初めてのアルバイト|Kawauchi Masami

1828

 昭和43年、中学2年生の冬、2月ごろでした。

 アルバイトはその日、20~30人ほどいたでしょうか?

 アルバイトに行く人は、スコップ持参との事でした。親父は、前の日にスコップの柄の所に、手に雪が付かない様に縄でドゥナツの様なワッパを付けてくれました。

 そのスコップを持って、朝7時ごろ迄に、大夕張炭山駅の近くの、井出組の事務所に、集まりました。

 中には、ドラム缶で作った様な薪ストーブが炊かれていましたね。

  朝7時になり、その日のアルバイトの人数が決まると、井出組の人が、今日の除雪する場所を決めてくれます。

 私は炭車の通る長い屋根の一画でした。初めてのアルバイトで、「休め」と言われるまで、無心に除雪。

 力をぬく事を、知りませんでした。

 そして、昼ご飯。除雪してるその場所で、母親が握ってくれたおにぎりを 2つ、食べました。

 中身は定番の、赤い梅漬け。この頃は、梅干し、無かったと思います。

 この日は、穏やかに晴れた暖かい日でした。昼時間は『11時〜12時』でした。そして、ついに、15時の作業終了。

 朝7時から夕方15時迄の8時間労働、クタクタになって、炭山駅の近くの事務所に行きました。

 お金を貰えると思っていました。すると、事務所の人に、「アルバイト代は、千年町の井出組本社で貰って下さい」と言われ、みんなで、クタクタの身体で、小1時間かけて千年町まで行きました。そして、アルバイト代600円を貰って、また大夕張まで、歩いて帰りました。

 アルバイト代が入ったら買う物を決めていましたが、重い、重い、600円。使う事が出来ませんでした。

 当時のお年玉が、1000円ぐらいだったと思います。

(2020年12月12日 記)


(筆者紹介)

 昭和29年6月生まれ。三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務


思い出の記

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