回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

ふるさとの味 蕗の煮付け |Kawauchi Masami 思い出の記

ふるさとの味 蕗の煮付け |Kawauchi Masami

     竹の子採りの話し、よく竹の子採りでの遭難のニュース毎年出ますが、実はちょっと歩いたつもりが、半径30m 直径60mぐらい歩いています。  しかも、竹の子は並んでいないので、出てる方へ出てる方へと進んでしまいます。  竹の子は竹を潜って採るので方向が分からなくなり、高い木に昇っても熊笹だらけ…
そぼろ | 高橋正朝 #147 続・大夕張つれづれ

そぼろ | 高橋正朝 #147

   Masami Kawauchi さんと 飯田雅人 さんが、寿司に使う〘 そぼろ 〙について言及してました。     Masami Kawauchi さんと 飯田雅人 さんは、ピンクの〘 そぼろ 〙をのせた〘 いなり寿司 〙が普通だったようです。  しかし、飯田さんの小樽出身の奥さんは、その〘 …
初音沢より夕張岳 ~竹の子採りの思い出~ | Kawauchi Masami 思い出の記

初音沢より夕張岳 ~竹の子採りの思い出~ | Kawauchi Masami

     私10年前まで大夕張に山菜取りに毎年取りに行きました。   今回、『竹の子 皮剥き器』を紹介します。  私が作ったオリジナルです。 自作の『竹の子皮むき器』     竹の子の皮に線を入れる器具の真ん中に、カッターの刃が付いてます。      この時カッターの刃を短く折って、刃は出過ぎない様…
鹿島東小学校の運動会が雨天で中止 | 高橋正朝 #146 続・大夕張つれづれ

鹿島東小学校の運動会が雨天で中止 | 高橋正朝 #146

    鹿島東小学校の運動会の当日、雨になったので延期になったことがあった。 2回あったと思う。 何年生のときだったかまではハッキリ思い出せない。       運動会は、日曜日に開催されていたように思う。  炭鉱で働く人たちは3交代だったから、スケジュールに従って働いていたはずで、日曜日は必ず休日と…
鹿島東小学校の運動会と出店 | 高橋正朝 #145 続・大夕張つれづれ

鹿島東小学校の運動会と出店 | 高橋正朝 #145

   私の年代では、大夕張での運動会は、5月下旬から6月上旬にかけて実施された。 だから、六十数年前の今ごろは、運動会の練習をよくやっていた。       鹿島小学校、鹿島東小学校、鹿島中学校の運動会は、一応、日程は被らないように調整されていたようだ。       大夕張つれづれ# 16 〘 銀色に…
北海道弁•••あやつける | 高橋正朝 #144 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••あやつける | 高橋正朝 #144

   〘 かっこうをつける 〙という意味で、〘 あやつける 〙とか〘 あやをつける 〙いう北海道弁があった。  少々蓮葉な印象が生じる言葉である。 女性も使っていたかもしれないが、私は聞いたことはなく、マ、どちらかというと、男性が使っていた言葉だ。       以下は、ネットでチェックした、『 セレ…
北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる | 高橋正朝 #143 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる | 高橋正朝 #143

    北海道といえども、春が過ぎれば暑くなる。  北海道には梅雨はないとされていたが、今はどうなのだろうか ••••••。      私が大夕張にいた当時、たしかに梅雨といえるような天候はなかったが、それでも、6月から7月にかけては、雨が降ることが多かった。       全国的には、食中毒の注意が…
北海道弁•••かます・かまかす | 高橋正朝 #142 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••かます・かまかす | 高橋正朝 #142

      前回、# 141〘 まかす・まかれる 〙のFB 版に、成田利夫さんが、〘 かき混ぜる 〙の北海道弁〘 かます 〙のことに言及していました。  〘 かき混ぜる 〙の北海道弁としては、〘 かまかす 〙があり、私は、その北海道弁はしっかり覚えていましたが、〘 かます 〙はすっかり忘れていました…
北海道弁•••まかす・まかれる | 高橋正朝 #141 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••まかす・まかれる | 高橋正朝 #141

   この北海道弁も、もはや死語ではなかろうか?     東京弁を中心としたラジオやテレビ放送の影響が大きくて、方言を持ちだした番組以外は、標準語を活用しているのは仕方がない。 特に、全国同時に流すニュース番組がそうである。       そういう中にあって、大泉洋の存在感は大きい。 でも、全国同時ニ…
北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140

         私の大夕張時代は、いわゆる江戸前の寿司のことを〘 なまずし( 生寿司 ) 〙と言っていた。  まだ、各家庭に冷蔵庫などなかった時代である。       だいたいが、大夕張時代の私の小学校低学年くらいまでは、生の魚介類を食したのは、イカの刺身だけだった。 イカをキシメンぐらいの巾に切…
東高バイク通学 |Masami Kawauchi 思い出の記

東高バイク通学 |Masami Kawauchi

  昭和49年 明石町 夕張東高校 バイク欲しくて定時制行きました。 高校の坂を登り切って夕張岳をバックに撮影。 全日制の女子学生見えますね。 私達はバイク通学でした。 白黒写真に着色した画像     (2020年5月17日 記) (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳…
ゆめゆめうたがうことなかれ | 高橋正朝 #139 続・大夕張つれづれ

ゆめゆめうたがうことなかれ | 高橋正朝 #139

       〘 夢 〙の話を4回続けましたが、この〘 ゆめゆめうたがうことなかれ 〙のセリフは、千年町にあった大夕張劇場で観たチャンバラ映画のなかでの夢まくらに立った老人のセリフだった。       鹿島東小学校の低学年のころで、当時のチャンバラ映画の本数は、東映が圧倒的だった。  〘 ゆめゆめう…
夢まくら、幽体離脱 | 高橋正朝 #138 続・大夕張つれづれ

夢まくら、幽体離脱 | 高橋正朝 #138

        私の母親は、下に3人の妹がおり、その下に弟がいた。  私には叔父になる。 叔父とはいっても私とは同い年であった。 ただし、彼は早生まれで私は遅生まれだから、学年は1年違った。       母親の父母、すなわち私の祖父母と末子である叔父が、明石町番外地の家で同居することになった。 私が…
 夢の続きを見る | 高橋正朝 #137 続・大夕張つれづれ

 夢の続きを見る | 高橋正朝 #137

      しょっちゅう夢を見る人や、夢を見る回数が少ない人もいるだろう。 振り返ってみれば、私がしょっちゅう夢を見たのは、鹿島東小学校の、3年生から5年生ぐらいが多かった。       以前、何回か書いたことだが、寝ている最中、私は最低でも2回は小便にたった。 妹や弟たちは朝まで小便に起きることな…
消えた缶ビール|久々湊真一 思い出ばなし

消えた缶ビール|久々湊真一

  本州に来て暫く経ったある日、 『寒さに対する自分の感覚が、内地の人と多少違う』   ということに気がつきました。  内地の人は氷点下になると、全部「寒い」の一言になってしまって 「どのぐらい寒いのか(寒さの程度)」 をあまり区別していないようです。   私は、例えば氷点下5℃と氷点下20℃の違い…
色付きの夢  |  高橋正朝 #136 続・大夕張つれづれ

色付きの夢 | 高橋正朝 #136

      色付きの夢を見たのは、鹿島東小学校4年生の初夏のころだったと思う。  1ヶ月ぐらいの間に2回見た。 それ以前も以後も色付きの夢は見ていない。         内容は2回ともほぼ同じである。 背中にマントをはおった私が空を飛んでいるのだ。  太陽は黄色。 空は青色。 マントは赤色。 身体の…
夢とデータ解釈 | 高橋正朝 #135 続・大夕張つれづれ

夢とデータ解釈 | 高橋正朝 #135

   〘 夢 〙といっても、「 オレは○○になる 」「 私は✕✕になりたい 」の希望や憧れの〘 夢 〙ではなく、寝てるときに見る〘 夢 〙のことである。      内容は覚えていないが、鹿島東小学校2年生ぐらいのときから〘 夢 〙を見ていたことは覚えている。  内容を覚えていないのに、何で小学校2年…
雪の中をこいで山小屋にたどり着く | 高橋正朝 #134 続・大夕張つれづれ

雪の中をこいで山小屋にたどり着く | 高橋正朝 #134

    今から約65年ぐらい前の春先、そう今ごろの日曜日、私を含む3人で、雪の中をこいで桜が丘から山のほうに入った。  このときも、誰々と行ったのか、覚えていない。 多分、全員、明石町番外地の少年だったろうと思う。       季節は違うものの、続・大夕張つれづれ #119 〘 スモモ 〙に書いたこ…
座席をゆずる| 高橋正朝 #133 続・大夕張つれづれ

座席をゆずる| 高橋正朝 #133

    私の母親のすぐ下の妹、すなわち叔母が、当時住んでいた栄町から、明石町番外地の我が家に、赤ん坊を負ぶってよく遊びにきていた。       あるとき、赤ん坊を負ぶった叔母が、汽車に乗ったとき、北沢先生に席をゆずられ、大変感激したことがあった。       私が、鹿島東小学校4年生の初夏のころだっ…
「約束」と私のカエデの原風景 |小野美音子 随想

「約束」と私のカエデの原風景 |小野美音子

 北海道はしんとした静かな雪景色のようですね。   雪の少ない地にいる私には、懐かしい風景です。    緑ヶ丘の私の家は、左手に教会への坂、鹿島小の旧体育館。  右手は泉町や宝の沢、対岸には岳富町付近を通る汽車や、錦町の炭住が見渡せ、大夕張としては素晴らしい眺望に恵まれていました。   ただ、家が崖…