スキー

八百五十のゲレンデ(4) 思い出貼

八百五十のゲレンデ(4)

昭和30年 当時の、身長以上の長いスキー。  お腹に茶色の腹巻きをしめている。バカボンのパパがしていた腹巻きと同じ物。このころ自分は身につけた覚えはない。忘れてしまっただけなのかもしれないけれど。  スキーのブランドマークは当時よく見かけたような気がする。小樽にあったというアジアスキーだっただろうか…
昭和26年 スキースタイル 楽しかった日々

昭和26年 スキースタイル

  1951年(昭和26年) 春日町詰所裏 白黒写真に着色した画像 春日町詰所裏 当時のスキースタイル 昭和30年代 スキー場 兄妹四人 スキー場にて  スキースタイル 【小林光志】  (上の写真)  1951年(昭和26年)この頃の子供は、このスタイルがスタンダード。  竹のストックとビンディング…
昭和10年代 冬山スキー行事 学び舎の思い出

昭和10年代 冬山スキー行事

 昭和10年代、大夕張でただ一つの学校だった、大夕張尋常高等小学校。  戦時体制が進む中、名称も昭和16年(1941年)大夕張国民学校へ、そして昭和17年(1942年)には、鹿島国民学校へとかわる。 白黒写真に着色したカラー画像) 三代目校長の伊沢豊久校長(在任:昭和9年~19年)の姿もある。(左か…
八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami 思い出の記

八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami

大夕張から、八百五十山頂。赤い線は、神社裏からの尾根伝いのルート。冬に八百五十のゲレンデに行くには、鹿島小学校裏から、宝の沢に沿ってのルートがあった。八百五十のゲレンデは、山頂直下の急斜面の下の緩やかな傾斜地だった。その傾斜地の途中にヒュッテがあった。 (目 次)   準 備   出 発   山小屋…
昭和28年 富士見ヶ丘スキー場 思い出の街角

昭和28年 富士見ヶ丘スキー場

 昭和28年頃、「スキー場」と云えば、ここのことだった。正式には、富士見ヶ丘スキー場というのだそうだ。左手に大きなジャンプ台があった。この写真にもそれが写っている。中腹の小屋が見えているあたり。 https://ooyubari.com/2020/02/13/gakurokunosatofujimi…
スキー場のメッセージ 思い出の街角

スキー場のメッセージ

 大夕張のスキー場(富士見ヶ丘スキー場)には、ロープトゥと夜間でもスキーができる照明灯が設置されていました。平成10年(1998年)頃のスキー場に、注意事項がかかれた板。  静かに 大切な『こころ』を 今の私たちにも 語りかけています。 https://ooyubari.com/2020/01/30…
炭住脇のスキー 楽しかった日々

炭住脇のスキー

昭和37年頃、冬。竹ストックとカンダハー(カンダハン)のスキー。 窓の外のスキー場 【飯田雅人】  弟が2歳くらい、自分6歳の頃の写真です。  トタン屋根から落ちた雪はそのまま積もり、この年齢の子どもが遊ぶには、かっこうの傾斜が付きました。  父のスキーが立っていますが、当時のスキーは、長くて重かっ…
冬のスキー遊び 思い出貼

冬のスキー遊び

昭和40年、富士見町 街の中の雪山  【飯田雅人】 富士見町の6丁目,炭坑病院の近くの住宅。石炭庫や住宅の屋根から落ちた雪がつもり,こんな雪山があちこちにできていました。この写真の男の子は誰なのか今となってはわかりませんが,私も小学校低学年の頃,屋根から落ちて積もった雪の山を利用して,そり遊びやスキ…
八百五十の思い出 思い出貼

八百五十の思い出

昭和30年、八百五十のゲレンデ。   八百五十の思い出 【斎藤敏幸】  (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道…
八百五十スキー遠足 楽しかった日々

八百五十スキー遠足

AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく…
-大夕張風物 – 富士見ヶ丘スキー場 岳麓の里

-大夕張風物 – 富士見ヶ丘スキー場

-大夕張風物 -富士見ヶ丘スキー場 画・・・・野 田 淑 雄文・・・・佐 藤 貞 雄 大夕張の子供は、スキーがじょうずだ。小学校2、3年になると、山神社からの急斜面を直滑降する。両足を開き、両腕を広げ、蛙のような格好で滑りおりる。途中のギャップで体をうしろへそり返らせ、見ている人をハッとさせるが、す…
1935年(昭和10年) 昭和

1935年(昭和10年)

1月 18日,遠幌加別川橋梁,架け替え工事完成。 22日夕刻より大吹雪となり、翌23日も依然猛烈となり専用鉄道各所に吹溜りを生じ列車不通、24日に至るも開通不能のため1、2番方共採炭休業、総動員をもって除雪に当り消防組その他の援助により全線600余名を配し復旧に努め、同日午後9時漸く列車の開通を見、…