街の行事 坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 その2 この神輿の先頭を行くのは、『坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿』の写真。 神輿のあとに馬に乗った神主さんのような人物が続く。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』で紹介している写真や動画の中にも、山神祭の行列の中に馬が登場してくるが、そもそも子どもの頃から今までどんな隊列を組んで行列していたかなど… 続きを読む
思い出の街角 南部独身寮 昭和40年(1965年)、『大阪の小林』さんが一夏を過ごした南部貯木場の独身寮。 当時の南部独身寮とのかかわりについて、小林さんは『懐かしき貯木場(南部)』の中で、次のように書いている。 小生は昭和40年の一夏(七月中旬から八月中旬まで)南部にありました営林署の貯木場で、大学の友人二人と共にアルバイ… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 南部貯木場事務所付近全景 南部貯木場から事務所付近をみたパノラマ写真。 今回あらためて気がついたのだが、写真奥、正面のやや上の位置には、南部小学校の校舎が見えていた。 そして、正面の積み上げられた丸太の上には作業をしているらしき人物の姿もいることがわかる。 右手のモルタルの建物は当時、矢板医院だったらしい、今も南… 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その4 『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。四枚目。 以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』と同じように、大夕張営林署の貯木場から事務所付近にむけて写したもの。 遠目にだが、事務所建物には「災害絶滅」「安全第一」の標語の看板がかかっているのが見える。 … 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その3 『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。三枚目。 貯木場から遠幌方面、貯木場の東側半分をみたところ。 白黒写真に着色した画像 次は、昭和40年以来、38年ぶりに南部を訪れた『大阪の小林』さんの訪問記。 https://ooyubari.com/2020/06/29… 続きを読む
思い出の街角 写真 昭和40年南部貯木場 その2 『懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林』に掲載の写真4点のうち、一枚。 この写真は、以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』の位置関係でいうと、同じ山を背景に視点を右に振ったかたちになる。 おそらく写真を撮影した人は、その1の写真を撮ってから、数十メートル右に歩いて山側を背景にふ… 続きを読む
思い出ばなし 闘犬のはなし| 泊川俊徳 子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。 4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。 闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。 一時的な流行でした。 当時、子供なが… 続きを読む
楽しかった日々 雪かき 雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。 スコップで四角に切りながら、広げていった。 セーターで… 続きを読む
思い出ばなし ウサギのぴょん吉|石原賢治 鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。 そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。 ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。 … 続きを読む
大夕張の全景 八百五十 山の向こうへの思い 昭和40年頃、八百五十山頂からの大夕張。 あいにく対面の夕張岳は雲の中だが、礦業所以北の官行の工場地帯から、千年町・常盤町あたりまでの住宅地が雪の中に黒く見えている。 白黒写真に着色した画像 八百五十山頂からの大夕張 やまのむこうは? 【丸山直記】1999年02月23日 私は昭和23年6月… 続きを読む
思い出の街角 大夕張営林署 昭和40年代 錦町。 鹿島中学3年の頃、転校してきた子と仲良くなった。親が営林署勤めだった。 彼の官舎は、錦町の購買会の角から天理教会に向かう坂の中程にあった。 線路から山に向かって並ぶ住宅が段々に高くなっていく。 家の前でキャッチボールをしたことがあった。 どちかが山側で、一方が下になる。 下… 続きを読む
あらかると 明石町の歴史 明石町の辺りは以前は、戦前は農場と呼ばれ、その後、第一農場とよばれていた(第二農場は、桜ヶ丘対岸→大夕張ダムで水没)と呼ばれていた。 このあたりには、戦争前後の話として、畑地として土地をかり、笹刈りから、大根の種まき、収穫まで家族総出で荒地開墾をしながら、食料を得ていたという祖父の話… 続きを読む
思い出の街角 明石町駅 昭和40年頃、明石町駅駅舎 高橋さんが、『続大夕張つれづれ#105 明石町駅の待合室』でこの写真を見て次のように書いた。 写真の左右にある立木はポプラである。 右側のポプラのある場所には花壇があり、ヒマワリやスミレなどが植えられていた。 私は動植物には興味がないせいか、他の花についてはあまり記憶にな… 続きを読む
思い出の街角 夕張市立図書館鹿島分館 宝町にあった鹿島図書館。 写真の右下には、当時通勤や仕事で使われていた二輪のオートバイが停まっている。 この建物は、昭和35年に新築以降の建物で、自分が利用したのもこの建物。 本通りから宝町の図書館に向かって入って行くと住宅と図書館の間は、かつての住宅の跡地なのか、写真のように空き地… 続きを読む