駅前商店街

大夕張駅前通り 山神祭  街の行事

大夕張駅前通り 山神祭 

 大夕張駅前通りを、ボーイスカウトから続く御輿。商店街の看板類から、昭和45年の頃の駅前通りかと思われる。協和会館前の掲示板には、組合の広報用のポスターだろうか、いっぱいに貼り出されている。  大夕張駅前から、協和会館までの商店街の左右の並びは、下のタグの『駅前商店街』で一覧表示できる。   白黒写…
協和会館前から大夕張駅前通り 思い出の街角

協和会館前から大夕張駅前通り

 正面に大夕張駅。協和会館前あたりから撮影した写真だろう。    左手前の大きな建物が,大夕張炭鉱労働組合の事務所。建物の前には三台の自家用車が停まっている。    駅に向かって、順に、北海道労働金庫大夕張支店、『東芝カラーテレビ』の看板がかかる高橋電器店、谷野書店の建物が続く。   白黒写真に着色…
駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂- 思い出の街角

駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂-

長谷川さんの『食憶』に残る駅前商店街を含む「あいば」さんの思い出から。 閉塞的社会環境の食文化論  【長谷川 潤一】(1999年7月26日) 「バクダン」の匂いで、私めの食欲というか大夕張での食憶がムクムクと・・・。 ・あいばさんの5円アイス。 少し辛目のカレーやカツ類などが美味しかった。 ・池田屋…
駅前商店街 サンワ・十八番 思い出の街角

駅前商店街 サンワ・十八番

 鹿島小学校郷土室の写真の中の一枚。  鹿島小学校郷土室の中には、多くの写真が保存され、展示されていた。  その中に、大夕張の街並みを写した一連の写真のシリーズがあった。  そこには、「炭鉱が閉山になると聞いて、昭和48年の夏、鹿島小学校の先生たちが、街がなくなってしまうかもしれなという気持ちで、写…
大夕張生協 思い出の街角

大夕張生協

 昭和48年閉山の夏。  閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。  郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。…
駅前商店街から大夕張駅 思い出の街角

駅前商店街から大夕張駅

 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。  昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。  写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。  右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡…
池田屋食堂と鹿島旅館 思い出の街角

池田屋食堂と鹿島旅館

昭和45年頃 白黒写真に着色して修正した画像 右手荒川商店、駅前通りで大夕張駅をみる 池田屋食堂 大夕張最後の思い出 【飯田雅人】(1999.7.20)  中学生の頃,他愛もない話ですが,当時人気のあった青空晴夫,明夫という漫才コンビが大夕張にきて,その時、「池田屋で飯を食べていたのを見た」という友…
駅前下の商店街 昭和45年頃 思い出の街角

駅前下の商店街 昭和45年頃

 昭和45年頃。  コカ・コーラの搬送車、赤に白のロゴが書かれた看板や、大夕張スタンプの看板が目を引きます。  この頃、自動販売機はなかったはず。  それにしても、コカ・コーラを初めて飲んだのはいつのころだろう。  札幌の高校生になった昭和47年以降、コーラ・ファンタを当たり前に飲んでいた気がするが…
池田屋食堂 昭和25年 思い出の街角

池田屋食堂 昭和25年

昭和25年。栄町。池田屋食堂開店祝いの記念写真。店主の池田準太さんと八重さんを中心に従業員の人たち。 開店祝いのチンドン屋さんの姿も。商店の開店や大売り出しの時には、鐘や太鼓が、威勢良く鳴り響き、よく見かけたものです。 池田屋食堂と、映画『塩狩峠』のロケの合間 石原 賢治  1999年04月20日(…