回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

ザリガニとタニシの棲み分け?| 高橋正朝  #158 続・大夕張つれづれ

ザリガニとタニシの棲み分け?| 高橋正朝  #158

     ザリガニやタニシのことを書いたが、書き忘れたことがあった。  それは、私が鹿島東小学校の生徒だったとき、明石町エリアの沢でザリガニ獲りをしていたころ、ザリガニが棲んでいた場所では、どういうわけか、私は一度もタニシを見たことがなかったのだ。       逆に、タニシがいた場所では、ザリガニを…
こんなお盆があればなあ|斎藤敏幸 随想

こんなお盆があればなあ|斎藤敏幸

 社会に出た後,数回でいいから,こんなお盆を迎えることができたなら,本当に良かったのになあと,今でも思います。       お盆になると、都会へ出て行ったこの街の子供たちが、家族を連れて両親のもとへと帰ってくる。    大夕張の人口が一気に膨らむ。  同窓会で仲間たちと酒を飲み交わす。  少し歳を取…
大夕張鉄道の鉄橋の途中の待避所 | 高橋正朝 #157 続・大夕張つれづれ

大夕張鉄道の鉄橋の途中の待避所 | 高橋正朝 #157

   明石町から南部方面に向かうには、その道路工事が完成するまでは、大夕張鉄道の線路に沿って歩いた。  線路の枕木に足をかけるには、子どもの脚の長さでは、枕木から枕木へと足を乗せられない。  必ず、足を敷石である砕石を踏み込んだ。       歩きにくいものの、道路がないのだから仕方がない。  とは…
夏休みのお昼ご飯|高橋 歌子 思い出ばなし

夏休みのお昼ご飯|高橋 歌子

私が子供の頃の夏休みのお昼ご飯といえば「冷麦」 あのピンクとかぐりーんとか入っているやつですね。あれでした。  なにが美味いんだか、色つきのを妹と取り合ったりしてました。  それで、毎日毎日「冷麦」  「たまには違うものが食べたいよ~」  母に訴えると  「今日は違うよ! 今日は、そ・う・め・ん」 …
 タニシと鬼平こと長谷川平蔵 | 高橋正朝 #156  続・大夕張つれづれ

 タニシと鬼平こと長谷川平蔵 | 高橋正朝 #156 

   前回の続・大夕張つれづれ # 155〘 水溜りに棲んでいたタニシ? 〙の FB 版に、成田利夫さんと Masami  Kawauchi さんが、タニシを煮て食べたことを書き込んでいました。 しかし、我が家ではタニシを食べたことはなかった。       タニシは旨いものらしいということは、何回か…
水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155 続・大夕張つれづれ

水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155

     ザリガニ獲りをした場所は、チョロチョロした淀んだ水が流れる沢だった。  水が流れると書いたが、清水とは言えない流れである。  清水が流れる場所に棲息したザリガニがいたかもしれないが、少なくても、明石町に住んでいた私や遊び仲間が獲っていたザリガニは、淀んだ水が流れる小川だった。  水が流れる…
郷土研究部と地学部|久々湊真一 思い出ばなし

郷土研究部と地学部|久々湊真一

  夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。  野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格的な活動を行っていました。  私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。     高一の夏と思う。…
夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎 思い出ばなし

夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎

    この季節になると、子供の頃、真っ黒に日焼けして遊びに夢中になっていた事を思い出します。  明石町の自宅の崖下の川で泳いだり、カジカやドジョウ、ウグイを釣って焚き火をして食べたり、今思えば汚い川で泳いで病気にならなかったものだと思いました。    白金の沢にもよく泳ぎに行ったなぁ。    リヤ…
開拓で見た水田 | 高橋正朝 #154 続・大夕張つれづれ

開拓で見た水田 | 高橋正朝 #154

     開拓で水田を見たことがあった。  私が鹿島東小学校の4年生の、6月ぐらいの日曜だった。 遊び仲間3〜4人が、それぞれの家で朝めしを食べてすぐに白金の沢を目指した。  そこで2時間ぐらい過ごし、ハラ時計からすると、正午をまわっていたので、家に帰ろうということになった。         白金の…
ザリガニが棲む沢の探検|高橋正朝#153 続・大夕張つれづれ

ザリガニが棲む沢の探検|高橋正朝#153

     前回、私も含んだ勉強などしないヒマな少年たちが、道路工事現場をちょくちょく見に行ったことを書いた。 その道路工事の最も苦労していたのが、沢の埋め立てだったように思う。       私たち明石町に住んでいた少年たちが見に行った工事現場は、竜田の沢の埋め立て工事よりも、シューパロ湖寄りの工事現…
夏休みのころの、道路工事現場とシューパロ川に行ったこと。|高橋正朝 #152 続・大夕張つれづれ

夏休みのころの、道路工事現場とシューパロ川に行ったこと。|高橋正朝 #152

      私が、鹿島東小学校の2年生ごろから、大夕張から南部につなぐ道路の工事が最盛期をむかえた。       勉強などしないヒマな少年たちは、その工事現場をちょくちょく見に行った。  その少年たちの仲間には、もちろん、私も含まれている。 ただ、少女たちが、工事現場を見に行ったというのはなかったよ…
「九人の乙女」と開拓吉田さんの思い出 | 小野美音子 随想

「九人の乙女」と開拓吉田さんの思い出 | 小野美音子

 三菱君を書いて下さった楽しい斎藤様の家では、当時受信料が三百数十円程かかったのではないでしょうか。         私の母は堀田牛乳店の月々の支払いがほぼ同額だったので、TVと牛乳どちらにするかと迷いましたが、キャラメルの箱の大きさまで比べてしまう子供達を見て、TVをあきらめました。   エンゲル…
〘 共栄橋 〙がある山肌で聞いたクマの吠え声? | 高橋正朝 #151 続・大夕張つれづれ

〘 共栄橋 〙がある山肌で聞いたクマの吠え声? | 高橋正朝 #151

 一週間前の投稿、〘 共栄橋  〙の写真は興味深かった。       写真のなかの手前が男性なのは誰でもわかるが、奥に写っている人物は、小さく写っているので判然としない。 女性のように見える。       バックの植物群の山肌だけをみると、明石町側の山肌なのか、開拓側の山肌なのかはハッキリ…
蒲の穂 | 高橋正朝 #150 続・大夕張つれづれ

蒲の穂 | 高橋正朝 #150

   〘 蒲の穂 〙を知ったのは、鹿島東小学校の3年生のときである。   今となっては名前も顔も思い出せないが、明石町の炭住街の同学年の男児3人か4人が、開拓か桜ヶ丘のほうまで行き、帰り道、〘 蒲の穂 〙を持った彼らが、番外地の我が家の前を通った。       当時、明石町駅と番外地の間にあった小さ…