随想 ふるさとの匂い |久々湊真一 匂いというものは、記憶と深く結びついている。 昨年の5月に大夕張に行った時である。 僕の顔を撫ぜている風の匂いに、なぜか立ち止まって、懐かしさで胸が一杯になった。 大夕張の乾いた空気の匂い。 まだ肌寒いけれど、確実に春がやってくる花々の匂い。 それらが、どっとやってきて、僕は立っ… 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送り風景 昭和32年。 4月も中旬の頃だったという。まだ肌寒い日が多く、服装にも冬の名残りが感じられる。 この中に鹿島小学校から富野小に転勤になる祖父もいるが、大夕張の外にでる交通機関は鉄道しかなかった時代、転出する人が多かったことだろう。 大夕張駅ホームの駅名標付近に集まるあふれるばかりの見送りの人々。 … 続きを読む
楽しかった日々 大夕張神社 花見 のんびりとしたなんとも言えぬなつかしさが伝わってきます。 大夕張の春は5月になってから。 その頃になってようやく春らしく温かい日ざしを感じることができるようになります。桜や梅の花,スイセン,チューリップといった花がいっせいに咲き始めます。 そんな晴れた休日の一こまの風景。町内でしょうか、職場… 続きを読む
大夕張の全景 雪どけ大夕張 昭和39年 鹿島小学校グラウンドが雪解け水でいっぱいです。泥水の中を長靴を履いて走り回っていた子供時代の記憶は遠い昔。この時期街はそんな泥水でいつも汚かったような・・・。夕張岳は陽をいっぱいに受けて輝いています。 昭和39年4月大夕張神社より… 続きを読む
写真 春(1999年5月2日)|本間正雄 大夕張は札幌へ出て来てからもほとんど毎年数回行ってます。5月2日に昨年の秋以来半年振りに見てきました。まだ解体されない家が十数棟在りますが写真を見ての通り野原です。 この写真は三十数年振りに大夕張神社から写したものです。ここから見る夕張岳は格別で大夕張の夕張岳という気がしませんか? 原野にかえる大… 続きを読む
思い出の街角 吉野沢公園 昭和45年頃の吉野沢公園 吉野沢公園 【飯田雅人】 三菱大夕張鉄道の駅の一つにシューパロ駅という駅がありました。昭和37年大夕張ダム完成の年に開業し,昭和43年には廃止になるという,何年かの間しか存在しなかった駅でした。そこには,ちょっとした公園や湖畔亭という食堂がありました。駅の廃業とともにそこ… 続きを読む
訪問記 常盤町白樺林 平成14年(2002年)5月撮影。千年町から暁橋を渡り、常盤町をまっすぐに横断し鹿島中学校に向かう道沿いにあった白樺。 平成14年の常盤町白樺林 【飯田雅人】 この写真には、自分もうつっていて、場所もわかっているのですが、自分が鹿島中学校に通っていた昭和43年から昭和46年ころの記憶ではあいまいです… 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送り風景2 昭和32年4月大夕張駅 見送り風景 集団就職列車 【泊川俊徳】(2007/07/09(Mon) 09:49) 昭和42年 春 自分が中学2年が終り これから3年に成る春休み。 集団就職列車最後の運行。 金の卵と言われ 高度成長の中 中卒者の就職者が高校卒に変わりつつ有り… 続きを読む
思い出の街角 夕張岳とメタノール工場 まだ芽吹き始めたばかりの季節。雪を被った夕張岳とシューパロ川沿いに立つメタノール工場。右下に小さな取水堰のポンプ場の建物が見える。 メタノール工場【 T,Aさん】 メタノール工場は紺碧の建物、ボイラー、濃縮工場、変成工場、合成工場、蒸留工場の工程で操業していました。 写真、左に並ぶシル… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和31年度 鹿島小学校卒業式 昭和32年3月17日(日曜日) 鹿島小学校体育館で行われた卒業式 鹿島小学校卒業式【飯田雅人】 当時の卒業式の式次第としては、「来賓祝辞-在校生の送辞-卒業生の答辞-校歌斉唱」というのが、一般的だったでしょうか。「仰げば尊し」や「喜びの歌」を歌ったような記憶があります。私の小学校時代(… 続きを読む