタリー番組の作り方が上手くなったなあと思いました。 『山史(三菱大夕張鉄道58年史)』を読んで来ると、土砂崩れ、橋梁流出など自然を相手に戦ってきた歴史を垣間見る事ができますが、不図、これで良かっ… 続きを読む
思い出ばなし 赴任の思い出と岳楓寮の食生活|山中佐喜男 昭和46年から48年の3年間、私は新卒教諭として鹿島東小に赴任しました。空知教育局に呼び出され、夕張登川小に行くように言われ、すぐバスに乗り本町にある教育委員会に行きました。 すると教育長との面接で「君は鹿島東に行ってもらうよ」との一声で、大夕張との運命的な出会いとなったのです。 当時、登川が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ アパートちゃん |高橋正朝 #9 私が、鹿島東小学校の1年生のときに、我が家にラジオがあったかどうか定かでない。 当時としては、簡単に購入できる品物ではない。2年生になって夏休みが始まるころには、ラジオは茶箪笥の上に鎮座していた。 NHK 第1放送と第2放送は、わりとよく聴こえたのだが、他の民間放送局の番組は、日によっては雑音… 続きを読む
随想 心の原風景|菅井宏史 坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。 大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。 生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。… 続きを読む
随想 久遠の故郷大夕張|対馬良一 今年は各地で雪が多く大変ですね。 子供の頃の大夕張も雪が多く、玄関入口まで雪で窓から出入りした思い出があります。 春先、雪がとけだすと、融けた水が玄関に入り、玄関の戸が凍りつき、お湯をかけなければ開けられなかった事もありました。 ハーモニカ長屋の共同トイレも寒く遠く、冬のトイレは嫌でした。… 続きを読む
続・大夕張つれづれ マンガ雑誌と上げ底 |高橋正朝 #8 私が鹿島東小学校1年生のときは、我が家では、まだ定期的にマンガ雑誌は買ってもらえなかった。 生活費の節約のためだったろうと思う。2年生だったときも同様だ。それでも、親の気まぐれで、学年雑誌を2、3回ぐらいは買ってくれた記憶がある。 東小学校3年生になったら、毎月マンガ雑誌を買ってくれるようにな… 続きを読む
思い出の記 ラーメンと給料日の話|Kawauchi Masami 当時のインスタントラーメン、『あけぼのラーメン』『よっちんラーメン』『ハイトップラーメン』などありましたが、一番人気あったラーメンは、『ちびっ子ラーメン』です。 当時、春日町の各家庭で、30コ入りのインスタントラーメンを、箱買いしてました。それで、各家にある、ラーメンを持ち寄った為、さまざまな種… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 教室の掃除当番|高橋正朝 #7 義務教育の公立学校で、教室を生徒が掃除するというのは、日本は世界のなかでは例外のようである。 日本国内でも、私立小学校や私立中学校はどうなのかは知らない。 夕張市立の小中学校の1クラスの生徒は、我々は団塊世代だったので、どこの学校も50人ぐらいだったろう。低学年を除き、掃除当番はグループ分けさ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 交通信号機 |高橋正朝 #6 我々の子ども時代、大夕張には交通信号機がなかった。 交通信号機自体は、絵本、マンガ、テレビ、映画などにでてくるから知ってはいるのだが、実物を見たのは、夕鉄バスに乗り、見学旅行で初めて札幌に行ったときだった。 鹿島東小学校4年生のときだった。 古谷製菓と北海道新聞社を見学した。古谷製菓では、オ… 続きを読む